コンテンツにスキップ

パルヴァーン州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パルワン州から転送)
パルヴァーン州

پروان
北緯35度0分 東経68度55分 / 北緯35.000度 東経68.917度 / 35.000; 68.917座標: 北緯35度0分 東経68度55分 / 北緯35.000度 東経68.917度 / 35.000; 68.917
アフガニスタンの旗 アフガニスタン
州都 チャーリーカール英語版
政府
 • 州知事 アブドゥル・バシール・サーランギ中将
面積
 • 合計 5,715.1 km2
標高 1,562 m
人口
(2012)[2]
 • 合計 631,600人
 • 密度 110人/km2
等時帯 UTC+4:30
ISO 3166コード AF-PAR
主要言語 ダリー語
パシュトゥー語
座標は[4]

パルヴァーン州(パルヴァーンしゅう、ダリー語: پروان[4][5])は、アフガニスタン東部のである。面積は5715平方キロメートル(34州中26位)、人口は約63万人(34州中14位)、人口密度は111人/平方キロ(34州中6位)である[2]州都チャーリーカール英語版パルワーン州パルワン州パルワン県とも表記される。

地理

[編集]
パンジシール渓谷の入り口

日本の三重県と同じくらいの大きさの州である。州の南東部はショマリ平野、それ以外はヒンドゥークシュ山脈である。州の北部にはサラン峠があり、西にはバーミヤーン州シバル峠、南には首都カーブル、北東にはパンジシール州パンジシール渓谷ハワク峠があり、交通の要所になっている。平野には西からゴールバンド川、北からはサーラン川パンジシール川が流れ込み、緑豊かな田園が広がっている。軍事的な要衝でもあり、州都の南にはバグラーム空軍基地がある。

歴史

[編集]

古代

[編集]

古代のインダス文明はメソポアミア・ハラッパー路を通じて、金などの貴金属や木材をメソポタミア文明に輸出していた。ガンダーラの首都はタキシラにあり、パルヴァーン州やカーピーサー州パンジシール州周辺の峠はヒンドゥークシュ山脈を越える交通の要所の1つだった[6]。そのため紀元前6世紀ごろ、現在のパルヴァーン州バグラーム郡の辺りにはガンダーラの都市と砦があったが、前530年にアケメネス朝キュロス2世が砦を破壊し街を占領した。アケメネス朝では街はカーピシャカーニシュと呼ばれて居り、ベヒストゥン碑文にも登場する[7]。前522年、キュロス2世の後を継いだダレイオス1世に対してヴァヒヤズダタが反乱を起こしたが、この付近で敗北した[8]。前481年、ダレイオス1世の後を継いだクセルクセス1世はギリシャに攻め込み、ペルシア戦争が起きた。ベヒストゥン碑文によると、クセルクセス1世の軍勢の中にはスキタイの剣で武装したカピサの住民(カスピ人)が居たと言う[9]。紀元前4世紀、アレクサンドロス3世アケメネス朝に攻め込み、前330年にカピサを占領した。アレクサンドロス3世は街を再建し、コーカサスのアレクサンドリアギリシア語版英語版(カウカソス山嶺のアレクサンドリア)と名づけた[10]。この街はヒッポダモス方式と呼ばれる格子状パターンの古代ギリシャ都市計画で建設され[要出典]、後にグレコ・バクトリア王国クシャーナ朝の古都となった[要出典]。紀元前2世紀頃のカピサでは都市女神「カピサ」に対する信仰があり、エウクラティデス1世のコインにインド風の装飾で描かれた[11]。616年、カピサにあった迦畢試国(かぴしこく)はに使節を送った。629年、玄奘三蔵がインドを目指してを出発し、西突厥の庇護[12] を受けて迦畢試国まで辿りついた。迦畢試国は農産物が豊かで、名馬を産出し、諸国の物産が集まる国際的な交易都市だった。迦畢試国には周囲10余里(約4.4キロメートル)の都城があり、大乗仏教が盛んで100余の伽藍と6000余人の僧侶が居た。都城を治める王はソグド人とも言われ、毎年銀製の仏像を造り、無遮大会(むしゃだいえ)で資金を集めて貧民に配っていた。玄奘は沙洛迦寺(シャーラカ寺)に滞在し、高さ100余尺(約33メートル)の仏塔を備えた曷邏怙羅僧伽藍(ラーフラそうがらん)や霫蔽多伐剌祠城(しゅうへいたばらし城)、阿路猱山(アルノ山)や大雪山、仏舎利を収めた旧王の伽藍、金銅の仏塔を備えた旧王妃の伽藍や比羅娑洛山(ビールサーラ山)などを見学した。同じ頃、迦畢試国はに使節を送った[13]

中世

[編集]

13世紀、チンギス・カンホラズム・シャー朝を攻撃した。ホラズム・シャー朝のジャラールッディーン・メングベルディーは1221年にパルワーンの戦いで、モンゴル軍の1つを打ち破った[14]

冷戦時代

[編集]

1950年頃はパルヴァーン州はカーブル州の一部だったが、1957年までに分割されて独立した州になった[15]

アメリカ同時多発テロ事件以降

[編集]

2004年4月、パルヴァーン州からパンジシール州が独立した[15]。10月、第一回の大統領選挙が実施され、パルヴァーン州ではユーヌス・カーヌーニー(約58%)が最多得票を得た[16]。2009年8月、第二回の大統領選挙が実施された。パルヴァーン州ではアブドラ・アブドラ元外相が最多得票(約63%)を得た[17]。2012年12月、ISAF軍はシンワリ郡やシアゲル郡以外の治安権限をアフガニスタン軍に移譲した[18]

