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ビル・ソーレル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビル・ソーレル
Bill Sorrell
カンザスシティ・ロイヤルズ時代
(1970年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ケンタッキー州ローワン郡
生年月日 (1940-10-14) 1940年10月14日
没年月日 (2008-07-22) 2008年7月22日(67歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手二塁手外野手
プロ入り 1959年
初出場 MLB / 1965年9月2日
NPB / 1972年4月9日
最終出場 MLB / 1970年10月1日
NPB / 1973年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリアム・リー・ソーレルWilliam Lee Sorrell[1] , 1940年10月14日 - 2008年7月22日)は、アメリカ合衆国ケンタッキー州出身のプロ野球選手内野手外野手)。

経歴

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サンディエゴ大学を経て、1959年フィラデルフィア・フィリーズと契約。1965年9月2日の対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で代打で出場してMLBデビューを果たし、初打席初安打をマークする。その後のメジャー定着はならず、1967年にジャイアンツで18試合、1970年カンザスシティ・ロイヤルズで57試合に出場した以外はマイナーリーグ生活であった。

1972年NPB阪急ブレーブスに入団し、主に2番や3番の打順で二塁手三塁手として起用された。また、住友平の成長でシーズン後半は左翼手を務めることが多かった。日本シリーズでは打率.429の好成績を残している[2]1973年は5月5日に自宅の階段で転倒して左手首を骨折し、全治6週間と診断された[3]。このため長期欠場して64試合の出場に終わり、同年で阪急を退団している。

2008年7月22日に、カリフォルニア州サンディエゴで67歳で逝去した。

プレースタイル

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内外角とも苦にしない打撃には、対戦した江本孟紀らから定評があった[4]。チャンスメーカーとして活躍した[5]。一方でフィールディングには難があり、1972年の日本シリーズ第2戦では左翼守備で大量失点のきっかけを作っている[6]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1965 PHI 10 15 13 2 5 0 0 1 8 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .385 .467 .615 1.082
1967 SF 18 21 17 1 3 1 0 0 4 1 0 0 1 0 3 0 0 2 0 .176 .300 .235 .535
1970 KC 57 145 135 12 36 2 0 4 50 14 1 0 0 0 10 4 0 13 5 .267 .317 .370 .688
1972 阪急 119 456 424 52 123 22 6 16 205 63 5 4 1 4 23 0 4 30 11 .290 .330 .483 .813
1973 64 132 115 9 27 2 0 4 41 12 4 0 0 2 14 0 1 11 3 .235 .318 .357 .675
MLB:3年 85 181 165 15 44 3 0 5 62 17 1 0 1 0 15 4 0 16 5 .267 .328 .376 .704
NPB:2年 183 588 539 61 150 24 6 20 246 75 9 4 1 6 37 0 5 41 14 .278 .327 .456 .783

背番号

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  • 24 (1965年)
  • 18 (1967年)
  • 7 (1970年)
  • 4 (1972年 - 1973年)

脚注

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  1. ^ http://www.thebaseballcube.com/players/profile.asp?ID=18262
  2. ^ 読売新聞、1973年10月22日付朝刊、P.17
  3. ^ 読売新聞、1973年5月9日付朝刊、P.19
  4. ^ 読売新聞、1972年10月2日付朝刊、P.11
  5. ^ ベースボールマガジン、2011年9月号 P96
  6. ^ 読売新聞、1972年10月24日付朝刊、P.11

関連項目

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外部リンク

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