ヒュッカラのライス
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ヒュッカラのライス(英語: Lais of Hyccara、? - 紀元前340年)は、紀元前4世紀の古代ギリシアの高級娼婦(ヘタイラ)。おそらくはシチリア島のヒュッカラ(後のカリーニ)の生まれであり、テッサリアで没した。同じ名の娼婦としては、紀元前5世紀の人物であるコリントのライスがいる。古代から、伝聞に基づく間接的な記述において、彼女たちふたりはしばしば混同され、また、いずれに言及しているのか判然としないままとされるなど、ふたりは密接に結び付けられてきた。
ヒュッカラのライスについては、様々な逸話が残されている。例えば、 デモステネスが、彼女と一夜を共にするのに 1,000 ドラクマを支払いたいと言ったのに対して、彼の姿を見た後でライスは、10,000 ドラクマでなければ嫌だと値段を引き上げさせたといい[1]、その一方でディオゲネスには無償で身を任せたという[2]。
彼女は、ティマンドラ (Timandra) の娘、ないし、アテナイオスによればダマサンドラ (Damasandra) の娘であった。また、同時代のフリュネとはライバルであった。ライスはテッサリア人のヒッポストラトゥス (Hippostratus)、ないし、ヒッポロクス (Hippolochus) に恋し、彼に連れられてテッサリアに赴いた。伝説では、テッサリアの女性たちが、嫉妬からライスをアプロディーテーの神殿におびき出し、石打ちで殺したのだという。亡骸はピニオス川のほとりに埋葬された。
脚注
[編集]- ^ Wallechinsky, David (1978). The People's Almanac Presents the Book of Lists. New York: Bantam Doubleday Dell. pp. 328–9. ISBN 0-553-11150-7
- ^ “Athenaeus: Deipnosophists - Book 13 (b)”. 2008年11月1日閲覧。
- この記事には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Charles Peter Mason (1870). "Lais". In Smith, William (ed.). Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology (英語). Vol. 2. p. 712.
外部リンク
[編集]- Athenaeus, Deipnosophists, Book 13 English translation at attalus.org