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ヒュー・ダグラス・ハミルトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒュー・ダグラス・ハミルトン(Hugh Douglas Hamilton、1740年頃 - 1808年2月10日)はダブリン生まれの、肖像画家、人物画家である。ロンドンやイタリアで長く活動した。

『アモルとプシュケ(Cupid and Psyche)』(蔵)アイルランド国立美術館

略歴

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ダブリンのカツラ職人の息子に生まれた。1754年から装飾具の仕事をして、1756年には王立ダブリン協会の美術学校の装飾具の教師を務めた。地図などのデザインの仕事もした。アイルランドの銀行の創業者の一族、La Touche家と付き合い、1865年頃には一族のDavid La Toucheのパステル肖像画を描いた。

1764年にロンドンに移り、ロンドンではパステルによる肖像画家として成功した。王族や政治家や当時の上流階級の肖像画を描き、1760年代半ばから1770年代半ばまでイギリス画家協会(Society of Artists of Great Britain)やフリー・ソサイエティ・オブ・アーティスト(Free Society of Artist)の展覧会に出展した。1769年に結婚した。

アントニオ・カノーヴァと画家のヘンリー・トレシャム

1779年頃からイタリアに旅し、1782年からローマに滞在した。1784年から1786年の間はフィレンツェに滞在し1784年にはヴェネツィアを旅した。フィレンツェの絵画アカデミー(Accademia del Disegno)の会員に1784年に選ばれた。1786年にローマに戻り、ローマには1791年まで滞在した。1788年にはナポリやポンペイに旅した。ローマで、「グランドツアー」などでローマを訪れるイギリス人などの肖像画を多く描いた。ローマではイタリアの彫刻家アントニオ・カノーヴァのアトリエをしばしば訪れ、カノーヴァの作品から着想を得た作品を描き1892年のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に出展した。

1792年にローマからロンドンに戻り、その後ダブリンにスタジオを開いた。この頃はパステルを使うのを止めて、油絵を描いた[1]

作品

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脚注

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  1. ^ Fintan Cullen, Sources in Irish Art: A Reader, p. 185-189, Cork University Press, 2000 ISBN 978-1-85918-155-3 (extraits)

参考文献

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  • Anne Hobbs, Hugh Douglas Hamilton (1740-1808): a life in pictures, p. 44–52, National Gallery of Ireland, Dublin, 2008 (ISBN 978-1-904288-35-0)
  • Anthony Pasquin, An authentic History of the Professors of Painting, Sculpture and architecture who have practised in Ireland, p. 25 (lire en ligne)
  • John Warburton, James Whitelaw, Robert Walsh, History of the City of Dublin: From the Earliest Accounts to the present time, Volume 2, p. 1205, London, 1818 (lire en ligne) [archive]
  • Lionel Henry Cust , Hugh Douglas Hamilton, Dictionary of National Biography, 1885-1900, Volume 24