ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー
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2012年のバレー(右) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー Jader Volnei Spindler | |||||
愛称 | バレー | |||||
ラテン文字 | BARÉ | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1982年1月18日(42歳) | |||||
出身地 |
リオグランデ・ド・スル州 ヴェナンシオ・アイレス | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 86kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1998 | デフェンソール・スポルティング | |||||
1998-1999 | グアラニFC | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000 | デフェンソール・スポルティング | |||||
2000 | グレミオFBPA | 0 | (0) | |||
2001 | 大宮アルディージャ | 30 | (13) | |||
2002 | ヴェイレBK | 6 | (3) | |||
2002 | ボタフォゴFC | |||||
2003 | モンテビデオ・ワンダラーズFC | |||||
2003-2004 | 大宮アルディージャ | 84 | (37) | |||
2005-2006 | ヴァンフォーレ甲府 | 68 | (35) | |||
2007-2008 | ガンバ大阪 | 49 | (30) | |||
2008-2010 | アル・アハリ・ドバイ | 29 | (22) | |||
2010-2012 | アル・ジャジーラ・クラブ | 34 | (23) | |||
2012 | アル・アラビ・ドーハ | 7 | (2) | |||
2013 | 清水エスパルス | 16 | (4) | |||
2013-2015 | 天津泰達 | 29 | (7) | |||
2015 | ヴァンフォーレ甲府 | 22 | (8) | |||
2016 | GEグロリア | |||||
通算 | 374 | (184) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
バレー (Baré) こと、ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー(Jader Volnei Spindler, 1982年1月18日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。
経歴
[編集]クラブ
[編集]17歳のときにリオ・グランデ・ド・スル州のグアラニFCのテストに合格し、本格的にサッカーを始める[1]。12歳から17歳までは学校に通いつつ母が働いていたスーパーマーケットに勤務しており、そのスーパーのチームで週に1度サッカーをプレーしていた[1]。1999年10月にウルグアイのデフェンソールに移籍するが、同クラブでは3ヶ月間練習に参加しただけで試合出場はなかった[2]。2000年はレンタル移籍でグレミオに在籍[2]。
2001年4月、デフェンソールから期限付き移籍でJ2・大宮アルディージャに加入[3]。これがプロとしてのキャリアのスタートだった。当時はC契約で[4]「第4の外国人」という扱いだったが[2]、他の外国人選手の相次ぐ怪我などでチャンスをつかむ。デビューとなった5月23日の水戸ホーリーホック戦から4試合で5得点を記録[5]。ホルヘ・デリー・バルデスに次ぎチーム2番目となる13ゴールをあげた[6]。
翌年、怪我で戦列を離れていたチーム内外国人選手が復帰したために外国人枠からあぶれた関係で、大宮を退団してイタリアのACペルージャへの入団を目指し渡欧し、デンマーク、ウルグアイ、ブラジルのクラブでプレーした後、2003年1月、大宮へ復帰した(デフェンソールからの期限付き移籍)[7]。2004年の大宮のJ1昇格にも貢献したが、シーズン終了後に放出される。このときJ1やヨーロッパの幾つかのクラブからオファーを受けたが、J2・ヴァンフォーレ甲府入団をバレー自身が選択した。
2005年シーズンは甲府の攻撃の中心としてJ1昇格に貢献した。J2リーグ戦では得点ランキング2位の21ゴールを記録[8]。柏レイソルと対戦したJ1・J2入れ替え戦では、12月7日の第1戦(小瀬)で決勝ゴール、12月10日の第2戦(日立柏)ではJリーグの1試合個人最多得点記録(当時)となる6得点(ダブルハットトリック)を叩き出す大活躍で甲府のJ1昇格に大きく貢献した。J1へ昇格した2006年も引き続き甲府の攻撃ユニットを牽引。勝利を決定付けるゴールを次々に挙げ、昇格初年度の甲府J1残留を置き土産に同シーズンをもって甲府を退団し、ガンバ大阪に完全移籍し、3年契約を結んだ[9]。
2007年開幕戦、古巣の大宮相手に途中出場から決勝ゴールを決め、感動の涙を流した。このシーズン、J1リーグ得点ランク2位となる20ゴールを挙げ、Jリーグベストイレブンに選出された[10]。2008年2月、パンパシフィックチャンピオンシップ2008決勝戦のヒューストン・ダイナモ戦にて4ゴールをあげてG大阪の優勝に貢献した[11]。
2008年8月、アラブ首長国連邦のアル・アハリに完全移籍した。ベナンシオ・アイレスの地元紙によれば移籍金は600万ドル(当時のレートで約6億5千万円)で、そのうち85%がガンバ大阪に、身内がパス(選手保有権)の一部を所有することから、残りの15%が彼自身の手に渡ったという[9]。2008-09シーズン、アル・アハリはUAEリーグに優勝し、バレーはチームトップの11ゴールを記録した[12]。
2010年に同じUAEのアル・ジャジーラに移籍し、2010-11シーズンのUAEリーグに優勝。2011年4月に行われたUAEプレジデンツカップ決勝のアル・ワフダ戦では、決勝点となった先制点を含む2ゴールをあげて4-0での勝利に貢献した[13]。
