パラメーシュヴァラヴァルマン1世 (パッラヴァ朝)
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パラメーシュヴァラヴァルマン1世 முதலாம் பரமேஸ்வரவர்மன் | |
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パッラヴァ朝国王 | |
在位 | 670年 - 695年 |
別号 |
パラマ・イーシュヴァラ イーシュヴァラポータ |
出生 |
不詳 |
死去 |
695年 |
子女 | ナーラシンハヴァルマン2世 |
王朝 | パッラヴァ朝 |
父親 | マヘーンドラヴァルマン2世 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
パラメーシュヴァラヴァルマン1世(タミル語: முதலாம் பரமேஸ்வரவர்மன், ラテン文字転写: Parameśvaravarman I, 生年不詳 - 695年)は、パッラヴァ朝の後期第5代国王(在位:670年 - 695年)。軍事面で功績を挙げた優れた支配者であるとともに、カーンチープラム・クーラム・ヴィチャ・ヴィニータ・パッラヴァ・パラメーシュヴァラム寺院をはじめとする多くの寺院を建立し、シヴァ神に対して詩的とも言える献身的な愛を示した。
生涯
[編集]先代マヘーンドラヴァルマン2世の子。父の死後、即位した。
673年、チャールキヤ朝のヴィクラマーディティヤ1世率いる連合軍が王都カーンチー付近に侵攻してきた[1]。翌674年にパラメーシュヴァラヴァルマン1世はティルチラーパッリ近郊のペルーヴァラ・ナルールでチャールキヤ連合軍と会戦し、勝利を収めた[2]。
戦後はカーンチー周辺に寺院を建立し、村を寄進している[2]。勢いに乗ったパラメーシュヴァラヴァルマン1世はデカンに侵攻し、一帯を支配下に収めた。
パラメーシュヴァラヴァルマン1世の死後、子のナーラシンハヴァルマン2世が王位を継承した。