フィドニシの戦い
フィドニシの戦い(英語: Battle of Fidonisi)は、露土戦争中の1788年7月14日に黒海のズミイヌイ島(ギリシャ語でフィドニシ島: Φιδονήσι)付近でロシア帝国とオスマン帝国の間で戦われた海戦である。戦闘はロシアの勝利に終わった。
戦況
[編集]6月29日、ロシア海軍の拠点セヴァストポリを発したマルコ・イヴァノビッチ・ヴォイノビッチ海軍少将率いるロシア艦隊は、7月10日、大提督カプダン・パシャに率いられたトルコ艦隊を北西に発見した。このトルコ艦隊は同日テンドラ島に入った。ロシア艦隊が3日にわたり動き回ったのち、キンバーンの南方およそ100マイルにあるフィドニシ島付近でトルコ艦隊を捕捉した。
ヴォイノビッチは北東側の左舷を開く陣形をとると、風向きが南東方向へ変化した。これに耐えたトルコ艦隊は、3時以降風上から攻撃し始めた。ロシア艦隊旗艦のフリゲートBerislavとStryelaはトルコ艦隊の陣形を崩そうと試みたが、逆に船団を分断されかける危機に陥った。そこでSv. Pavelに乗っていた副司令官フョードル・ウシャコフが艦列の隙を埋めた。
トルコ艦隊のジェリザイルリ・ガーズィ・ハサン・パシャはロシア艦隊の旗艦を攻撃、彼の麾下の海軍中将や少将はヴォイノビッチを狙った。しかし乗船が損傷し、彼は5時前に戦線離脱を余儀なくされ、他の艦船もこれに従って撤退した。トルコ艦隊は1隻のジーベックを失った。
15日から17日にかけて、ロシアとトルコの艦隊は西方のクリミアへ移動した。18日、トルコ艦隊は姿を消して包囲下のオチャーコフに入港した。この後オチャーコフはロシア軍により陥落し、ハサン・パシャらは捕虜となった。(オチャーコフ攻囲戦 (1788年))
艦隊構成
[編集]ロシア(イワノビッチ・ヴォイノビッチ)
[編集]Preobrazhenie Gospodne 66
Sv. Pavel 66
Sv. Andrei 50
Sv. Georgii 50
Legkii 44
Perun 44
Pobyeda 44
Stryela 44
Berislav 40
Fanagoria 40
Kinburn 40
Taganrog 34
他小型船24隻
トルコ(ハサン・パシャ)
[編集]80門級戦艦 5隻
その他の戦艦 12隻
フリゲート 8隻
ジーベック 21隻、1隻損失
爆弾船 3隻
他小型船少数
参考文献
[編集]- R. C. Anderson "Naval Wars in the Levant 1559-1853" (University Press, 1952) - ISBN 1-57898-538-2