ファビラ
ファビラ / ファフィラ Favila / Fáfila | |
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アストゥリアス国王 | |
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在位 | 737年 - 739年 |
死去 |
739年 アストゥリアス王国、カンガス・デ・オニス |
埋葬 | アストゥリアス王国、カンガス・デ・オニス、サンタ・マリア教会 |
配偶者 | フロイルバ |
家名 | アストゥリアス家 |
父親 | ペラーヨ |
母親 | ガウディオサ |
ファビラ (Favila de Asturias、生年不詳 - 739年)またはファフィラ(Fáfila)は、アストゥリアス王(在位:737年 - 739年)。父ペラーヨのあとを継いで王位についた[1]。ファビラ(ファフィラ)とはペラーヨの実父の名にちなむ。
生涯
[編集]ファビラは737年から739年までの「2年7ヶ月10日間」統治を行ったという[1]。『アルフォンソ3世の年代記』によると、ファビラは狩猟中にクマとの対決のため739年に急死したという[注釈 1][1]。一方で、ファビラの死は政治的な暗殺の可能性もあるとみられる。クマとの戦いは、当時の貴族の間で勇気を試すために行われた一種の男らしさの儀式であったと推測されている。ファビラは狩猟を非常に好んだため、彼が無謀にも怒らせたクマに引き裂かれた可能性が高い。ファビラは、当時フランスで戦っていたアラブ人に煩わされることがなく、国政を顧みなかった。『アルフォンソ3世の年代記』には、ファビラが「歴史に値することは何もしなかった」と記されている[1]。
ファビラの死後、ペラーヨとガウディオサの娘でファビラの姉妹であるエルメシンダ(ヘルメネシンダ)と結婚した、アルフォンソ1世が王位を継承した。これと同様の継承が、後にアストゥリアス=レオン王家が断絶した際に、同家の最後のレオン王ベルムード3世の姉妹との結婚を通してパンプローナ王国のヒメノ朝が王位を継承したときにも起こった。
16世紀の歴史家、アンブロシオ・デ・モラレスによれば、ファビラ王の遺体はカンガス・デ・オニスのサンタ・マリア教会(王妃フロイルバが建設を命じている)に埋葬された[2]。同じ教会内に王妃フロイルバも埋葬されたが、現在は夫妻の遺体は残されていない。
注釈
[編集]- ^ この出来事は、伝説によるとカンガス・デ・オニスの近くの山の上の現在リュエベスの村がある場所で起こったという。この伝説より、人に何かをするよう急かすときに使われる「目を覚ませ、ファビラ、熊が来る(espabila, Favila, que viene el oso)」という有名な諺が生まれた。
脚注
[編集]- ^ a b c d Martínez Díez 2005, p. 71.
- ^ Arco y Garay 1954, pp. 130–131.
参考文献
[編集]- Arco y Garay, Ricardo del (1954). Sepulcros de la Casa Real de Castilla. Madrid: Instituto Jerónimo Zurita. Consejo Superior de Investigaciones Científicas. OCLC 11366237
- Barrau-Dihigo, L. (1989). Historia política del reino Asturiano (718-910). Gijón: Silveiro Cañada. ISBN 84-7286-273-9
- Martínez Díez, Gonzalo (2005). El Condado de Castilla (711-1038): la historia frente a la leyenda. 2 tomos. Valladolid. ISBN 84-9718-275-8
- Salazar y Acha, Jaime de (2013). “Reflexiones e hipótesis sobre algunas incógnitas genealógicas de la antigua dinastía asturleonesa”. Boletín de la Real Academia de la Historia. Madrid: Real Academia de la Historia. pp. 275-296. ISBN 978-84-8951241-2
- Valle Poo, Francisco (2000). El solar de un Viejo Reino (Cangas de Onís-Covadonga-Picos de Europa) (1.ª ed.). Ediciones Nobel S.A.. ISBN 84-8459-004-6