フィッシャー・ブラック
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フィッシャー・ブラック | |
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生誕 |
1938年1月11日 アメリカ合衆国ワシントンD.C. |
死没 |
1995年8月30日 (57歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク |
居住 | アメリカ合衆国 |
市民権 | アメリカ合衆国 |
研究分野 |
金融経済学 金融工学 |
研究機関 |
シカゴ大学 ブース経営学大学院 MIT スローン経営学大学院 ゴールドマン・サックス |
出身校 | ハーバード大学 |
博士課程 指導教員 | パトリック・フィッシャー |
主な業績 |
ブラック-ショールズ(Black-Scholes)方程式 ブラック・モデル ブラック–ダーマン–トイ・モデル ブラック–カラシンスキー・モデル ブラック–リッターマン・モデル ブラックの近似式 トレイナー-ブラック・モデル |
主な受賞歴 | 1994, 国際金融工学会 フィナンシャル・エンジニア・オブ・ザ・イヤー[1][2] |
プロジェクト:人物伝 |
フィッシャー・ブラック(Fischer Sheffey Black、1938年1月11日 - 1995年8月30日)は、アメリカの数学者、経済学者。ワシントンD.C. 出身。
来歴
[編集]1964年に応用数学でハーバード大学から博士号を受けた後、アーサー・D・リトル社に職を得る。そこでCAPM理論の創始者の一人ジャック・トレイナーと出会い、金融工学へ進むきっかけを得た。1971年実業界から研究者の途に戻り シカゴ大学 ブース経営学大学院教授、MIT スローン経営学大学院教授を歴任。
1973年、オプションの価格算定式である ブラック-ショールズ(Black-Scholes)方程式を考案した。この方程式は金融経済学における三大成果の一つである[3][4]。1984年には、ゴールドマン・サックス社に招聘されるなど、自己の理論の実践にも並々ならぬ興味を持ち続けた。
その後も研究を深耕し、1990年、エマニュエル・ダーマンと共にブラック–ダーマン–トイのオプション評定価格モデルを著すなど業績を上げていたが、1995年、癌に倒れた。
脚注
[編集]- ^ “IAFE Events Archive, Awards”. 2007年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月20日閲覧。
- ^ Finnegan, Jim. “IAFE Holds Annual Award Dinner”. Financial Engineering News 2007年6月20日閲覧。
- ^ あと2つは先のCAPM理論とモジリアニ-ミラー理論
- ^ 共同研究者である マイロン・ショールズ (Myron Scholes) と、式を厳密に証明したロバート・マートン (Robert C. Merton) は、1997年にノーベル経済学賞を受賞した。式はロングターム・キャピタル・マネジメントの資金運用に活用された。