コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヒズブル・イスラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソマリア内戦
Hizbul Islam
幹部 {{{leaders}}}
活動期間: 2009年2月-2010年
本拠地: {{{headquarters}}}
活動範囲: {{{areaofoperations}}}
前組織: ソマリア再解放連盟、ラスカンボニ軍、ジャブハトゥル・イスラミア、ムアスカー・アノレ
後継組織: アル・シャバブなど
関連組織: {{{allies}}}
対立組織: {{{opponents}}}

ヒズブル・イスラムアラビア語: حزب الإسلام‎, Hizbul Islam)はソマリアのイスラム主義武装集団。2009年2月に4つの軍閥が統合して設立され、ソマリア南部でアル・シャバブと並ぶ2大勢力の一つであったが、2010年末にアル・シャバブへ全面降伏した。ヒズブル・イスラムとはアラビア語で「イスラム党」の意味であり、アラビア語圏ではこの集団と無関係にヒズブル・イスラムと名乗る団体があるので注意が必要である。

歴史

[編集]

結成

[編集]

2009年1月31日、イスラム法廷会議から分かれたソマリア再解放連盟英語版の中で穏健派として知られていたシェイク・シャリフ・シェイク・アフマドソマリア暫定連邦政府の大統領に就任した。この後に報道等で「イスラム法廷派」とされている勢力の多くは、この際にソマリア暫定連邦政府に付いた勢力である。ただし、あくまでも政府寄りという立場であり、必ずしも政府の意向に従った行動を取らない。一方、ソマリア内戦勃発当時には無数にあった軍閥だが、アフマドが大統領に就任した頃のソマリアの主要勢力は、北西部のソマリランド、北東部から中央部にかけてのソマリア暫定連邦政府、南部のイスラーム武装勢力アル・シャバブの大きく3つであり、それ以外の勢力は弱小化しつつあった。

2009年2月4日、ソマリア南部にあってこれら大勢力に属さない4つの軍閥が連合を組んだ。企画したのはソマリア再解放連盟英語版エリトリア派の上級メンバー、ハッサン・マフディ師であり、新組織の名はヒズブル・イスラム(イスラム党)となった。参加したのはソマリア再解放連盟エリトリア派、ジャブハトゥル・イスラミアラスカンボニ軍ムアスカー・アノレ英語版の4組織だった。新組織ヒズブル・イスラムはアル・シャバブと共にソマリア暫定連邦政府やAMISOMに反抗する旨を表明した[1]。また、オマル・イマン師英語版が議長となった[2]。なお、ソマリア再解放連盟はヒズブル・イスラムができる前にエリトリア派とジブチ派に分裂しており、参加したのはエリトリア派のみである。ジブチ派はソマリア暫定連邦政府と合流し、リーダーのシェイク・シャリフ・シェイク・アフマドが2009年1月にソマリア大統領となった。

この動きに対して地元有力氏族ハウィエの長老会議代表は「ヒズブル・イスラムは戦闘をやめるべきである。オマル・イマンらはソマリアの危機に際してエリトリアに逃亡していた身であり、首都モガディシュの民衆が戦争に疲れた今になって戦闘継続を表明するのはおかしい」と主張している[3]。2月28日にはヒズブル・イスラムはソマリア暫定連邦政府との停戦に応じる動きを見せたものの[4]、3月1日には停戦がなされないことが確実となった[5]

初期の活動

[編集]

初期にはアル・シャバブとの関係は良好であり、3月中旬にアル・シャバブがソマリア中部の都市ドゥサマレブを攻略する際にも手を貸している[6]。また4月中旬、ヒズブル・イスラムのオマル・イマン議長は、ソマリア暫定連邦政府内の旧イスラム法廷会議勢力と、アル・シャバブの仲介をしたい旨を表明している[7]。ただし、これは実現しなかった。

ヒズブル・イスラム内の結束は必ずしも固いとは言えず、4月21日、同じヒズブル・イスラム同士のアノーレとラスカンボニ軍がキスマヨの西40キロメートルのアブダラ・ビロレ村で戦闘を行った。戦闘のきっかけは、アノーレに属する部隊がブロ・ハジ村に侵入したのを受けて、ラスカンボニ軍が隣のアブダラ・ビロレ村を拠点に反撃をしたことだった。戦闘により4人が死亡、7名が怪我を負った[8]