行政区分

[編集]
パルヴァーン州の郡

1市9を擁する[2][19]

  • Charikar(チャーリーカール[4]) - 州都チャーリーカール英語版、チャリカルと表記される事もある。
  • Bagram(バグラーム郡[4])- バグラーム空軍基地
  • Shinwari(シーンワーリー郡[4]
  • Sayyid Khel(サイード・ヘール郡[4]
  • Jabal us Saraj(ジャバル・ウス・サラージ郡[4]) - ジャバルサラジと表記されることもある
  • Salang(サーラング[4]) - サラン峠
  • Syahgird 'Ghurband(シヤーフギルド・ゴールバンド郡[4]
  • Kohi Safi(コーヘ・サーフィー郡[4]
  • Surkhi parsa(サルキ・パールサー郡[4]
  • Shaykh Ali(シャイフ・アリー郡[4]

都市

[編集]

人口が多いのは平野部にある州都チャーリーカール(約17万人)とバグラーム郡(約10万人)だが、周辺のシヤーフギルド・ゴールバンド郡(約9万人)やジャバル・ウス・サラージ郡(約6万人)の人口も多い。人口1万人以上の都市は州都チャーリーカール(5万3900人)である[19]

治安

[編集]
  • 州内に存在するバグラム空軍基地は、しばしば死傷者が生じるテロの標的となっている。
  • 2011年8月14日 - チャリカルにある州政府庁舎で、自爆と銃による攻撃があり、19人が死亡、40人近くが負傷。タリバンが犯行声明を出している[20]
  • 2018年8月5日 - アフガニスタン軍とパトロールを行っていたNATO軍部隊が自爆攻撃を受け兵士3人が死亡、3人が負傷した。死亡した兵士はいずれもチェコ[21]

産業

[編集]

農業

[編集]
パルヴァーン州の農作物 (2012年度)[22]
種類 生産量 順位
小麦 9万2000トン 19位
1万500トン 11位
グレープフルーツ 9522トン 3位
とうもろこし 6182トン 19位
大麦 5958トン 31位
りんご 320トン 7位
アーモンド 280トン 8位
250トン 2位
ザクロ 100トン 8位

パルヴァーン州の農業は家計収入の約4割(39%)を占める[23]。特に(34州中2位)やグレープフルーツ(34州中3位)の生産は全国的に見ても盛んで、リンゴ(34州中7位)、アーモンドザクロ(34州中8位)もかなり生産されている。

住民

[編集]

言語

[編集]

パルヴァーン州の主要言語はダリー語パシュトゥー語であり、割合は5対2である[23]。識字率は31%だが[23]、州都 チャーリーカールにはパルヴァーン大学がある。

交通

[編集]

パルヴァーン州の南北には幹線道路のアジアハイウェイ7号線が走っており、マザーリシャリーフカーブルと繋がっている[24]。7号線はチャーリーカールとジャバル・ウス・サラージの間で分岐して77号線となり、バーミヤーンを経由してヘラートと繋がっている。空港はバグラーム空軍基地がある。

脚注

[編集]
  1. ^ Afghan Biographies - Salangi, Abdul Basir Baseer Lt Gen”. Afghanistan Online. 2014年2月26日閲覧。
  2. ^ a b c d Area and Administrative and Population”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月3日閲覧。
  3. ^ Topological Information About Places On The Earth”. topocoding.com. 2014年3月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l The U.S. Board on Geographic Name”. U.S. Department of the Interior. 2014年2月14日閲覧。
  5. ^ ダリー語ラテン翻字: Parwān
  6. ^ 加藤九祚『シルクロードの古代都市』岩波書店、2013年、29-31頁。ISBN 978-4004314448 
  7. ^ ヴィレム・フォーヘルサング『アフガニスタンの歴史と文化』明石書店、2005年、158, 169頁。ISBN 978-4750320700 
  8. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P162
  9. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P172
  10. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P194
  11. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P213
  12. ^ 「玄奘三蔵、シルクロードを行く」P68-69
  13. ^ 前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』岩波書店、2010年、167-183頁。ISBN 978-4004312437 
  14. ^ 「アフガニスタンの歴史と文化」P314
  15. ^ a b "Provinces of Afghanistan". Statoids. 2014年3月2日閲覧
  16. ^ Parwan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年3月10日閲覧。
  17. ^ Parwan Province”. Independent Election Commission of Afghanistan. 2014年2月17日閲覧。
  18. ^ アフガニスタン:治安情勢”. 外務省. 2014年2月6日閲覧。
  19. ^ a b Central Statistics Organization (2013年). “Settled Population of parwan province by Civil Division , Urban, Rural and Sex-2012-13”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年2月8日閲覧。
  20. ^ 州政府庁舎で自爆攻撃と銃撃戦、19人死亡 アフガニスタン”. AFP (2011年8月14日). 2018年8月6日閲覧。
  21. ^ アフガン東部で自爆攻撃、NATO兵士3人死亡 タリバンが犯行声明”. AFP (2018年8月5日). 2018年8月6日閲覧。
  22. ^ Agriculture Development”. Islamic Republic of Afghanistan (2013年). 2014年2月5日閲覧。
  23. ^ a b c Ministry of Rural Rehabilitation and Development (2013年). “Samangan Provincial Profile”. Islamic Republic of Afghanistan. 2014年3月13日閲覧。
  24. ^ アジアハイウェイ路線とその現状”. 国土交通省. 2014年1月27日閲覧。

関連項目

[編集]