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ピオトル・トロホウスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピオトル・トロホウスキ
ハンブルガーSV時代 (2009年)
名前
ラテン文字 Piotr Trochowski
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
ポーランドの旗 ポーランド
生年月日 (1984-03-22) 1984年3月22日(40歳)
出身地 トチェフ
身長 169cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MFCMF[1]
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003 ドイツの旗 バイエルンII 38 (8)
2003-2005 ドイツの旗 バイエルン 13 (1)
2005-2011 ドイツの旗 ハンブルガーSV 180 (20)
2011-2015 スペインの旗 セビージャ 59 (3)
2015-2016 ドイツの旗 アウクスブルク 6 (0)
代表歴2
2001  ドイツ U-18 5 (1)
2003  ドイツ U-20 13 (5)
2004-2006  ドイツ U-21 15 (2)
2006-2010 ドイツの旗 ドイツ 35 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月19日現在。
2. 2010年7月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ピオトル・トロホウスキ(Piotr Trochowski, 1984年3月22日 - )は、ポーランドトチェフ出身でドイツ国籍の元サッカー選手。元ドイツ代表である。ポジションはミッドフィールダーセントラル・ミッドフィールダーだが、左のサイドハーフウイングでも起用されていた[1]

経歴

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出自

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彼の家系は1919年までドイツ帝国の領域(旧ドイツ東部領土)であった西プロイセンに由来しており、ゲルマン人ではなくスラブ人であったが、法的にドイツの系譜を受け継いでおり、すべての祖父母はドイツ国籍を有していた[2]。ピオトル・トロホウスキはポーランド・ポモージェ県トチェフに生まれ、彼が5歳の時、両親とともに帰還権英語版を行使してドイツのハンブルクに移住した[3]

クラブ

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9歳の時にBillsted Hornでサッカーをはじめ、その後はSCコンコルディア・ハンブルクFCザンクトパウリの下部組織でプレーした。1999年にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に移り、2001年にバイエルン・ミュンヘンIIに昇格した。2003年にトップチーム初出場を果たしたが、出場機会は少なく、2005年1月に故郷のハンブルクにあるハンブルガーSVに移籍した。トーマス・ドル監督に出場機会を与えられ、自らの価値を証明した。2005年9月24日のバイエルン戦(2-0)では古巣相手に1得点1アシストの活躍を見せた。2005-06シーズンにはレギュラーに定着して5得点を挙げ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得に貢献した。

2011年4月5日、シーズン終了後にリーガ・エスパニョーラセビージャFCに移籍することが合意に達した。2010-11シーズン後半戦はハンブルガーSVにとてあつかいづらい選手であり、ウィンターブレーク明けにはめっきり出場機会が減っていた[4]

2015年7月21日、FCアウクスブルクへ移籍[5]。4シーズンぶりにドイツへ復帰した。

代表

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ファンやレポーターに囲まれたトロヒョウスキ

ポーランドで生まれたため、ポーランド代表を選択する権利も有していた。ピオトルの母親はポーランドサッカー協会Polish Football Association)に何度も手紙を出し、ピオトルが優れた才能の持ち主であることや、彼がポーランド代表招集に乗り気であることを知らせた[6]。しかし、ポーランドサッカー協会は彼に興味を示さず、彼はドイツ代表を選択することとなった。2005年8月に行われたインタビューで「僕の心はドイツよりもポーランドにある。でもポーランドサッカー協会の人間は誰ひとり僕に関心を示さなかった。それでドイツ代表でプレーすることを選んだ。僕の母が(ポーランドサッカー協会に)送った手紙に返信はなかった。そしてドイツサッカー協会は僕に興味を示したからね」と語った[3]。しかし、ドイツのディ・ヴェルト紙では「もし過去に戻れたとしてもドイツ代表でプレーすることを望んだろう。学校は楽しいし、ここでサッカーの技術を得たから」と語っている[7]。2003年にはU-20ドイツ代表としてFIFAワールドユース選手権に参加した。ハンブルガーSVに移籍して1年後にはドイツA代表ヨアヒム・レーヴ監督が初めて彼を招集し、2006年10月7日のジョージアとの親善試合でデビューを飾った。UEFA欧州選手権2008予選では6試合に出場し、UEFA欧州選手権2008本大会にも出場した。2008年10月15日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ウェールズ戦で代表初得点を決めた。本大会では準決勝のスペイン戦に右WGとして先発出場したほか、アルゼンチン戦など、3試合でも途中出場を果たした。

人物

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3人の兄弟はいずれもセミプロのサッカー選手である[7]。従兄のクリスティアン・トロホウスキ英語版ラグビードイツ代表の選手である[8]

タイトル

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クラブ

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代表

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個人成績

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クラブでの出場記録

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2010年5月16日時点
クラブ成績 リーグ カップ 国際大会 通算
シーズンクラブリーグ 出場得点出場得点 出場得点 出場得点
ドイツ リーグDFBポカール ヨーロッパ 通算
2001–02 バイエルンII レギオナルリーガ南部 7 0 0 0 0 0 7 0
2002–03 9 1 1 0 0 0 10 1
バイエルン ブンデスリーガ 3 0 0 0 0 0 3 0
2003–04 10 1 1 1 0 0 11 2
バイエルンII レギオナルリーガ南部 17 6 0 0 0 0 17 6
2004–05 5 1 1 0 0 0 6 1
ハンブルガーSV ブンデスリーガ 3 0 0 0 0 0 3 0
2005–06 32 5 3 0 16 2 51 7
2006–07 26 2 1 0 8 1 35 3
2007–08 32 1 4 2 14 3 50 6
2008–09 31 5 3 0 5 0 39 5
2009–10 33 4 1 3 13 2 47 9
2010–11 21 2 1 0 0 0 22 2
総通算 229 28 16 6 56 8 301 42

代表での得点

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 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2008年10月15日 ドイツの旗 メンヒェングラートバッハ  ウェールズ 1–0 1-0 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
2. 2009年6月2日 アラブ首長国連邦の旗 アブダビ  アラブ首長国連邦 0-3 2-7 親善試合

脚注

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  1. ^ a b “Piotr Trochowski”. NATIONAL FOOTBALL TEAMS. https://www.national-football-teams.com/player/16403/Piotr_Trochowski.html 2024年3月20日閲覧。 
  2. ^ Gazeta W.; SPIEGEL 22032010, p. 21
  3. ^ a b Łukasz Pałucha (2005年8月21日). “Piotr Trochowski - mówią o nim Zidane” (Polish). Gazeta Wyborcza. 2009年4月5日閲覧。
  4. ^ Piotr Trochowski: Neuer Anlauf in Sevilla” (German). kicker.de (2011年4月5日). 2011年4月6日閲覧。
  5. ^ Trochowski erhält Vertrag beim FCA” (German). FCアウクスブルク公式 (2015年7月21日). 2015年7月22日閲覧。
  6. ^ Trochowski: Polski nigdy się nie wyrzekłem” (Polish) (2008年4月25日). 2009年4月5日閲覧。
  7. ^ a b Kai Behrmann (2008年6月7日). “Familie Trochowski jubelt über deutsche Tore - auf Polnisch” (German). welt.de. 2009年8月25日閲覧。
  8. ^ TotalRugby-XV der Hinrunde 2009/2010 - Props” (German) (18 December 2009). 16 March 2010閲覧。

外部リンク

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