アウェイスの帰還

[編集]

4月下旬、ソマリア再解放連盟エリトリア派の主要メンバーであるアウェイス師エリトリアから2年ぶりに帰国した[9]。5月1日、アウェイス師は「反対派の殺害が許されるのは宗教的正義がある場合に限るのであり、反対派だからというだけで殺害していけない」との見解を表明している[10]

5月4日、アル・シャバブとヒズブル・イスラムのオマール・イマン議長、アウェイス師ら主要メンバーが協力して、ヒズブル・イスラムのユスフ・モハッメド・シアド・インダーデ英語版のグループを攻撃した。ユスフ・モハメド・シアドグループの副官は、アル・シャバブとヒズブル・イスラムが自分たちの管轄範囲を侵していると非難した[11]。ユスフ・モハメド・シアドはソマリア暫定連邦政府と会談して一度はヒズブル・イスラムを脱退する意思を表明したが[12]、5月12日には、アウェイス師に軍権を引渡し、分裂問題は解決した[13]

5月26日、オマール・イマンが議長を辞任し、アウェイス師が後任となった。アウェイスはこれより前からヒズブル・イスラムで最多数派を率いていた[14]

6月3日、政府軍は首都モガディシュでアル・シャバブとヒズブル・イスラムの勢力を排除するのに成功したと報じられた[15]。6月7日にはソマリア中部ガルグドゥード州での戦闘で、アウェイス議長が負傷、ラスカンボニ軍のリーダーハッサン・トゥルキーが死亡したと報じられた[16]。ただし、実際には両名とも無事であったことが判明している。また必ずしもヒズブル・イスラム側の勢力が衰退しているというわけでもなく、ほぼ同じ頃、政府側に付いていたイスラーム武装勢力の一部がヒズブル・イスラム側に鞍替えしている[17]

アル・シャバブとの確執

[編集]

6月16日、アウェイス議長がソマリア政府と妥協する考えがあると報じられた[18](以後もたびたび同様の報道がなされ、アウェイス師はその度に否定している)。6月19日、アル・シャバブが自爆テロを行ったとの報道を受けて、アウェイス議長はこれがアル・シャバブの犯行だとは言わなかったもののこのテロを非難する声明を発表した[19]

6月20日、首都モガディシュでアル・シャバブなどの武装勢力が政府組織を猛攻し、政府のアフマド大統領は外国軍に支援を求める声明を発表した。これを受けてアウェイス議長は21日に反対の意を表明し、ヒズブル・イスラムが全ての外国勢力と戦う旨を改めて表明した[20]。7月にはエジプトがソマリア政府とアウェイス議長の仲裁を試みている[21]。7月11日、首都モガディシュでヒズブル・イスラム他イスラーム武装勢力とソマリア政府の戦いとなり、多くの死者が出た[22]

7月14日[23]、フランスの安全保障顧問2名が首都モガディシュのホテルからヒズブル・イスラムに誘拐され、16日にその人質はアル・シャバブに強奪された[24]。それでも24日、アウェイス議長はヒズブル・イスラムとアル・シャバブとの合同を模索している旨を発表している[25]

キスマヨはイスラーム武装勢力の拠点であり、ヒズブル・イスラムとアル・シャバブは協力関係にあったが、アル・シャバブは思想信条に関して妥協を許さない集団であり、2009年9月上旬にアル・シャバブ系のラジオ・アル・アンデュラス以外のラジオ局を焼き払ってしまい、緊張が高まった[26]。2009年9月下旬、ヒズブル・イスラムとアル・シャバブは互いに宣戦を布告した[27]。2009年10月上旬にはキスマヨ近郊でアル・シャバブとの戦闘になり、少なくとも15名が死亡したと伝えられている[28]。14日には首都モガディシュの占領地域の一部をアル・シャバブに明け渡し、活動の重点をモガディシュ北方のヒーラーン州に移している[29]。一連の戦闘によって、ヒズブル・イスラムの勢力圏はヒーラーン州およびケニア国境地帯のゲド州、そしてモガディシュ近郊に残った“前線地帯”だけとなった[30]

