ピエール2世 (ラ・マルシュ伯)
表示
ピエール2世 Pierre II | |
---|---|
ラ・マルシュ伯 | |
ピエール2世の紋章 | |
在位 | 1362年 |
出生 |
1342年 |
死去 |
1362年 フランス王国、リヨン |
埋葬 | フランス王国、ヴァンドーム、聖ジョルジュ聖堂参事会教会 |
家名 | ブルボン家 |
父親 | ラ・マルシュ伯ジャック1世 |
母親 | ジャンヌ・ド・シャティヨン |
ピエール2世・ド・ブルボン(フランス語:Pierre II de Bourbon, 1342年 - 1362年)は、ラ・マルシュ伯(在位:1362年)。フランスの血統親王(Prince du sang)。
生涯
[編集]ラ・マルシュ伯ジャック1世とジャンヌ・ド・シャティヨンの長男として生まれた[1]。ブリニエの戦いの少し前に父により騎士とされ、父とともにブリニエの戦いに参加した[2]。戦いのさなかに父子とも致命傷を負い[2]、兵士によりリヨンに運ばれた。ピエール2世は父よりわずかの間生き延びただけであった。弟ジャン1世がラ・マルシュ伯位を継承した。
脚注
[編集]- ^ Thompson 1909, p. 527.
- ^ a b Villalon & Kagay 2017, p. 116.
参考文献
[編集]- Villalon, Andrew; Kagay, Donald (2017). To Win and Lose a Medieval Battle: Nájera (April 3, 1367), A Pyrrhic Victory. Brill
- Thompson, James Westfall (1909). The Wars of Religion in France, 1559-1576. The University of Chicago Press
|
|
|