ピエール・ラフルール
ピエール・ラフルール | |
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1978年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ランバージャック・ピエール ユーコン・ピエール ピエール・ラフルール ザリノフ・ルブーフ "ソルジャー" ザリノフ・ルブーフ "プライベート" ザリノフ・ルブーフ バッファロー・ザリノフ ザ・ラシアン・ストンパー イゴール・ボルコフ イワン・ザルノフ マックス・ルブーフ |
本名 |
レジャン・ギャニオン (Rejean Gagnon) |
ニックネーム | カナダの猛牛 |
身長 | 188cm - 190cm |
体重 | 120kg - 125kg |
誕生日 | 1939年2月13日(85歳) |
出身地 |
カナダ ケベック州 モントリオール |
トレーナー | マッドドッグ・バション |
"ランバージャック" ピエール・ラフルール("Lumberjack" Pierre Lafleur、1939年2月13日 - )は、カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。
ヒールのラフ&パワーファイターとして、カナダおよびアメリカ合衆国の主要テリトリーで活動した[1]。1970年代後半のWWWFにおけるタッグチーム、ユーコン・ランバージャックス(The Yukon Lumberjacks)での活躍で知られる[2]。
来歴
[編集]マッドドッグ・バションにスカウトされ、地元のモントリオール地区にてザリノフ・ルブーフ(Zarinoff Lebeouf)のリングネームでデビュー。1972年9月にはバションのブッキングにより、国際プロレスにバッファロー・ザリノフ(Buffalo Zarinoff)の変名で来日[3]。同時参加したビル・ロビンソンやバディ・オースチン、ビル・ドロモ、ベンジー・ラミレスらと組んでストロング小林やグレート草津と対戦し、9月12日の船橋ヘルスセンターにおけるサンダー杉山とのシングルマッチではダブル・カウントアウトで引き分けの戦績を残した[3][4]。
以後、バンクーバーやポートランドなど太平洋岸北西部での活動を経て、1975年よりインディアナポリスのWWAに参戦し、サージェント・ジャック・グレイとのフランス外人部隊ギミックのタッグチーム、ザ・リージョネアーズ(The Legionnaires)で活躍[5]。ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビとWWA世界タッグ王座を争った[6]。
その後はザ・ラシアン・ストンパー(The Russian Stomper)をリングネームに、テネシーのNWAミッドアメリカやノースカロライナのジム・クロケット・プロモーションズなど、NWAの中南部地区を転戦[7]。テネシーでは1977年1月1日、トミー・リッチを破ってNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を獲得[8]。ノースカロライナでは同年8月16日、リッキー・スティムボートが保持していたNWAミッドアトランティックTV王座に挑戦した[9]。
WWAでもロシア人のギミックを用い、イゴール・ボルコフ(Igor Volkoff)のリングネームで活動。イワン・コロフやジミー・バリアントと共闘して、ブルーザー、ムース・ショーラック、ボボ・ブラジル、ウイルバー・スナイダー、スティーブ・リーガル、スパイク・ヒューバーらと抗争した[10]。
1978年3月、ランバージャックのスタイルとなってWWWFに登場。スコット・アーウィンをパートナーに、アーウィンは「エリック」、自身は「ピエール」を名乗り、ユーコン・ランバージャックス(The Yukon Lumberjacks)を結成する[11]。マネージャーにはキャプテン・ルー・アルバーノを迎え、6月26日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーからWWWF世界タッグ王座を奪取、11月21日にトニー・ガレア&ラリー・ズビスコに敗れるまで戴冠した[12][13]。ガーデンでは、1979年1月22日の定期戦でダスティ・ローデスとも対戦している[14][15]。
WWWF離脱後はロシア人ギミックのイゴール・ボルコフに戻り、古巣のWWAにて活動[16]。1979年4月1日にはロジャー・カービーと組んでスナイダー&ペッパー・ゴメスを破り、WWA世界タッグ王座に返り咲いた[6](同時期、カナダのバンクーバー地区でもイゴール・ボルコフと名乗るレスラーが活動していたが、これはラフルールではなくダニー・バビッチの変名である[17])。
その後はモントリオールに戻り、キャリア末期の1980年代前半は、ジノ・ブリットらが主宰していたインターナショナル・レスリングにザリノフ・ルブーフとして出場。セーラー・ホワイトやジル・ポワソンと共闘し、ブラボー、リック・マーテル、エドワード・カーペンティア、アンドレ・ザ・ジャイアントらと対戦した[1]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- WWA世界タッグ王座(インディアナポリス版):2回(w / サージェント・ジャック・グレイ、ロジャー・カービー)[6]
脚注
[編集]- ^ a b “Yukon Pierre”. Cagematch.net. 2014年10月26日閲覧。
- ^ “Yukon Lumberjacks”. Cagematch. 2011年7月12日閲覧。
- ^ a b “IWE 1972 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2024年5月1日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Lumberjack Pierre in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
- ^ “The Legionnaires”. Online World of Wrestling. 2011年7月12日閲覧。
- ^ a b c “WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。
- ^ “Lumberjack Pierre: Places”. Wrestlingdata.com. 2020年7月5日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月17日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Lumberjack Pierre in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
- ^ “The WWA matches fought by Lumberjack Pierre in 1977”. Wrestlingdata.com. 2016年9月15日閲覧。
- ^ “The Yukon Lumberjacks”. Online World of Wrestling. 2011年7月12日閲覧。
- ^ a b “History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2011年7月12日閲覧。
- ^ a b “WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月12日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1979”. The History of WWE. 2011年7月12日閲覧。
- ^ “The WWE matches fought by Lumberjack Pierre in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月26日閲覧。
- ^ “The WWA matches fought by Lumberjack Pierre in 1979”. Wrestlingdata.com. 2016年9月15日閲覧。
- ^ “Danny Babich”. Wrestlingdata.com. 2015年12月17日閲覧。
- ^ “NWA Tennessee Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年12月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- ピエール・ラフルールのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database