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ピート・ラコック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピート・ラコック
Pete LaCock
2011年3月24日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州バーバンク
生年月日 (1952-01-17) 1952年1月17日(72歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1970年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1972年9月6日
NPB / 1981年4月7日
最終出場 MLB / 1980年10月5日
NPB / 1981年8月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラルフ・ピエール・ラコック・ジュニアRalph Pierre "Pete" LaCock, Jr. , 1952年1月17日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州バーバンク出身の元プロ野球選手内野手)。左投左打。

来歴・人物

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1981年に当時の横浜大洋ホエールズに入団。来日前年の1980年秋はロイヤルズの控え一塁手としてワールドシリーズにも出場したアベレージヒッターの控え一塁手(ただし、その年の打率.205)[1]。松原誠が抜けた大洋では3番打者、一塁手として期待されたが拙守と怠慢プレーが目立ち、また、プライドが高い上に同僚や球団職員への不満をたびたび口にするなど周囲からの評判も悪く、同年限りで解雇される[1]。同年最下位の大洋を象徴する選手となった。

エピソード

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  • 当時ホエールズの海外スカウトを担当していた牛込惟浩は、ラコックについて「オーナーがメジャーリーグ関係者から、経歴だけを聞いて獲得にゴーサインを出した選手であり、性格・身辺調査をした結果、自分としては獲りたくなかった。」と回想している。また、ラコックとの経験が、大洋の外国人選手獲得には性格の調査も重視されるようになったとされる[1]
  • シーズン中に夫人の出産に立ち会うため一時帰国。現在では良くある事だが当時は異例で批判を浴びた。
  • 当時巨人江川卓に強く、ホームランも打っている。
  • 父は著名な司会者のピーター・マーシャル。そのため、幼少の頃から望めば何でも叶う環境で育ち、上記のようなトラブルメーカーになったという。また伯母(父の姉)に女優のジョアン・ドルーがいる。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1972 CHC 5 7 6 3 3 0 0 0 3 4 1 0 0 1 0 0 0 1 0 .500 .429 .500 .929
1973 11 17 16 1 4 1 0 0 5 3 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .250 .294 .313 .607
1974 35 125 110 9 20 4 1 1 29 8 0 0 2 0 12 2 1 16 2 .182 .268 .264 .532
1975 106 292 249 30 57 8 1 6 85 30 0 2 2 4 37 7 0 27 10 .229 .324 .341 .666
1976 106 290 244 34 54 9 2 8 91 28 1 4 2 1 42 6 1 37 5 .221 .337 .373 .710
1977 KC 88 238 218 25 66 12 1 3 89 29 2 1 0 4 15 1 1 25 4 .303 .345 .408 .753
1978 118 347 322 44 95 21 2 5 135 48 1 0 1 3 21 2 0 27 8 .295 .335 .419 .755
1979 132 453 408 54 113 25 4 3 155 56 2 1 1 6 37 7 1 26 16 .277 .334 .380 .714
1980 114 176 156 14 32 6 0 1 41 18 1 0 0 2 17 1 1 10 7 .205 .284 .263 .547
1981 大洋 90 344 300 36 82 16 0 10 128 36 0 1 1 2 41 0 0 41 9 .273 .359 .427 .786
MLB:9年 715 1945 1729 214 444 86 11 27 633 224 8 8 8 21 182 26 5 171 52 .257 .326 .366 .692
NPB:1年 90 344 300 36 82 16 0 10 128 36 0 1 1 2 41 0 0 41 9 .273 .359 .427 .786

記録

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NPB

背番号

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  • 24 (1972年)
  • 25 (1973年)
  • 22 (1974年)
  • 23 (1975年 - 1976年、1981年)
  • 8 (1977年 - 1980年)

脚注

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  1. ^ a b c ベースボールマガジン、2021年 01 月号 特集:横浜大洋ホエールズ マリンブルーの記憶 (ベースボールマガジン別冊新年号) 42頁

関連項目

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外部リンク

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