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パラドーン・スリチャパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パラドーン・スリチャパン
Paradorn Srichaphan
パラドーン・スリチャパン
基本情報
国籍 タイ王国の旗 タイ
出身地 同・バンコク
生年月日 (1979-06-14) 1979年6月14日(45歳)
身長 185cm
体重 81kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1997年
引退年 2010年
ツアー通算 5勝
シングルス 5勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 264勝254敗
シングルス 239勝193敗
ダブルス 25勝61敗
生涯獲得賞金 $3,459,655
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2004)
全仏 3回戦(2002)
全英 4回戦(2003)
全米 4回戦(2003)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 3回戦(2005)
全米 1回戦(2005)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 9位(2003年5月12日)
ダブルス 79位(2003年9月8日)

パラドーン・スリチャパンParadorn Srichaphan, タイ語ภราดร ศรีชาพันธุ์, 1979年6月14日 - )は、タイ王国バンコク出身の男子プロテニス選手。シングルス自己最高ランキングは9位(2003年5月)。ATPツアーでシングルス5勝を挙げた。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。身長185cm、体重81kg。

経歴

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父親は銀行員、母親は学校教師という恵まれた家庭に育ち、6歳からテニスを始める。父親は息子のパラドーンにテニスを教えるために、銀行員を退職し、息子のコーチを務めた。1996年に世界ジュニアランキング10位に入り、1997年にプロ転向。

1998年から男子国別対抗戦デビスカップタイ代表選手になる。2002年ウィンブルドン選手権2回戦で、第3シードのアンドレ・アガシを6-4, 7-6, 6-2で破る金星を挙げ、世界的に有名になった。この大会では、次の3回戦で1996年の優勝者リカルト・クライチェクに敗退している。その勢いに乗って、同年8月のパイロット・ペン・テニスでツアー初優勝を挙げた。2ヶ月後、ストックホルム・オープンで2勝目を挙げる。この年は準優勝も2度あり、一気にアジア男子テニス選手のトップに躍進した。

2004年全米オープンにて

2002年にタイ国政府より兵役を免除されている。2003年4月21日にアジア国籍の選手として初めてATPランキングのトップ10入りを果たす。さらに5月12日には9位になった。この年には『タイム』誌のアジア版で「アジアの英雄29人」に選ばれたことがある。2004年アテネ五輪開会式では、タイ選手団の旗手を務めた。その後は右手首の故障に悩み、2007年3月のマイアミ・マスターズを最後に試合出場から遠ざかっていた。

2009年タイ・オープンのダブルスに出場したが初戦で敗退。この試合が最後の出場となり、2010年6月に現役引退を発表した。

スリチャパンは2003年ごろ、歌手のタタ・ヤンと交際関係にあったが、親などの反対で交際をやめた。その後、2007年11月29日に2005年ミス・ユニバース優勝者ナタリー・グレボヴァと結婚したが2011年に離婚した[1]

ATPツアー決勝進出結果

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シングルス: 11回 (5勝6敗)

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大会グレード
グランドスラム (0-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ (5-5)
サーフェス別タイトル
ハード (4-6)
クレー (0-0)
芝 (1-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2002年1月7日 インドの旗 チェンナイ ハード アルゼンチンの旗 ギリェルモ・カナス 4–6, 6–7(2)
準優勝 2. 2002年8月12日 アメリカ合衆国の旗 ワシントンD.C. ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 6–1, 6–7(5), 4–6
優勝 1. 2002年8月25日 アメリカ合衆国の旗 ロングアイランド ハード アルゼンチンの旗 フアン・イグナシオ・チェラ 5–7, 6–2, 6–2
優勝 2. 2002年10月27日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード (室内) チリの旗 マルセロ・リオス 6–7(2), 6–0, 6–3, 6–2
優勝 3. 2003年1月5日 インドの旗 チェンナイ ハード スロバキアの旗 カロル・クチェラ 6–3, 6–1
準優勝 3. 2003年7月28日 アメリカ合衆国の旗 インディアナポリス ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 6–7(2), 4–6
優勝 4. 2003年8月24日 アメリカ合衆国の旗 ロングアイランド ハード アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 6–2, 6–4
準優勝 4. 2004年1月12日 インドの旗 チェンナイ ハード スペインの旗 カルロス・モヤ 4–6, 6–3, 6–7(5)
優勝 5. 2004年6月19日 イギリスの旗 ノッティンガム スウェーデンの旗 トーマス・ヨハンソン 1–6, 7–6(4), 6–3
準優勝 5. 2005年1月10日 インドの旗 チェンナイ ハード スペインの旗 カルロス・モヤ 6–3, 4–6, 6–7(5)
準優勝 6. 2005年10月16日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 ジェームズ・ブレーク 1–6, 6–7(6)

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 通算成績
全豪オープン LQ 2R 1R 1R 2R 4R 2R 1R 1R 6–8
全仏オープン LQ 1R LQ 3R 1R 2R 1R 1R A 3–6
ウィンブルドン 2R 1R 1R 3R 4R 1R 1R 1R A 6–8
全米オープン LQ 1R 1R 2R 4R 3R 3R 2R A 9–7

脚注

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外部リンク

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