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ヒカサクィーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヒカサクィーン
現役期間 1991年 - 1997年
品種 アングロアラブ(アラブ血量33.26%)[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1989年3月28日[1]
死没 2005年4月
抹消日 1997年4月4日[2]
ミクニノホマレ[1]
マルトヨリンボー[1]
母の父 シナノリンボー[1]
生国 日本の旗 日本北海道沙流郡平取町[1]
生産者 池田英作[1]
馬主 堀部絹代[1]
調教師 濱口正行(園田[1]
競走成績
タイトル NARグランプリアラブ系5歳以上最優秀馬(1996年)[3]
生涯成績 59戦27勝[1]
獲得賞金 1億7449万5000円[1]
勝ち鞍 姫山菊花賞姫路・1992年)
園田金盃(園田・1993年)
播磨賞(園田・1995年)
全日本アラブクイーンカップ(園田・1995年/1996年)
山陽杯福山・1996年)
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ヒカサクィーン1989年3月28日 - 2005年4月)は、日本競走馬繁殖牝馬である[1]。園田の女傑と言われ、スズノキャスターを超えてアラブ系牝馬獲得賞金歴代1位。1996年のNARグランプリアラブ5歳以上最優秀馬である。

概要

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  • 特記事項なき場合、本節の出典はJBISおよび参考文献

1991年12月9日に3歳でデビューし3着。3戦目に勝ち上がり、順調に使われるが、のじぎく賞ではロッコーベストの2着に破れたことなどから、兵庫アラブ三冠には縁がないままであった。しかし姫山菊花賞ではロッコーベストに見事リベンジを果たし重賞初制覇を果たした。

ヒカサクィーンが真価を発揮するのは古馬になった5歳からで、マルセンガバナーと幾度とない戦いを繰り広げていく。1993年10月12日全日本アラブクイーンカップでは当時のアラブ牝馬では全国区であったスズノキャスターの2着に敗れているが、暮れの園田金盃ではマルセンガバナーを破って重賞2勝目を果たした。

1994年にマルセンガバナーが引退するとさらに成績を向上させ、以後はオープン特別では大半勝利している。兵庫の混合重賞では善戦止まりで兵庫の混合重賞勝ちは1995年の播磨賞のみにとどまるが、1995年と1996年の全日本アラブクイーンカップを連覇する。さらに1996年の園田・福山双方で行われた兵庫・福山交流の山陽杯を両方とも制覇する[注釈 1]。この実績を買われ、1996年のNARグランプリアラブ5歳以上最優秀馬を受賞した。

最終的には1997年3月5日の播磨杯(5着)を最後に登録を抹消され、繁殖入りする事となった。

エピソード

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  • 特記事項なき場合、本節の出典は参考文献
    • ヒカサクィーンはスズノキャスターほど積極的には他地区に遠征しなった上、サラ系重賞を勝ったわけではないので、全国区的な知名度ではスズノキャスターより低かった。しかし、獲得賞金額ではスズノキャスターを超えてアラブ系牝馬では歴代1位である。
    • 当時の兵庫はハンデ戦が多数行われていたが、牝馬という事もあってか、マルセンガバナーほどの酷量を背負わされることはなく、最大でも58kgに留まった。
    • 園田の1800mでは驚異的な安定性を誇り、28戦25連対であった。

産駒一覧

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馬名 誕生年 毛色 厩舎 馬主 戦績 主な成績 供用 出典
生後直死 1998年 ビソウエルシド
不受胎 1999年 トライバルセンプー
初仔 モナクラムセス 2000年 鹿毛 ニホンカイユーノス 101戦19勝 中日スポーツ賞(金沢・2004年)
新春賞(福山・2006年)
抹消 [4]
生後直死 2001年 ニホンカイユーノス
不受胎 2002年 コウザンハヤヒデ
第2仔 モナクナドラー 2003年 黒鹿毛 ニホンカイユーノス 33戦2勝 抹消 [5]
不受胎 2004年 デュラブ
不明 2005年 ブラックタキシード

血統表

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ヒカサクィーン血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブランドフォード系
[§ 2]

ミクニノホマレ
Mikunino Homare
1972 栗毛
父の父
ダイゴトウスイ
1964 鹿毛
センジユ 方景
イースタン
トウスイ ラツキーパーク
永露
父の母
アラ系 ダイゴツバメ
1962 鹿毛
ダイサンコウジ サラ プリメロ
ヒラコウ
サシカタ 万賀
サラ系 第二雲晴

マルトヨリンボー
Marutoyo Limbo
1982 鹿毛
シナノリンボー
1975 栗毛
タガミホマレ ミネフジ
バイオレツト
グレナヴアカ サラ リンボー
ミスタカクラ
母の母
シユンスター
1964 鹿毛
シユンエイ サラ ライジングフレーム
弟猛
サンタアニタ ヒエン
イースタン
5代内の近親交配 イースタン 4×4・バラツケー 5×5×5・梅橋 5×5×5
出典
  1. ^ 血統情報:5代血統表|ヒカサクィーン|JBISサーチ 2022年8月21日閲覧
  2. ^ ヒカサクィーンの血統表|競走馬データ - netkeiba.com 2022年8月21日閲覧

父の母の母サシカタは1949年から1952年にかけて159戦0勝[0-1-3-155]という成績を残した馬で[6]国営競馬の最多出走・最多敗戦記録保持馬とされる[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、1996年に兵庫側で行われた山陽杯は重賞ではなく特別競走なので、トータルの重賞勝利数は6勝である。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ヒカサクィーン|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年8月21日閲覧。
  2. ^ ヒカサクィーン 2022年8月21日閲覧
  3. ^ NARグランプリ歴代表彰馬・表彰者一覧”. 地方競馬情報サイト. 地方競馬全国協会. 2020年8月22日閲覧。
  4. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、モナクラムセス基本情報、2022年8月21日閲覧。
  5. ^ 日本軽種馬協会、JBIS(Japan Bloodstock Information System)、モナクナドラー基本情報、2022年8月21日閲覧。
  6. ^ 瀬上保男「[ケイバ万華鏡]サシカタ 現役、繁殖通しての奇跡」『読売新聞東京夕刊』2002年4月2日、3面。
  7. ^ 『中央競馬レコードブック'94』中央競馬PR・センター、1994年6月13日、541頁。ISBN 4-924426-39-3 

参考文献

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『競馬[隠れ名馬]読本-ダート、地方、障害、アラブ…黙殺され続けた名馬500頭!』宝島社〈別冊宝島 競馬読本シリーズ〉、1998年1月3日、250頁。ISBN 978-4796693554 

外部リンク

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