2013年シーズンから、清水エスパルスに移籍することが発表された[14]。7月25日、中国スーパーリーグの天津泰達足球倶楽部へ完全移籍[15]。
2015年5月3日にヴァンフォーレ甲府へ復帰[16]。契約満了をもって同シーズン限りで退団[17]。2016年2月、ブラジルのGEグロリアと契約[18]、同年に引退。
人物
[編集]登録名となっている「バレー」は本人によれば、ブラジルで販売されているバレーコーラ (Baré-Cola) というとても安いジュースの名前で、小さい頃によく飲んでいたせいか、あだ名として呼ばれだしたものが定着したとのこと。家族や親しい者は本名の「ジャデル」で呼ぶという[19]。
Jリーグでプレーしていた頃には公文式の教室に通い、日本語の勉強をしていた。しかし、記者会見では語弊などを避けるためポルトガル語を使用している。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1998年 デフェンソール・スポルティング
- 1998年 - 1999年 グアラニFC (リオグランデ・ド・スル州)
- プロ経歴
- 2000年 - 2001年 デフェンソール・スポルティング
- 2002年 ヴェイレBK
- 2002年 ボタフォゴFC (サンパウロ州)
- 2003年 モンテビデオ・ワンダラーズFC
- 2003年 - 2004年 大宮アルディージャ
- 2005年 - 2006年 ヴァンフォーレ甲府
- 2007年 - 2008年7月 ガンバ大阪
- 2008年8月 - 2010年7月 アル・アハリ・ドバイ
- 2010年7月 - 2012年9月 アル・ジャジーラ・クラブ
- 2012年9月 - 12月 アル・アラビ・ドーハ
- 2013年 - 2013年7月 清水エスパルス
- 2013年7月 - 2015年2月 天津泰達足球倶楽部
- 2015年5月 - 同年12月 ヴァンフォーレ甲府
- 2016年 GEグロリア
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | グレミオ | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 大宮 | 30 | J2 | 30 | 13 | - | 1 | 0 | 31 | 13 | |
デンマーク | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ヴェイレ | スーペル | 6 | 3 | |||||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | ボタフォゴ-SP | ||||||||||
ウルグアイ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | ワンダラーズ | 1部 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 大宮 | 11 | J2 | 43 | 22 | - | 3 | 4 | 46 | 26 | |
2004 | 41 | 15 | - | 2 | 2 | 43 | 17 | ||||
2005 | 甲府 | 16 | 38 | 21 | - | 2 | 1 | 40 | 22 | ||
2006 | J1 | 30 | 14 | 5 | 1 | 1 | 0 | 36 | 15 | ||
2007 | G大阪 | 18 | 31 | 20 | 7 | 5 | 4 | 1 | 42 | 26 | |
2008 | 18 | 10 | 1 | 0 | - | 19 | 10 | ||||
UAE | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2008-09 | アル・アハリ | 9 | 1部 | 10 | 11 | ||||||
2009-10 | 19 | 11 | |||||||||
2010-11 | アル・ジャジーラ | 20 | 12 | ||||||||
2011-12 | 14 | 11 | |||||||||
カタール | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2012-13 | アル・アラビ | 20 | 1部 | 7 | 2 | ||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 清水 | 9 | J1 | 16 | 4 | 6 | 2 | - | 22 | 6 | |
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 天津泰達 | 超級 | 13 | 3 | |||||||
2014 | 16 | 4 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 甲府 | 10 | J1 | 22 | 8 | 0 | 0 | 1 | 0 | 23 | 8 |
通算 | ブラジル | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
日本 | J1 | 117 | 56 | 19 | 8 | 6 | 1 | 142 | 65 | ||
日本 | J2 | 152 | 71 | - | 8 | 7 | 160 | 80 | |||
デンマーク | スーペル | 6 | 3 | ||||||||
ウルグアイ | 1部 | ||||||||||
UAE | 1部 | 49 | 34 | ||||||||
カタール | 1部 | 7 | 2 | ||||||||
中国 | 超級 | 28 | 7 | - | |||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 2005年
- J1・J2入れ替え戦 2試合7得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | AFC CL | CWC | ||||
2008 | G大阪 | 18 | 6 | 1 | - | |
2009 | アル・アハリ | 9 | 5 | 0 | 1 | 0 |
2010 | 3 | 1 | - | |||
2011 | アル・ジャジーラ | 3 | 2 | - | ||
2012 | 7 | 3 | - | |||