ゲド州の情勢

[編集]

ゲド州はソマリア南西部の州で、ソマリアの首都モガディシュの北西にある。州の行政中心都市はガーバハレ

2009年8月17日、ヒズブル・イスラム系が支配するゲド州の主要都市ルークを政府系のイスラーム勢力アル・スンナが奪還した[31]。ヒズブル・イスラム系組織メンバーはルーク撤退後に所属をアル・シャバブに変更した[32]

9月23日にはゲド州に独立政府を作り、モハメド・ハッサン・アリを知事、ダヒル・アデン・アブディカリムを治安長官、アリ・ハッサン・アブドゥッレを金融長官、ファラ・アブディ・イルモゲを広報官とした。さらにゲド州でエチオピアと隣接する要地ルークの市長にファラ・アブディリサクを任命した。しかし、アル・シャバブはこの措置に反対の意を表明した[33]

ヒラーン州の情勢

[編集]

ヒラーン州はソマリア中部の州で、ソマリアの首都モガディシュの北方にある。州の行政中心都市はベレトウェイン

2009年4月20日、ベレトウェインを守備するソマリア暫定連邦政府内の旧イスラム法廷会議勢力と、ヒズブル・イスラムとの間で戦闘が起こっている[34]

7月4日、ベレトウェインの親政府系イスラーム武装勢力の一部がヒズブル・イスラムに合流した[35]。8月14日、ベレトウェインでヒズブル・イスラム系の一部が政府側に投降した[36]

8月31日にはベレトウェインを支配するアブディラフマン・イブラヒム・マオウ師が政府からの独立を宣言[37]、9月末にはヒズブル・イスラムに合流した[38]。一時はソマリア政府軍によりベレトウェインは政府の支配下となったが[39]、10月始めには再びマオウ師率いるヒズブル・イスラムの手に落ちた。マオウ師は再占領後、ベレトウェインの夜間外出禁止令を出している[40]

2010年からのアル・シャバブの攻勢でヒラーン州都市部は陥落、ゲド州も一部がアル・シャバブの占領下におかれた。ヒズブル・イスラム首脳部がアル・シャバブへの合流を表明した現在、両州のヒズブル・イスラム勢力の去就が注目される。

決戦と最期

[編集]

2010年2月、キスマヨをめぐってアル・シャバブと戦っていたラスカンボニ軍の主将ハッサン・トゥルキーは、突然ヒズブル・イスラム陣営から離脱しアル・シャバブへ合流した[41]。これにより、ヒズブル・イスラムはソマリア南部の支配圏に大穴を開けられることになった。彼の率いたラスカンボニ軍は、トゥルキーとともにアル・シャバブへ合流する部隊とヒズブル・イスラムに残る部隊に分裂した。もっとも、ヒズブル・イスラムに残った部隊は間もなくソマリア政府軍に寝返った。

さらに、アル・シャバブはヒズブル・イスラムの部隊が集結していたヒラーン州へ侵攻し全土を占領、[42]、数ヵ月後にはガルムドゥグのベイ州を占領していたヒズブル・イスラム系勢力を排除し、中部の町ブールハカバを完全に制圧した。[43] 残り少ないヒズブル・イスラムの支配地だったゲド州ルークもすぐにアル・シャバブ へ降伏し、ヒズブル・イスラムが保持していた地位をアル・シャバブが公然と乗っ取り始めていた。[44] 結局12月20日、ヒズブル・イスラムは議長ハッサン・アウェイスの名で、以後ヒズブル・イスラムはアル・シャバブに合流し、一体となって活動を続けることを発表した。

各地の情勢

[編集]

