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ピエール・セリジアの肖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ピエール・セリジアの肖像』
フランス語: Portrait de Pierre Sériziat
英語: Portrait of Pierre Seriziat
作者ジャック=ルイ・ダヴィッド
製作年1795年
種類油彩、板
寸法129 cm × 95.5 cm (51 in × 37.6 in)
所蔵ルーヴル美術館パリ

ピエール・セリジアの肖像』(ピエール・セリジアのしょうぞう、: Portrait de Pierre Sériziat, : Portrait of Pierre Seriziat)は、フランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドが1795年に制作した絵画である。油彩。義兄ピエール・セリジア(Pierre Sériziat)を描いた作品で、彼の妻を描いた『セリジア夫人の肖像』(Portrait de Madame Seriziat)と対作品。現在はともにパリルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4][5]。また異なるバージョンがオタワカナダ国立美術館に所蔵されている[6]

制作背景

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額縁。

ロベスピエール恐怖政治に加担したダヴィッドであったが、ロベスピエールが1794年7月28日に処刑されると、ダヴィッドもまた8月2日に逮捕された。彼は1か月の間、オテル・デ・フェルムの留置所に囚われたのち、リュクサンブール宮殿に移され、そこで唯一の風景画リュクサンブール庭園の眺め』(Vue du jardin du Luxembourg à Paris)や『サビニの女たち』(Les Sabines)の最初の習作を制作した。弟子たちの訴えで12月28日に釈放されたが、一連の出来事は美術界に敵を作り出し、激しい弾劾と中傷を受けた。ダヴィッドは身の危険を感じ、また重病にかかったため、国民公会に許可を得て1795年4月にパリ郊外のサン=トゥアンにいた友人で義兄のピエール・セリジアのもとに身を寄せた。セリジアの妻エミール・ペクル(Émilie Pecoul)はダヴィッドの妻シャルロット(Charlotte Pécoul)の姉であった。彼らはダヴィッドに対して好意的で、ダヴィッドもまた友情の証として同年5月頃にエミールの肖像画の制作を開始した。5月29日に再逮捕され、コレージュ・デ・キャトロ・ナシオンフランス語版留置所に連行されたが、エミールの家族の尽力もあって8月初めに釈放され、その月のうちに彼女の肖像画を完成させた。さらにその後、ピエールの肖像画を制作し、9月の終わりから10月の初めごろに完成させた[2][7][8]

作品

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対作品の『セリジア夫人の肖像』。1795年。ルーヴル美術館所蔵[8][9][10]
『ピエール・セリジアの肖像』1790年頃 カナダ国立美術館所蔵[6]

ダヴィッドは丘の上で優雅に座ったピエール・セリジアを描いている。彼は腰かけた岩に外套を敷き、真横に近い角度で座っているが、わずかに身体を開いて鑑賞者のほうに視線を向けている。ただしその視線は真正面ではなく少し右に流れている。ピエールは左足を右膝の上に乗せており、小脇に挟んだ乗馬用のを右手に持っている。一方、左手は手袋を握ったまま腰に当てている。ピエールの物腰は自然であり、表情は非常に生き生きとしている。そこには優しさと、好奇心、素朴さがあり、時に鋭さと皮肉っぽさを垣間見ることができる。背景の空はほとんど雲で覆われているが、斜めに入った狭い隙間から青空が覗いており、左からわずかばかりの秋の夕日が差し込んでいる[2]

肖像画は簡素でありながら新鮮で、ダヴィッドの鋭い観察眼を示している。また同時にダヴィッドがテルミドール以降、心の平穏を取り戻していることを示している[7]

私は1分たりとも無駄に過ごしてはいません。二つ目の肖像画が出来上がりそうです。義姉の肖像画が完成したので、今度は彼女の夫のものを制作していますが、彼はまことに親切で今後とも付き合いやすい人です。生活もとても気に入っています。私はたいへんここの生活が気に入っています。自然のただなかにいて、田園生活と自分の芸術に係わりのある仕事だけに没頭しています[2][7]

ダヴィッドはピエールの服装の色彩について別段選ぶことをしていない。しかしダヴィッドはそれらの色彩を明確な秩序の中に再構成して、巧みに配色している。衣装の白色と黄色の色調は表情の若々しさを強調し、その上にある強い色彩は優雅な物腰にひとつの枠を与えている[2]

来歴

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夫婦の肖像画は完成するとその年のサロンに出展され、ダヴィッドが苦難を乗り越え、画家として健在であることを示した[1][5][7]。1902年に取得された[3][4]

脚注

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  1. ^ a b 『西洋絵画作品名辞典』p. 365。
  2. ^ a b c d e ナントゥイユ 1987年、p. 126。
  3. ^ a b Pierre Sériziat (1757-1847), beau-frère de l'artiste”. ルーヴル美術館公式サイト. 2024年10月26日閲覧。
  4. ^ a b Pierre Sériziat”. POP : la plateforme ouverte du patrimoine. 2024年10月26日閲覧。
  5. ^ a b Portrait of Pierre Sériziat”. Web Gallery of Art. 2024年10月26日閲覧。
  6. ^ a b Pierre Sériziat”. カナダ国立美術館公式サイト. 2024年10月26日閲覧。
  7. ^ a b c d ナントゥイユ 1987年、p.31-34。
  8. ^ a b ナントゥイユ 1987年、p.124。
  9. ^ Madame Pierre Sériziat, née Émilie Pecoul, soeur de Mme David, née Marguerite-Charlotte Pécoul, et un de ses fils, Émile, né en 1793”. ルーヴル美術館公式サイト. 2024年10月26日閲覧。
  10. ^ Madame Pierre Sériziat née Émilie Pecoul et un de ses fils Émile”. POP : la plateforme ouverte du patrimoine. 2024年10月26日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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