通算 | AFC | 24 | 7 | 1 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2008年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 2試合5得点
出場歴
- Jリーグ初出場・初得点 - 2001年5月23日 J2第13節 vs水戸ホーリーホック(ひたちなか市総合運動公園陸上競技場)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ガンバ大阪
- Jリーグカップ:1回(2007年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2007年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回(2008年)
- アル・アハリ
- UAEリーグ:1回(2008-09)
- アル・ジャジーラ
- UAEリーグ:1回(2010-11)
- UAEプレジデンツカップ:1回(2010-11)
個人
[編集]- Jリーグ優秀選手賞: 1回(2007年)
- Jリーグベストイレブン:1回(2007年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ得点王:1回(2008年)
CM出演
[編集]出典
[編集]- ^ a b 「スペハルインタビュー・バレー[G大阪/FW]「隠しきれない潜在能力」」 『週刊サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、2007年3月13日号、 No.1126、12-13頁。
- ^ a b c 「People 150 バレー(大宮アルディージャ)」『週刊サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、2001年7月4日号 No.820、38-39頁。
- ^ 『新外国籍選手加入のお知らせ』(プレスリリース)大宮アルディージャ、2001年4月7日。オリジナルの2004年12月27日時点におけるアーカイブ 。2017年12月11日閲覧。
- ^ 内田浩嗣 (2008年7月28日). “[Jジャーナル/大宮]あのバレーが… - 練習場レポート”. 速報!サッカーEG. 2017年12月11日閲覧。
- ^ 21世紀の骨のあるヤツ - 第94回 バレー(サッカー) - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分) @ぴあ
- ^ “選手出場記録 大宮アルディージャ 2001Jリーグ ディビジョン2”. J. League Data Site. Jリーグ. 2017年12月11日閲覧。
- ^ 『選手』(プレスリリース)大宮アルディージャ、20043-01-14。オリジナルの2004年12月23日時点におけるアーカイブ 。2017年12月11日閲覧。
- ^ “2005Jリーグ ディビジョン2 得点順位表 【第44節】”. J. League Data Site. Jリーグ. 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b 下園昌記「バレー移籍の真相と中東マネーがもたらす波紋」『Jリーグサッカーキング』フロムワン、2008年10月号、18-21頁。
- ^ “ベストイレブン 『Jリーグアウォーズ』~Jリーグ年間表彰式~”. Jリーグ. 2017年12月11日閲覧。
- ^ “【パンパシフィックチャンピオンシップ決勝 G大阪 vs ヒューストン・ダイナモ 】試合終了後の各選手コメント”. J’s GOALアーカイブ (Jリーグ). (2008年2月24日) 2017年12月11日閲覧。
- ^ UAE League Professional 2008/2009 Goal Scorers - goalzz.com
- ^ “Al Jazira's day to shine as they become President's Cup champions”. UAE Pro League Committee. (2011年4月11日) 2017年12月11日閲覧。
- ^ “バレー選手 加入決定のお知らせ”. 清水エスパルス. 2012年12月30日閲覧。
- ^ “バレー選手 天津泰達(中国スーパーリーグ)へ完全移籍決定のお知らせ”. 清水エスパルス. 2013年7月25日閲覧。
- ^ バレー選手 加入内定のお知らせ ヴァンフォーレ甲府公式サイト 2015年5月3日
- ^ 『契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2016年1月8日 。2017年12月11日閲覧。
- ^ 『Glória contrata centroavante Baré - Notícias』(プレスリリース)GrêmioEsportivoGlória、2016年2月5日 。2017年12月11日閲覧。
- ^ 【J1 注目選手スペシャルインタビュー】Vol.12:甲府 バレー選手「いちばん近い目標は、次のゲームに勝つこと」(06.10.16) - ウェイバックマシン(2011年4月23日アーカイブ分) J's GOAL
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - Soccerway.com
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - FootballDatabase.eu
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - WorldFootball.net
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - Transfermarkt.comによる選手データ
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - FIFA主催大会成績
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - J.League Data Siteによる選手データ
- ジャデル・ヴォルネイ・スピンドラー - playmakerstats.com