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バークリー子爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バークリー子爵(バークリーししゃく、: Viscount Bulkeley)は、アイルランド貴族の爵位。1644年に創設され、1822年に廃絶した。

歴史

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アングルシー島の名士、サー・リチャード・バークリー英語版(1533–1621)の息子トマス・バークリー英語版}(1585–1659)イングランド内戦チャールズ1世を支持して、1644年1月6日にチャールズ1世によりアイルランド貴族であるティペラリー県ケッシェルにおけるバークリー子爵Viscount Bulkeley of Cashel, co. Tipperary)に叙された[1]。以降2代子爵から7代子爵まで6代にわたり庶民院議員を務めた[2]

7代子爵トマス・ジェームズ・バークリー(1752–1822)サー・ジョージ・ウォレン英語版(1735–1801)の娘で相続人であるエリザベス・ハリエット・ウォレン(c.1760–1826)と結婚して、義父の死後の1802年に「ウォレン」を姓に加えった[3]。また、政界ではホイッグ党に属したが、1783年のフォックス=ノース連立内閣以降は小ピット支持に転じたことで、1784年5月14日にグレートブリテン貴族であるアングルシー州ビューマリスのバークリー男爵Lord Bulkeley, Baron of Beaumaris, co. Anglesey)に叙された[3]

7代子爵が1822年に急死すると、継承者がいなくなり爵位はすべて廃絶した[3]。バークリー家の遺産は7代子爵の母の再婚相手第8代準男爵サー・ヒュー・ウィリアムズ英語版(c.1718–1794)の孫第10代準男爵サー・リチャード・ウィリアムズ英語版(1801–1875)が相続し、リチャードは1827年に「バークリー」を姓に加えた[3]。エリザベス・ハリエットが1826年に死去すると、その遺言状に基づき遠戚(22等親、ninth cousin twice removed)の第4代準男爵サー・ジョン・ボーレイス・ウォレン(1800–1863)が相続した[3]

バークリー子爵(1644年)

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出典

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  1. ^ Cokayne & Gibbs 1912, p. 411.
  2. ^ Cokayne & Gibbs 1912, pp. 411–413.
  3. ^ a b c d e Cokayne & Gibbs 1912, p. 413.

参考文献

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  • Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 411–414.