ピエール=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット
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ピエール=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット男爵(フランス語: Pierre-Victor de Besenval de Brünstatt、1721年10月14日 ゾロトゥルン - 1794年6月2日 パリ)は、フランス王国の軍人。ギャルド・スイスの最後の隊長で、フランス革命最初期における役割で知られる。
生涯
[編集]ギャルド・スイス隊長ジャン=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット男爵の息子として、ゾロトゥルンで生まれた[1]。オーストリア継承戦争中にブロイ公爵の侍従武官を務め、七年戦争ではオルレアン公ルイ・フィリップ1世の侍従武官を務めた[1]。その後はギャルド・スイスの隊長になった[1]。
1789年にフランス革命が勃発したとき、ブザンヴァルは王党派に留まり、国王ルイ16世が7月にパリで集結させた軍勢の指揮官を務めた[1]。しかし、ルイ16世が軍勢を集結させたことが引き金となって7月14日にバスティーユ襲撃がおこり、ブザンヴァルは無為無策でしかも逃亡しようとした[1]。彼は逮捕されてシャトレの裁判所で裁判にかけられたが、無罪判決を受け、以降は世に知られずに暮らして1794年にパリで死去した[1]。
死後、回想録が1805年から1807年にかけてルイ=フィリップ・ド・セギュールによって出版された[1]。回想録にはルイ16世と王妃マリー・アントワネットの宮廷に関する中傷的な話が多く含まれたが、ブリタニカ百科事典第11版によると、それらの話が真実かどうかは定かではないという[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 3 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 820.