バディ・カーライル
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ネブラスカ州オマハ |
生年月日 | 1977年12月21日(46歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 210 lb =約95.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズから指名 |
初出場 |
MLB / 1999年8月29日 NPB / 2001年4月6日 KBO / 2006年 |
最終出場 |
MLB / 2009年9月3日 NPB / 2010年8月25日 KBO / 2006年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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アール・レスター・カーライル(Earl Lester "Buddy" Carlyle , 1977年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。
経歴
[編集]プロ入りとパドレス時代
[編集]1996年のMLBドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズに指名され、7月21日に契約。
1998年4月8日にトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍し、翌1999年8月29日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。シーズン終盤にメジャー初白星を挙げる。
阪神時代
[編集]2000年11月3日に阪神タイガースに入団。1年目の2001年は7勝10敗と負け越し、防御率3.87はリーグ14位だった。2年目の2002年は調子を落とし更にマーク・バルデスやトレイ・ムーアが活躍しシーズンの大半を二軍暮らしになってしまった。結局、シーズン未勝利に終わり(2敗)、防御率も7.53と大きく悪化し、同年オフに解雇。
LG時代まで
[編集]2002年12月18日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだが、メジャーでの出場はなく、2003年10月15日にFAとなった。同年12月23日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2004年はマイナーリーグで12勝5敗・防御率3.19と好投したが、メジャー昇格はならず、FAとなった。11月18日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。2005年に中継ぎとしてメジャー昇格も果たすが結果が出ず、すぐにマイナー降格。5月4日に放出された。12月15日にフロリダ・マーリンズと契約した。
2006年5月18日に放出され、翌日19日に、故障により退団したマニー・アイバーの代役として韓国プロ野球(KBO)のLGツインズと契約。
ブレーブス時代
[編集]2006年12月4日にアトランタ・ブレーブスと契約。2007年6月7日に先発として登板し、7年269日ぶりのメジャーでの勝ち星を挙げる。しかしチームの中継ぎの事情により、その日のうちにマイナー降格という憂き目に遭った。また、7月6日のパドレス戦の4回、メジャー史上39回目の「1イニング三者3球三振」を記録。
2008年は45試合に登板してまずまずの成績を残すも、2009年は打ち込まれることが多く不本意な成績に終わる。10月9日にFAとなった。
日本ハム時代
[編集]2009年11月17日に北海道日本ハムファイターズとの契約に合意した旨が日本ハム球団から発表された。
2010年は、開幕一軍、先発ローテーションを任されたが、間もなく二軍落ち。監督、コーチからも捕手のサインに首を横に振ることが多かったことから「ストレート、速球に頼りすぎ」の評価を受けた。結局、7試合に登板(そのうち4試合は先発)し、開幕ローテーション入りも果たしたが1勝も挙げられずに9月30日に退団が決まった[1]。
ヤンキース復帰
[編集]2010年12月2日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[2]。
2011年4月23日にメジャー昇格。7月5日に傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに降格し、8月20日に自由契約になった。
ブレーブス復帰
[編集]2012年1月30日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。
ブルージェイズ傘下時代
[編集]2012年12月11日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。
2013年は、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えた。11月5日にFAとなった。
メッツ時代
[編集]2014年2月18日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[3]。開幕後は傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで18試合に登板。1勝1敗1セーブ・防御率1.27と好投し、5月31日にメッツとメジャー契約を結んだ[4]。同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では同点の延長11回裏から3年ぶりのメジャー登板。3回を2安打無失点に抑え、直後の14回表にメッツが勝ち越したため、勝利投手となった[5]。2度目の登板となった6月4日のシカゴ・カブス戦では、1.1回を無失点に抑えたが、6月5日にDFAとなり、6月7日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月6日にジョン・ニースが故障で離脱したため、再びメッツとメジャー契約を結んだ[6]。昇格後は3試合に登板したが、7月20日にDFAとなり[7]、7月23日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月26日に松坂大輔が故障者リスト入りしたため、メッツと再びメジャー契約を結んだ[8]。この年は27試合に登板し、1勝1敗、防御率1.45だった。オフの10月31日に40人枠を外れ、AAA級ラスベガスへ降格し、11月4日にFAとなった。
2015年1月5日にメッツとマイナー契約で再契約した[9]。4月5日にメジャー契約を結び昇格したが、5月14日に背中の痙攣で15日間の故障者入りし[10]、7月7日に60日間の故障者リストに移行した[11]。同年は11試合に投げたが、防御率5.63と今一つだった。しかし1勝を挙げたほか、メジャー初セーブもマークした。11月10日にFAとなった[12]。
2016年はメッツと再びマイナー契約したが、スプリングトレーニング終盤に解雇された。
現役引退後
[編集]2016年5月10日に古巣アトランタ・ブレーブスのコーチ補佐に就任したことが発表され、同時に現役引退を表明した[13]。
2017年からはロサンゼルス・エンゼルス傘下AA級モービル・ベイベアーズのコーチに就任し、翌2018年からはエンゼルス傘下マイナー巡回のピッチングコーディネーターを務めている[14]。
人物
[編集]2009年5月に1型糖尿病を発症したことを明らかにしている。2010年春季キャンプ中、本人の希望で阪神のキャンプ地・宜野座を訪問し、同じく1型糖尿病を発症している岩田稔との対談を行った。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1999 | SD | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 162 | 37.2 | 36 | 7 | 17 | 0 | 2 | 29 | 1 | 0 | 28 | 25 | 5.97 | 1.41 |
2000 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 18 | 3.0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 7 | 21.00 | 3.00 | |
