パーヴェル・ポポーヴィチ
パーヴェル・ポポーヴィチ | |
---|---|
ソ連の宇宙飛行士 | |
生誕 |
1930年10月5日 ソビエト連邦・ウクライナ、キーウ州 |
死没 |
2009年9月29日 ウクライナ、クリミア自治共和国 |
階級 | ソ連空軍少将 |
宇宙滞在期間 |
2日22時間56分(ボストーク4号) 15日17時間30分(ソユーズ14号) 18日16時間27分(合計) |
選抜試験 | 1960年 |
ミッション | ボストーク4号、ソユーズ14号 |
退役 | 1982年1月26日 |
パウロー・ポポーヴィチ(ウクライナ語:Павло́ Рома́нович Попо́вич)、パーヴェル・ポポーヴィチ(ロシア語:Па́вел Рома́нович Попо́вич;1930年10月5日 - 2009年9月29日)はソ連の宇宙飛行士である。初めて宇宙に行ったウクライナ人。
概要
[編集]パーヴェル・ポポーヴィチは1930年10月5日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国キーウ州ビーラ・ツェールクヴァ地区ウズィーン村に正教司祭を祖先とする労働者の家で生まれた。
ポポーヴィチは1960年にソ連の第1期宇宙飛行士グループを選抜する訓練に参加する20人の空軍パイロットの1人に選ばれ、1962年のボストーク4号と1974年のソユーズ14号で2度宇宙に行った。コールサインは「ベルクート」(Бе́ркут;意訳:イヌワシ)。ボストーク4号は、アンドリアン・ニコラエフの乗るボストーク3号と初めてランデブーすることに成功した。ボストーク計画とソユーズ計画の両方で宇宙飛行をおこなったのは他にヴァレリー・ブィコフスキーだけである。1982年に宇宙飛行士を引退した。
2009年9月29日、脳出血のためウクライナのクリミア自治共和国グルズーフ市の病院で死去[1]。
-
郵便切手(ソ連): パーヴェル・ポポーヴィチとユーリー・アルチューヒン – ソユーズ14号ミッション
-
ウクライナの切手(2012)
UFO学
[編集]1984年、ポポーヴィチは科学アカデミーに新設された異常空中現象部会UFO委員会の委員長となりUFO学を手掛けるようになった。2002年にSCI FIチャンネルのドキュメンタリー番組Out of the Blueで、ポポーヴィチは、ワシントンからの帰りに航空機と並んで飛ぶUFOを目撃したと証言した。UFOは飛行機内の全ての人に目撃された。完全な三角形の形で、飛行機から約1.5km、1,000m上空で白いとても明るい光を放っていた。その物体は30秒から40秒程度で飛行機を追い越し、速度は時速1,500kmと推定された[2] 。
ポポーヴィチはロシアUFO協会とロシアのウクライナ人会の会長を務めた。
彼はソ連空軍の大佐で、伝説のテストパイロットであるマリナ・ポポーヴィチと結婚し2人の娘をもうけたが離婚した[3]。
脚注
[編集]- ^ “Pavel Popovich - one of forerunners of manned space research, dead” (英語). イタルタス通信 (2009年9月30日). 2010年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年10月2日閲覧。
- ^ James Fox, Tim Coleman, Boris Zubov (2002). Out of the Blue (Documentary). Hannover House. 該当時間: 0:41:00. 2008年11月3日閲覧。 (Source does not state in which year this incident took place)
- ^ “Pavel Popovich, sixth man in orbit, dies” (英語). collectSPACE (2009年9月30日). 2009年10月2日閲覧。