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パスカル・ボニゼール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パスカル・ボニゼールPascal Bonitzer1946年2月1日 パリ - )は、フランス脚本家映画監督映画批評家俳優。La Fémis(フランス国立映像音響芸術学院、旧IDHEC)教授。

人物

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カイエ・デュ・シネマ』誌のコラムで数年にわたり執筆をしていたことでも同様に知られる。日本での表記は初期にパスカル・ボニツェールとされていた時期があが、本人への確認でボニゼールが好ましいということで変更(祖先にオーストリア人がいる関係でドイツ系な名前となっているが、自分はフランス人なのでツェとする必要はないとのこと)。

来歴

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1946年2月1日、フランス・パリに生まれる。1967年、21歳のときに自主映画『Vampirisme』にヴァンパイア役で出演している。以来出演作も多い。大学院まで進学し、哲学修士号を取得している。1969年、『カイエ』誌の編集者になり、やがて批評家になった。

もっとも多数の作品を手がけているのは脚本家としてである。1976年、30歳のときに、ルネ・アリオ監督の『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』Moi, Pierre Rivière, ayant égorgé ma mère, ma soeur et mon frère... (ニコラ・フィリベールがこの映画の関係者を追ったドキュメンタリー『かつて、ノルマンディーで』を撮ったことで、公開記念上映された)に『カイエ』雑誌の仲間であるセルジュ・トゥビアナとともに共同脚本に参加したのが、脚本デビュー作である。

演出家としてのスタートは遅く、1989年、43歳のときに短篇を撮り、1996年、『アンコール』で長編劇映画デビューしたときにはすでに50歳であった。この遅咲きの映画監督は同作でジャン・ヴィゴ賞を獲得した。脚本家としての先輩監督からの信頼は厚く、ジャック・リヴェットアンドレ・テシネの新作には欠かせない存在となっている。Fémisでは1986年以来シナリオ学部長を務めている。

監督ソフィー・フィリエールとの間にもうけた娘アガト・ボニゼール Agathe Bonitzer (1989年生まれ)は、1994年にオムニバスの一編でブノワ・ジャコ編に子役登場。1996年、父が脚本に参加した「三つの人生とたった一つの死」にも登場。2003年の父の監督作「かすり傷」で本格的に女優業を開始し、父が不参加の作品でも多くヒロインを演じ、「Une bouteille à la mer」では2013年セザール賞有望若手女優賞にもノミネートされている。

『カイエ』誌での彼はたくさんのラインを守っていた。なぜなら討論と観念の変更に興味をもっていたからだ。ユーモアを失わない理論家である。ジャンセニスト的側面においてある種エリック・ロメールであり、そこへジャック・タチが交差し、異邦性と虐待とブラック・ユーモアにおいてカフカ的でもある[1]

フィルモグラフィー

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監督

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主な脚本作

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著書

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脚注

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  1. ^ 仏語版WikipediaPascal Bonitzerの項の記述より。

外部リンク

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