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バルエ王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バルエ王国(Barue Kingdom)またはバリュー王国モザンビーク西部のバルエ郡英語版マニカ州)に位置する植民地時代以前の王国[注釈 1]

概要

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バルエ王国は当初、モノモタパ王国の地方を統治する際に誕生した。バルエ王国が最初に言及されたのは1506年のことである。また、1512年、アントニオ・フォルナンデスがバルエに王がいたことを記録している。バルエの王朝は1480年代に出現した可能性がある。バルエ地域におけるモノモタパ権力の衰退はポルトガル海上帝国の来航と重なり、バルエ王国はその3世紀を通じてポルトガルの攻撃対象だった[1]1650年、アントニオ・ロボ・ダ・シルバの指揮下にあるポルトガル人が征服した[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ バルエ郡は、3つの河川(Pandira, Tchatola, Gairezi)によってジンバブエと国境を接している。

出典

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  1. ^ van Dokkum 2020, pp. 25–26.
  2. ^ Perfil do Distrito de Báruè” (ポルトガル語). Ministry of State Administration (2005年). 11 November 2016閲覧。

参考文献

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  • van Dokkum, André (2020). “The Kingdom of Barue: The Desire for Independence”. Nationalism and Territoriality in Barue and Mozambique. Leiden: Brill. ISBN 978-90-04-42863-8 

関連項目

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