2001 | 阪神 | 28 | 26 | 0 | 0 | 0 | 7 | 10 | 0 | -- | .412 | 652 | 153.1 | 151 | 22 | 64 | 2 | 1 | 111 | 2 | 2 | 73 | 66 | 3.87 | 1.40 |
2002 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 65 | 14.1 | 17 | 1 | 5 | 0 | 1 | 13 | 1 | 0 | 12 | 12 | 7.53 | 1.53 | |
2005 | LAD | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 62 | 14.0 | 16 | 4 | 4 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 13 | 13 | 8.36 | 1.43 |
2006 | LG | 32 | 3 | 0 | 0 | -- | 2 | 6 | 2 | 11 | .250 | 215 | 52.2 | 45 | 3 | 11 | 2 | 4 | 48 | 0 | 1 | 21 | 19 | 3.25 | 1.06 |
2007 | ATL | 22 | 20 | 0 | 0 | 0 | 8 | 7 | 0 | 0 | .533 | 462 | 107.0 | 117 | 19 | 32 | 8 | 2 | 74 | 3 | 0 | 67 | 62 | 5.21 | 1.39 |
2008 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 259 | 62.2 | 52 | 5 | 26 | 6 | 1 | 59 | 4 | 1 | 26 | 25 | 3.59 | 1.24 | |
2009 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | .000 | 107 | 21.1 | 35 | 5 | 12 | 4 | 0 | 12 | 2 | 0 | 23 | 21 | 8.86 | 2.20 | |
2010 | 日本ハム | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 125 | 27.2 | 35 | 2 | 11 | 0 | 1 | 14 | 1 | 1 | 18 | 15 | 4.88 | 1.67 |
2011 | NYY | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 34 | 7.2 | 5 | 1 | 7 | 1 | 0 | 9 | 2 | 0 | 4 | 4 | 4.70 | 1.56 |
2014 | NYM | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 119 | 31.0 | 23 | 2 | 5 | 0 | 0 | 28 | 0 | 0 | 6 | 5 | 1.45 | 0.90 |
2015 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1.000 | 32 | 8.0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 5 | 5 | 5.63 | 1.13 | |
MLB:9年 | 150 | 27 | 0 | 0 | 0 | 13 | 13 | 0 | 8 | .500 | 1255 | 292.1 | 298 | 43 | 107 | 19 | 6 | 232 | 13 | 1 | 179 | 167 | 5.14 | 1.39 | |
NPB:3年 | 38 | 33 | 0 | 0 | 0 | 7 | 15 | 0 | 0 | .318 | 842 | 195.1 | 203 | 25 | 80 | 2 | 3 | 138 | 4 | 3 | 103 | 93 | 4.28 | 1.45 | |
KBO:1年 | 32 | 3 | 0 | 0 | -- | 2 | 6 | 2 | 11 | .250 | 215 | 52.2 | 45 | 3 | 11 | 2 | 4 | 48 | 0 | 1 | 21 | 19 | 3.25 | 1.06 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- NPB投手記録
- NPB打撃記録
- 初打席・初安打:2001年4月6日、対横浜ベイスターズ1回戦(大阪ドーム)、3回裏に小宮山悟から中前二塁打
- 初打点:2001年5月6日、対中日ドラゴンズ9回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に武田一浩から右前適時打
背番号
[編集]- 58 (1999年 - 2000年、2005年)
- 26 (2001年 - 2002年)
- 99 (2006年)
- 38 (2007年 - 2009年)
- 12 (2010年)
- 41 (2011年)
- 44 (2014年)
- 43 (2015年)
脚注
[編集]- ^ “カーライル選手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2010年9月30日). 2015年11月11日閲覧。
- ^ NEW YORK POST Archived 2010年12月3日, at the Wayback Machine.
- ^ “Mets sign RHP Buddy Carlyle”. ESPN. 2014年2月18日閲覧。
- ^ Anthony DiComo (2014年5月31日). “After swapping Montero for Carlyle, Mets call Eveland”. MLB.com. 2014年6月1日閲覧。
- ^ “Scores for May 31, 2014”. ESPN MLB (2014年5月31日). 2014年6月1日閲覧。
- ^ Mike Axisa (2014年7月6日). “Mets place lefty Jon Niese on 15-day DL with shoulder strain”. CBS Sports. 2014年7月7日閲覧。
- ^ Anthony DiComo (2014年7月20日). “Dice-K back to bullpen as Niese returns from DL”. MLB.com. 2014年7月21日閲覧。
- ^ Caitlin Swieca (July 26, 2014). “Mets place Dice-K on 15-day DL, recall Carlyle”. MLB.com. July 27, 2014閲覧。
- ^ “Mets sign Buddy Carlyle to a minor league contract”. MLB.com Mets Press Release (2015年1月5日). 2015年1月6日閲覧。
- ^ Anthony DiComo (2015年5月12日). “Back injury could force Carlyle to disabled list” (英語). MLB.com 2015年11月11日閲覧。
- ^ “Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年7月7日). 2015年11月11日閲覧。
- ^ “Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
- ^ “元阪神、日ハムのカーライルが引退 ブレーブスのコーチ補佐に就任 ”. デイリースポーツ. (2016年5月11日) 2016年5月11日閲覧。
- ^ “Angels announce 2021 Minor League development staffs”. MLB.com (2021年4月6日). 2021年6月28日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 B.カーライル - NPB.jp 日本野球機構