ビーグル (砲艦)
ビーグル | |
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HMSビーグル及び同型艦ラングラー、1855年 | |
基本情報 | |
建造所 | C.J.メア社、ロンドン |
運用者 |
イギリス海軍 薩摩藩 大日本帝国海軍 |
建造費 |
£23,091 (船体:£8,302、機械類:£9,725)[1] |
艦歴 | |
発注 | 1854年4月10日 |
起工 | 1854年4月15日 |
進水 | 1854年7月20日 |
就役 | 1854年9月3日[1] |
最期 |
1863年、薩摩藩に売却 1889年解体 |
改名 | 乾行 (1863年) |
要目 | |
排水量 | 586 tons |
長さ | 160 ft (49 m) |
幅 | 25 ft (7.6 m) |
吃水 | 11.7 ft (3.6 m)[1] |
推進 |
2気筒横型単式膨張蒸気エンジン 単一スクリュー[1] 帆走 (バーク) |
出力 | 160 hp (119 kW) |
乗員 | 65人 |
兵装 |
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HMSビーグル(HMS Beagle)は、イギリス海軍のアロー級砲艦で、薩摩藩に売却され乾行と命名された。ビーグルの名前を持つ英国海軍の艦船としては4代目にあたる。
設計
[編集]クリミア戦争の勃発により、バルト海や黒海の沿岸で行動可能な浅喫水の艦船が求められた。このため、1854年に6隻のアロー級木造スクリュー推進砲艦が製造された。製造はロンドンにあるC.J.メア社及びR & H グリーン社で行われた[1]。元々は通報艦として建造されたが、1856年に2等砲艦に分類された。1855年には、イントレピッド級1等砲艦及びヴィジラント級2等砲艦も発注されている。
エンジン
[編集]Tennant & Dykes社製の2気筒横置き単式膨張式蒸気エンジンは160馬力を発揮し、短軸スクリューを駆動した[1]。
帆走形式
[編集]武装
[編集]アロー級には、旋回式の68ポンドランカスター前装施条砲をが門、32ポンド砲が4門搭載された。
建造
[編集]ビーグルはアロー級の2番艦として、C.J.メア社で1854年4月15日に起工、同年7月20日に進水した。2ヶ月後の9月3日に竣工し、英国海軍の艦船となった[1]。
艦歴
[編集]1854年から1856年にかけてクリミア戦争に参加。戦争中に乗員2人がヴィクトリア十字章を受章している[2] 。1859年からは東インド・中国艦隊の所属となった。
日本への売却
[編集]1863年、ビーグルは香港で薩摩藩に売却された。薩摩藩は乾行と命名した。その後帝国海軍に編入され練習艦として使用され、1889年に解体された[3]。
但し、日本側の記録では、1864年で英国船ストークを購入したとなっているため[4]、 ビーグルはストークと改名、薩摩藩が購入したとしている[5]。 また、造船所がロンドンではなくリヴァプール、竣工が1854年ではなく1859年などの相違がある[4][5]。
参考資料
[編集]- ^ a b c d e f g h i Winfield, Rif; Lyon, David (2004). The Sail and Steam Navy List: All the Ships of the Royal Navy 1815–1889. London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-032-6. OCLC 52620555.
- ^ "No. 21971". The London Gazette (英語). 24 February 1857. p. 652. 2008年6月25日閲覧。
- ^ “How the ship, HMS Beagle, got her name.”. AboutDarwin. 2008年6月25日閲覧。
- ^ a b アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)『海軍歴史 巻之23 船譜(1)』。Ref.C10123646500。(勝海舟『海軍歴史』巻23。)画像8。
- ^ a b 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。465ページ。