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バルチ (DD-363)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バルチ (USS Balch, DD-363) はアメリカ海軍駆逐艦ポーター級

艦名はジョージ・バルチ英語版提督に因む。

艦歴

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ベスレヘム造船フォアリバー造船所で建造された。1934年5月16日起工。1936年3月24日進水。1936年10月20日就役。

第二次世界大戦

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1942年2月1日、空母「エンタープライズ」、巡洋艦3隻および「バルチ」などからなる第8任務部隊はマーシャル諸島攻撃を行った[1]。この時は「バルチ」は重巡洋艦「チェスター」および駆逐艦「モーリー」とともにマロエラップ環礁砲撃部隊であり[2]、329発の5インチ砲弾を発射した[3]

この後、損傷した「チェスター」が抜け、第8任務部隊は第16任務部隊と改称[4]。部隊は真珠湾に帰投後再び出撃し、2月24日にウェーク島を攻撃した[5]。この時は「バルチ」は重巡洋艦「ノーザンプトン」、「ソルトレイクシティ」、駆逐艦「モーリー」とともに艦砲射撃を行なった[6]。艦砲射撃後、「モーリー」が175トン程度の日本の哨戒艇を撃沈[7]。次いで「バルチ」も400トン程度の哨戒艇を砲撃で沈め、その乗員4名を救助して捕虜とした[8]。この日、日本側は「第七号監視艇(第五富久丸)」を失い、「第四号監視艇(第一見寳丸)」が行方不明になった[9]とされている。

以後、「バルチ」はドーリットル空襲(1942年4月18日)ミッドウェー海戦(1942年6月5日-6月7日)、ガダルカナル島上陸(1942年8月7日-30日)、アッツ島進攻(1943年5月11日-6月2日)、ワクデ島などへの上陸(1944年5月25日-28日)、ビアク島進攻(1944年5月28日-6月18日)に参加。ミッドウェー海戦では空母「ヨークタウン」の生存者545名を救助した。

1944年7月15日にニューヨークに到着し、同年8月2日から1945年5月23日までの間に5度大西洋横断船団の護衛に従事した。

また、1945年4月14日には雷撃された「Belgium」の生存者46名を救助している。

1945年10月19日、退役。翌年解体された。

脚注

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  1. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Early Raids in the Pacific Ocean, p.3
  2. ^ Early Raids in the Pacific Ocean, p.3
  3. ^ Dictionary of American Naval Fighting Ships: Balch II (DD-363)
  4. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、466ページ
  5. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、467ページ
  6. ^ Early Raids in the Pacific Ocean, p.44-45
  7. ^ Early Raids in the Pacific Ocean, p.46
  8. ^ Early Raids in the Pacific Ocean, p.46-47
  9. ^ 戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで、464ページ

参考文献

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