バーンウォール子爵
バーンウォール子爵(バーンウォールししゃく、英: Viscount Barnewall)は、アイルランド貴族の爵位。1646年に創設され、1834年に廃絶した。
歴史
[編集]サー・パトリック・バーンウォール(1531?–1622)の息子でアイルランド庶民院議員だったニコラス・バーンウォール(1592–1663)はカトリック信者で騎士党であり、1646年6月29日にアイルランド貴族であるターヴィー男爵とダブリン県ドナベート教区におけるキングスランドのバーンウォール子爵(Viscount Barnewall of Kingsland in the parish of Donabate, co. Dublin)に叙された[1]。彼は1654年にオリバー・クロムウェルにより財産を没収されたが、1660年に返還されている[2]。3代子爵ニコラス・バーンウォール(1668–1725)は1688年にウィリアマイト戦争でジェームズ2世に加勢したため、法外追放されたが、1691年のリムリック条約により取り消された[2]。4代子爵ヘンリー・ベネディクト・バーンウォール(1708–1774)はフリーメイソンの一員としてアイルランド・グランドロッジ・グランドマスターを務めた[3]。5代子爵ジョージ・バーンウォール(1758–1800)は先代と違って国教会信徒であり、1787年にアイルランド貴族院議員に就任したが、生涯未婚のまま死去、爵位は休止となった[3]。遺産は親族の第14代トリムルズタウン男爵ニコラス・バーンウォール(1726–1813)が相続したが、トリムルズタウン男爵位も1879年に休止となった[3]。
2代子爵の弟フランシス・バーンウォール(?–1697)の曽孫マシュー・バーンウォール(bef.1773–1834)はバーンウォール子爵位の継承を主張して、1814年に認められたが、3度の結婚で男子をもうけず、1834年に死去すると爵位は廃絶した[4]。
1835年、ジェームズ・バーンウォール大佐の曽孫トマス・バーンウォールは爵位継承を主張して請願を出した[5]。この主張によれば、ジェームズ・バーンウォール大佐はフランシス・バーンウォールの弟であり、したがってトマス・バーンウォールに爵位継承権がある[5]。しかし『完全貴族要覧』第2版(1910年)によれば、ジェームズ・バーンウォール大佐はフランシス・バーンウォールの姉妹メイベルの夫であり、初代子爵の息子ではなく、トマス・バーンウォールの主張が認められることはなかった[5]。
バーンウォール子爵(1646年)
[編集]- 初代バーンウォール子爵ニコラス・バーンウォール(1592年 – 1663年)
- 第2代バーンウォール子爵ヘンリー・バーンウォール(1688年没)
- 第3代バーンウォール子爵ニコラス・バーンウォール(1668年 – 1725年)
- 第4代バーンウォール子爵ヘンリー・ベネディクト・バーンウォール(1708年 – 1774年)
- 第5代バーンウォール子爵ジョージ・バーンウォール(1758年 – 1800年)
- 1800年、爵位が休止となる。1814年に復活
- 第6代バーンウォール子爵マシュー・バーンウォール(1773年以前 – 1834年)
出典
[編集]- ^ Cokayne & Gibbs 1910, pp. 427–428.
- ^ a b Cokayne & Gibbs 1910, p. 428.
- ^ a b c Cokayne & Gibbs 1910, p. 429.
- ^ Cokayne & Gibbs 1910, pp. 429–430.
- ^ a b c Cokayne & Gibbs 1910, p. 430.
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 427–430.