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パコ・ソレール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パコ・ソレール
名前
本名 フランシスコ・マヌエル・ソレール・アテンシア
Francisco Manuel Soler Atencia
愛称 Chichi (チチ)
ラテン文字 Paco Soler
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1970-03-05) 1970年3月5日(54歳)
出身地 パルマ
身長 169cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
スペインの旗 CIDEマジョルカ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1991 スペインの旗 マジョルカB 69 (9)
1991-2004 スペインの旗 マジョルカ 339 (19)
通算 408 (28)
代表歴
1991-1992  スペイン U-23 11 (1)
監督歴
2007 ポルトガルの旗 ベイラ・マル
2009-2010 スペインの旗 アトレティコ・バレアレス
2013 スペインの旗 アトレティコ・バレアレス
獲得メダル
男子 サッカー
オリンピック
1992 バルセロナ サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランシスコ・マヌエル・"パコ"・ソレール・アテンシア(Francisco Manuel "Paco" Soler Atencia、1970年3月5日 - )は、スペインバレアレス諸島パルマ・デ・マヨルカ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

経歴

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CIDEマジョルカのカンテラ出身。1988年にRCDマジョルカのBチームに引き抜かれ、1990-91シーズンの4月21日、アトレティコ・マドリード戦にてトップチームデビューとラ・リーガデビューを果たした[1]。1991-92シーズンからレギュラーに定着したが、クラブはセグンダ・ディビシオンへと降格してしまった。1996-97シーズン、マジョルカがラ・リーガの舞台に復帰すると、クラブは黄金期を迎え、ソレールは28歳にして自身初のタイトルとなるスーペルコパ・デ・エスパーニャを、2002-03シーズンにはコパ・デル・レイを獲得した[2]。しかし、後者のシーズンでは、リーグ戦5試合の出場機会しかなく、翌シーズン開幕前に現役を引退した。

プロデビューから現役引退までをRCDマジョルカで全うし、ラ・リーガ通算168試合3得点、マジョルカでの公式戦出場はクラブ歴代最多となる通算423試合であり、28得点を記録した[3]

また、1992年に母国開催されたバルセロナオリンピックでは、スペイン代表の一員として金メダル獲得に貢献した[4]


現役引退後は、指導者の道に進み、地元クラブのCDアトレティコ・バレアレスポルトガルSCベイラ・マルを率いた[5]

タイトル

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クラブ

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RCDマジョルカ

代表

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U-23スペイン代表

関連項目

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脚注

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  1. ^ Atletico de Madrid 0-1 Mallorca”. BDFutbol. 2022年5月14日閲覧。
  2. ^ Segurola, Santiago (1999年5月20日). “El Mallorca pierde con orgullo” (スペイン語). El País. http://elpais.com/diario/1999/05/20/deportes/927151201_850215.html 2022年5月14日閲覧。 
  3. ^ Paco Soler played matches sort by type”. BDFutbol. 2022年5月14日閲覧。
  4. ^ La Roja de 1992, nuestra medalla de oro Olímpica” (スペイン語). Antena 3 (2012年7月3日). 2022年5月14日閲覧。
  5. ^ Beira-Mar: Carvalhal despedido para dar lugar a Paco Soler” (ポルトガル語). Portal d'Aveiro (2007年1月9日). 2022年5月14日閲覧。

外部リンク

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