パルドゥルフス
聖パルドゥルフス | |
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ラ・トゥール=ドーヴェルニュにある聖パルドゥルフスのステンドグラス | |
生誕 |
657年 フランス、サルダン |
死没 | 737年頃 |
崇敬する教派 | カトリック教会 |
記念日 | 10月6日 |
聖パルドゥルフス、パルドゥルフ、パルドゥー(ラテン語: Pardulphus, ドイツ語: Pardulf, フランス語: Pardoux, 657年 – 737年頃)は、フランク人の聖人、ベネディクト会の修道院長。「パルドゥルフス伝」は、当時のアクィタニアを内部から洞察した文献として知られる。
生涯
[編集]リモージュの北西サルダンで、農民の子として生まれる。伝説によれば彼は羊飼いであったが、ひどい嵐に遭遇した後に隠者となることを決意したという。ランテール伯がゲレに建てた修道院に入り、後にここの修道院長となった。パルドゥルフスは厳しい戒律に従い、太陽以外からの熱で自らを温めることをせず、食事も週に1度しかとらなかった。ただ年を取るとともに熱した石でも体を温めるようになった[1]。彼はあらゆる家禽を食することを拒み、地元の農民からもらったキノコしか口にしなかった[2]。
『パルドゥルフス伝』には、パルドゥルフスによる様々な奇跡が記録されている。ある大工たちがゲレに聖オーバンの教会を建てるために、木を切って荷車に載せ運んできたのだが、この丸太が短すぎた。怒った監督が大工たちを鞭打とうとしたが、パルドゥルフスが奇跡を起こして丸太を伸ばした。その長さは必要な長さをさらに超えていた。余分となった分は切り落とされたのち教会内に吊るされ、崇敬の対象となった[3]。
732年にウマイヤ朝が南フランスに侵攻した際、パルドゥルフスは修道院にとどまった。トゥール・ポワティエ間の戦いで敗れたウマイヤ軍が修道院にやってきたが、パルドゥルフスが祈ったことにより攻撃を免れたという。
崇敬
[編集]パルドゥルフスの祝祭日は10月6日である。彼の聖骨箱はサルダンの教会に置かれたとされるが、現在はゲレの美術館にある[4]。フランスには、サン・パルドゥー・ド・ドンヌなどパルドゥルフスの名を冠した地名が多く存在する。
脚注
[編集]- ^ Pierre Riché, Daily Life in the World of Charlemagne (University of Pennsylvania Press, 1992), 167.
- ^ Pierre Riché, Daily Life in the World of Charlemagne (University of Pennsylvania Press, 1992), 171.
- ^ Pierre Riché, Daily Life in the World of Charlemagne (University of Pennsylvania Press, 1992), 154-5.
- ^ Guéret, musée des Beaux-Arts