ビージャール
ビージャール بيجار | |
---|---|
市(シャフル) | |
ビージャール産の絨毯 | |
座標:北緯35度52分22秒 東経47度36分10秒 / 北緯35.87278度 東経47.60278度座標: 北緯35度52分22秒 東経47度36分10秒 / 北緯35.87278度 東経47.60278度 | |
国 | イラン |
州 | コルデスターン州 |
郡 | ビージャール郡 |
人口 (2016年) | |
• 都市部 | 50,014[1]人 |
等時帯 | UTC+3:30 (IRST) |
• 夏時間 | UTC+4:30 (IRDT) |
ビージャール(ペルシア語: بیجار; クルド語: بیجاڕ)[2][3]とは、イランのコルデスターン州の都市で、ビージャール郡の郡中央市に定められている。2016年当時の人口は50,014人。
ビージャールは標高1,940mの地点に位置し、イランの屋根と呼ばれている。[4]
人口統計
[編集]町には主に南部クルド語を話すクルド人が住んでいるが、クルド語の方言であるソラニーも話されている。[5]
歴史
[編集]ビージャールの名前が最初に資料に現れたのは15世紀であり、サファヴィー朝の最初の君主であるイスマーイール1世が支配する村として記録されている。[6]
19世紀にビージャールの規模は発展し、第一次世界大戦前には約20,000人の住民が生活していた。しかし、第一次世界大戦時にロシア、イギリス、オスマン帝国に町は包囲・占領され、続く飢饉によって人口は半減した。[6]
産業
[編集]ビージャールはペルシア絨毯の主要な生産地の一つとして知られている。ビージャールの絨毯は耐久性に優れていることで知られ、ヘラーティ(菱形)、メダリオン、花の文様があしらわれている。[7]絨毯はビージャールとその周囲の村落で作られており、工場の生産に依らない家内工業が営まれている。[6]
建築
[編集]ビージャールの北東45kmに存在するガム・チョガは、メディア王国時代に遡ると思われるコルデスターン州で最も古い城塞の遺跡であり、サーサーン朝時代まで使用された。
ビージャールの東45kmに位置するEmamzadeh Aqilは、セルジューク朝時代の建築物の一つである。崩落したドームを備える、縦6m、横6.5mの方形の建物には、クーフィー体の文字で書かれたクルアーンが収められている。
ビージャールとサナンダジュを結ぶ街道の途上には廃城があり、[8]13世紀にモンゴル帝国がイランに侵入した際に建てられたため、「チンギス城」と呼ばれている。[4]
独特の外観で知られる屋根付きのバザールは、ガージャール朝期に建てられた施設である。バザールは南北を通る屋根付きの通路、東部分(Timcheh-e Haj Shahbaz)、西部分(Timcheh-e Amir Toman)で構成される。より古いサファヴィー朝時代に建設されたバザールも存在していたが、第一次世界大戦期に焼失した。[4]
脚注
[編集]- ^ Statistical Center of Iran > Home
- ^ “قائیمقام و ئەنجوومەنی شاری بیجاڕ رێککەوتن دژایەتی یەکدی نەکەن”. Rûdaw. (13 December 2016) 18 March 2020閲覧。
- ^ “Kurd hunera xwe arzan difroşin”. Yeni Özgür Politika. (23 April 2014) 18 March 2020閲覧。
- ^ a b c “Bijar”. Toiran. 8 October 2017閲覧。
- ^ “Language distribution: Bijar”. Iran Atlas. 2017年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。15 August 2020閲覧。
- ^ a b c “Bijar”. Encyclopædia Iranica. 8 October 2017閲覧。
- ^ “Bidjar”. 2022年5月閲覧。
- ^ “Changiz Castle”. Tell Me About Iran. 9 October 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。8 October 2017閲覧。