ファルツァーレゴ峠
ファルツァーレゴ峠 | |
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ファルツァーレゴ峠(passo di Falzàrego)。正面の山はサッス・デ・ストリア(Sass de Stria)。 | |
所在地 | イタリアベッルーノ県 |
座標 | 北緯46度31分08秒 東経12度00分34秒 / 北緯46.5189度 東経12.0094度座標: 北緯46度31分08秒 東経12度00分34秒 / 北緯46.5189度 東経12.0094度 |
標高 | 2105 m |
プロジェクト 地形 |
ファルツァーレゴ峠(passo di Falzàrego)は、イタリア共和国ヴェネト州ベッルーノ県にある国道48号の峠である。標高2105m。東はコルティーナ・ダンペッツォ(Cortina d'Ampezzo)、南はアーゴルド(Agordo)に繋がる。峠からラガツォイ(Lagazuoi, 2835 m)へのロープウェイがある。
ファルツァーレゴはラディン語(ladin)で偽の王(fàlza régo)という意味である[1]。ラディン語の口承の叙事詩として伝えられたファネス王国(Regno dei Fanes)[2]の、民衆を裏切って石になった王に因む。
歴史
[編集]ラガツォイとサッス・デ・ストリア(Sass de Stria, 2477 m)の間を北のバディーアの谷(Val Badia)方面へ抜ける道(ヴァルパローラ峠、Passo di Valparola)から峠を見下ろすことができる。1897年にオーストリア=ハンガリー帝国はこの道沿いにトレ・サッシ要塞(Forte Tre Sassi, 2197 m)を築いた。この要塞は第一次大戦中の1915年7月、イタリア軍によるチンクェトッリ(Cinque Torri)からの砲撃により破壊された[3][4]。トレ・サッシ要塞を放棄したオーストリア軍は、サッス・デ・ストリアを新たな北方防衛の拠点とした。
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峠に展示されているイタリア軍の75mmカノン砲Da 75/27 modello11。
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トレ・サッシ要塞(Forte Tre Sassi)。右奥にアヴェラーウ(Averau, 2647 m)が見える。
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第一次大戦中にサッス・デ・ストリアに掘られたトンネル。
周辺
[編集]ファルツァーレゴ峠は、北のラガツォイ(Lagazuoi)と南のヌヴォラーウ山群(Gruppo del Nuvolau)に挟まれる谷の西の端にある。画面中央付近のカヌレのような形の山はヌヴォラーウ山群に属するアヴェラーウ(Averau)、左端の岩山群はチンクェトッリ(Cinque Torri)である。峠から画面左の東に進むとコルティーナ・ダンペッツォ(Cortina d'Ampezzo)、九十九折の道を降りて画面右奥の南に進むとチヴェッタ(Civetta, 3220 m)の麓の町アッレゲ(Alleghe)を経由してアーゴルド(Agordo)に至る。
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ラガツォイから南の眺め。右下にファルツァーレゴ峠、中央やや右奥に直線距離約16kmのチヴェッタ(Civetta)が見える。
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峠とラガツォイを結ぶロープウェイ
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 増山 2017, p. 145.
- ^ “中央大学人文科学研究所主催公開研究会”. 2018年3月20日閲覧。
- ^ “Forte Tre Sassi”. 2018年3月20日閲覧。
- ^ “Museum of the Tre Sassi Fort – Passo Valparola”. 2018年3月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 増山 暁子『イタリア古代山岳王国悲歌』悠書館、2017年6月22日。ISBN 9784865820294。