ヒロ湾
ヒロ湾(ヒロわん、英語: Hilo Bay)はアメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島の東海岸にある湾で、ヒロの町はこの湾に面している。
概要
[編集]ハワイの近代の町ヒロはヒロ湾を見下ろし、経緯度は北緯19度44分10秒 西経155度4分37秒 / 北緯19.73611度 西経155.07694度座標: 北緯19度44分10秒 西経155度4分37秒 / 北緯19.73611度 西経155.07694度である。湾の北はマウナケア山の斜面にあるハマクア地域の海岸で、湾の南はマウナロア山の斜面にあるプナ地区に属する。湾のすぐ内陸の地域はヒロ地区であり、そこは南・北ヒロに分かれている。ヒロのダウンタウンはこの湾に面しており、近くの湾の端にあるリリウオカラニ公園には、バニヤン通りが通っている。
歴史
[編集]ヒロ湾に面した村の古代ハワイ語の名前はワイアケアといった[1]。英国海軍ブロンド号(HMS Blonde)のチャールズ・ロバート・マルデンによって1825年に初期調査がされた後、ジョージ・バイロン船長(第7男爵バイロン)の名を取って「バイロンズ・ベイ」と呼ばれるようになり、湾の東側にあるサンゴ礁は「ブロンド・リーフ」と呼ばれている。湾を横切る最初の防波堤は、デルバート・メッガーとの契約の下、1908年に最初に建設された[2]。これは1911年に延長されて、1929年に完成し[3]、ヒロ港はこの突堤に囲まれた最奥(最南部)にある。小さな島モク・オラは、現在ココナツ島と呼ばれていて、古代には癒しが行われた場所であった[4]。
津波
[編集]ヒロ湾は「アメリカの津波の首都」と呼ばれることもある[5]。湾の地形は、チリやアリューシャン列島などの地震が活発な地域からの津波を、ヒロに引き起こしている[6]。1946年4月1日、1946年アリューシャン地震による津波により、ヒロ湾で96人が亡くなっている。 1960年5月23日、チリで発生した1960年バルディビア地震(これまでで最も強力な地震)に起因する津波により、ヒロで61人が亡くなっている。 2010年2月27日のチリ地震の後、ヒロ湾で太平洋津波警報センター(PTWC)のサイレンが鳴り、避難指示が出されたため、怪我人はいなかった。これにより、このセンターの有効性が示された[7]。
参照項目
[編集]脚注
[編集]- ^ U.S. Geological Survey Geographic Names Information System: Hilo Bay
- ^ C. E. Fuguson (1909). "Hilo Breakwater Notes". Overland Monthly. LIV. p. 73.
- ^ John R. K. Clark (1985). Beaches of the Big Island. University of Hawaii Press. p. 22. ISBN 978-0-8248-0976-8
- ^ Lloyd J. Soehren. “lookup of mokuola”. Hawaiian Place Names web site. University of Hawaii. 2010年3月17日閲覧。
- ^ Castle Hotels & Resorts
- ^ “Hilo has been tsunami magnet”. ホノルル・アドバタイザー. (February 27, 2010). オリジナルのMarch 4, 2010時点におけるアーカイブ。 2010年2月28日閲覧。
- ^ Susan Essoyan (February 28, 2010). “Hours of waiting, watching from vantage points around state” 2010年2月28日閲覧。