メンバーおよび旧メンバー

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Garowe online Somalia: Islamist groups merge to fight Sheikh Sharif
  2. ^ a b allafrica.com Somalia: Islamic Party Insurgents Declare War On New Govt
  3. ^ shabelle.net Hawiye Elders complain about Islamist leader
  4. ^ Somalia in truce with rebel group”. Al Jazeera (2009年2月28日). 2009年3月20日閲覧。
  5. ^ Somali rebels reject ceasefire”. Al Jazeera (2009年3月1日). 2009年3月20日閲覧。
  6. ^ Garowe online Central Somalia fighting death toll hits 35, Al Shabaab claims victory
  7. ^ Garowe online Somalia: Islamic Courts spokesman threatens Al Shabaab
  8. ^ allafrica.com Fighting Between Islamist Factions Kill Four People
  9. ^ Garowe online Sheikh Aweys returns to Somalia to 'reconcile Islamist factions'
  10. ^ Garowe online Somalia: Sheikh Aweys warns against targeted killings
  11. ^ Garowe online Somalia: Former allies involved in Mogadishu skirmish
  12. ^ Garowe online Notorious ex-warlord meets Somalia president, 5 killed in fighting
  13. ^ shabelle.net Islamist leader says he handed over his weapons
  14. ^ Garowe online Somalia: 7 Killed in Violence, Aweys Crowned Hizbul Islam Chief
  15. ^ shabelle.net Government claims victory over fighting in Mogadishu
  16. ^ shabelle.net Ahlu Sunna Wajama’a claims they have injured Sheik Aweys
  17. ^ Garowe online 30 soldiers defect from Somalia government
  18. ^ Garowe online Somalia: Aweys 'accepts' peace talks, say elders
  19. ^ Garowe online Somalia: Aweys condemns security minister's assassination
  20. ^ shabelle.net Sheik Aweys says ‘they will fight with any foreign troops'
  21. ^ Garowe online Somalia: Egypt 'to mediate' between Sharif and Aweys
  22. ^ shabelle.net Fighting kills more than 20, injures 150 others in north Mogadishu
  23. ^ shabelle.net Gunmen snatch French agents from Mogadishu hotel
  24. ^ garoweonline.com Al Shabaab snatch second French security adviser kidnapped in Somalia
  25. ^ shabelle.net Sheik Aweys says ' efforts to unite Harakat Al-shabab Al-mujahideen and Hisbul Islam continues'
  26. ^ Garowe online Somalia: Kismayo dispute among Islamists deepens、2009年9月10日付
  27. ^ Garowe Online Islamist rebels in Somalia declare war on each other、2009年9月30日付
  28. ^ Garowe Online Somalia: 15 killed in renewed Islamist clashes near Kismayo、2009年10月10日付
  29. ^ Garowe online Somalia: Hizbul Islam rebels ‘vacate’ Mogadishu posts、2009年10月14日付
  30. ^ [1]
  31. ^ BBC Somali town cleared of radicals
  32. ^ shabelle.net Hisbul Islam officials say they joined Harakat Shabab Mujahideen
  33. ^ Garowe online Somalia: Al Shabaab and Hizbul Islam 'dispute in Gedo region'
  34. ^ Garowe online 9 killed in fighting among Islamists in central Somalia
  35. ^ Garowe online Somalia: Military tensions high in Hiran region near Ethiopia border
  36. ^ Garowe online 55 Hizbul Islam fighters 'join Somalia govt'
  37. ^ Garowe online As Ethiopia withdraws, Hiran governor quits Somalia govt Archived 2010年1月5日, at the Wayback Machine.
  38. ^ shabelle.net ICU chairman in central Somalia joins Hizbul Islam Organization
  39. ^ Garowe online Beletwein traders fight govt troops, accusations of 'looting'
  40. ^ shabelle.net Islamists impose curfiew in Beledweyn town
  41. ^ Garowe Onine Somalia: Notorious Islamist guerrilla leader joins Al Shabaab
  42. ^ http://allafrica.com/stories/201012130489.html
  43. ^ http://allafrica.com/stories/201012180008.html
  44. ^ http://allafrica.com/stories/201012201376.html
  45. ^ Levy, Oscar (2009年5月11日). “Terrorledaren befinner sig i Sverige” (Swedish). Nyheter24. http://nyheter24.se/nyheter/dokument24/214922-ali-yassin-grundade-terrorrorelse 2008年6月2日閲覧。 [リンク切れ]
  46. ^ a b http://allafrica.com/stories/200905260850.html
  47. ^ http://allafrica.com/stories/200904120005.html
  48. ^ http://allafrica.com/stories/200901191530.html

関連項目

[編集]