バラクータ (外輪スループ)
バラクータ | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | ペンブローク・ドック(Pembroke Dock) |
運用者 | イギリス海軍 |
建造費 | £50,042[注 1] |
艦歴 | |
発注 | 1847年4月29日 |
起工 | 1849年5月 |
進水 | 1851年3月31日 |
就役 | 1853年7月30日 |
最期 | 1881年解体 |
要目 | |
排水量 | 1,676トン |
トン数 | 1,048bmトン |
長さ |
190 ft 2 in (58.0 m)(砲列甲板) 166 ft 4+1⁄2 in (50.7 m)(キール長) |
幅 | 35 ft 0 in (10.7 m) oa |
深さ | 20 ft 5 in (6.2 m) (庫内) |
推進 |
2気筒蒸気機関 外輪 帆走 (バーク) |
出力 |
300馬力(公称馬力) 881馬力(指示馬力) |
速力 | 10.5ノット |
乗員 | 100人 |
兵装 |
竣工時:
1856年改装:
1862年改装:
|
出典:[1] |
HMSバラクータ(HMS Barracouta)は、イギリス海軍の最後の外輪スループで、1854年に長崎で日英和親条約が結ばれた際に来航していた4隻のうちの1隻。1851年にペンブローク・ドック(Pembroke Dock)で進水、アジア地域でクリミア戦争、アロー戦争に参加した。
設計と建造
[編集]バラクータは2等外輪スループとして設計され、1847年4月25日にペンブローク・ドックに発注された。10インチ旋回砲を2門、32ポンド砲を4門搭載した。Miller, Ravenhill & Salkeld社製の2気筒直接作動蒸気機関の価格は£18,228で、300馬力(公称馬力)または881馬力(指示馬力)の出力があった[1]。
1856年に武装の変更が行われた。10インチ砲の内1門は68ポンド砲に交換され、また32ポンド砲もより強力なタイプに換装された。1862年には68ポンド砲は110ポンドアームストロング砲に交換された[1]。
1849年5月にキールの据付が行われ[1]、1851年3月31日に進水した[2]。総建造費は£50,042で同型艦は無し、またイギリス海軍の最後の外輪スループとなった。帆走形式はバーク形であった[1]。
艦歴
[編集]1853年7月30日に竣工し[1]、1854年に東インド・中国艦隊に配属された。1854年9月7日、旗艦ウィンチェスターと共に長崎に入港したが、この際に外交交渉が行われ、同年10月14日に日英和親条約が調印された。
その後、ウィンチェスターとともに、ロシアのヴァシリー・ザヴォイコ(Vasily Zavoyko(Василий Завойко))の艦隊を捜索するために北に向かい、1855年8月にピョートル大帝湾の初めての測量を行った。
次いで、1860年から1864年まで北米・西インド艦隊(North America and West Indies Station)に所属、一旦英国に戻り、1866年に再び北米・西インド艦隊に派遣された。1870年に英国に戻り、ポーツマス海軍工廠で給水艦として使用された。
1873年に西アフリカ艦隊(West Africa Station)に配属され、英・アシャンティ戦争(Anglo-Ashanti wars)に参加した[2]。英国に戻り整備した後、1874年8月にオーストラリア艦隊(Australia Station )に配備された[2]。1876年にはサモアでの作戦に参加した。1876年7月にオーストラリアを離れ、1877年には英国に戻り、チャタム工廠で係留された[2]。
1881年12月にチャタム工廠で解体された[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ A total cost accounting for inflation of approximately £6,920,800 in today's money.
出典
[編集]参考文献
[編集]- Bastock, John (1988), Ships on the Australia Station, Child & Associates Publishing Pty Ltd; Frenchs Forest, Australia. ISBN 0867773480
- Winfield, Rif; Lyon, David (2004). The Sail and Steam Navy List: All the Ships of the Royal Navy 1815–1889. London: Chatham Publishing. ISBN 978-1-86176-032-6. OCLC 52620555.