バルヴェアード卿
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バルヴェアード卿(英: Lord Balvaird)は、スコットランド貴族のロード・オブ・パーラメント。バルヴェアード領主アンドリュー・マレーが1641年に叙されたことを発端とするが、現在はストーモント子爵を経てマンスフィールド伯爵の従属爵位として現存する。
歴史
[編集]マレー家はバルヴェアード封建領主を務める旧家で、その祖アンドリュー・マレー(?-1644)はスコットランド国教会に属する牧師であった[1]。彼の晩年に国王チャールズ1世が国教会祈祷書の押し付けを図ると、スコットランド貴族と国民は強硬に反発、国民盟約を締結するに至った[2]。アンドリューはこの盟約に署名した2人目の人物である一方、対イングランド強硬派には融和を促した[1]。その後、国王側近の第3代ハミルトン侯爵はこうした彼の貢献をチャールズ1世に報告したことで、彼は1641年11月17日にバルヴェアード卿(Lord Balvaird)に叙されるに至った[1][3][4]。彼ののちはその息子デイヴィッドが爵位を襲っている[4]。
2代卿デイヴィッド(?-1668)は1642年に親族ジェームズ・マレーの死去に伴う特別継承権の発動によって、ストーモント子爵を継承している[3][4]。また、その子孫がさらに親族からマンスフィールド伯爵を相続したため、バルヴェアード卿は伯爵位の従属爵位として現在に至っている[5][6]。
バルヴェアード卿(1641年)
[編集]- 初代バルヴェアード卿アンドリュー・マレー (?-1644)
- 第2代バルヴェアード卿デイヴィッド・マレー (?-1668) (1658年にストーモント子爵位継承)
以降の歴代卿はストーモント子爵とマンスフィールド伯爵を参照。
脚注
[編集]註釈
[編集]
出典
[編集]- ^ a b c Lee, Sidney, ed. (1894). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 39. London: Smith, Elder & Co.
- ^ 森, 護『スコットランド王国史話』大修館書院、1988年、318-319頁。ISBN 9784469242560。
- ^ a b “Stormont, Viscount of (S, 1621)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 608
- ^ “Mansfield, Earl of (GB, 1776 & 1792)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月8日閲覧。
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 215–216.