バタイニツァ空軍基地
バタイニツァ空軍基地 Aerodrom Batajnica Аеродром Батајница | |||||||||||||
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管制塔 | |||||||||||||
IATA: BJY - ICAO: LYBT | |||||||||||||
概要 | |||||||||||||
国・地域 | セルビア | ||||||||||||
所在地 | ベオグラード・ゼムン | ||||||||||||
種類 | 軍用 | ||||||||||||
運営者 | セルビア空軍及び防空軍 | ||||||||||||
開設 | 1951年 | ||||||||||||
標高 | 86 m | ||||||||||||
座標 | 北緯44度56分07秒 東経020度15分27秒 / 北緯44.93528度 東経20.25750度座標: 北緯44度56分07秒 東経020度15分27秒 / 北緯44.93528度 東経20.25750度 | ||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||
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空港の一覧 |
バタイニツァ空軍基地(セルビア語: Аеродром Бaтajницa / Aerodrom Batajnica)は、セルビア共和国の軍用航空基地である。ベオグラードの北西約20km、バタイニツァ地区とノヴァ・パゾヴァ(en:Nova Pazova)地区の間に位置する。この基地は、セルビアで唯一、2本のアスファルト舗装された滑走路を持つ飛行場である。
歴史
[編集]バタイニツァ空軍基地は、1947年に建設が始められ、1951年に完成し、このとき航空基地として正式に発足した。基地の目的は首都の防空であった。草地の滑走路1本と、アスファルト舗装の滑走路2本を備える。2006年の組織再編までは「第177航空基地」の名称で知られていた。
バタイニツァは、第204戦闘航空連隊、第138輸送航空連隊及びその他のユーゴスラビア空軍部隊の基地であった。
1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆の間、バタイニツァ基地は25日間にわたって激しい爆撃を受け、甚大な被害を受けた。
2006年6月に、アメリカ空軍のF-16戦闘機2機がバタイニツァ空軍基地を訪問した。20年以上途絶えていたアメリカ空軍機による、空爆後初の公式訪問であった。
駐留部隊
[編集]以下のセルビア空軍及び防空軍部隊が駐留している。
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第101戦闘飛行隊のL-17(MiG-21bis)
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第252教育飛行隊のN-62(ソコ G-4)
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第138輸送飛行隊のAn-26
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第890混成ヘリコプター飛行隊のMi-17
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軍事技術試験センター飛行試験部門のJ-22
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基地防空用のボフォースL/70 40mm高射機関砲
民間利用
[編集]セルビアの民間航空当局は、今後のバタイニツァ空軍基地へのLCCの商業飛行受け入れの可能性について、いくつかの観点から検討している。推進者は、わずか数km離れて隣接するベオグラード・ニコラ・テスラ空港に対し、この基地は、気象条件が有利であることに加え、E75高速道路に近接していること、市内へ鉄道で直接接続していることで、より理想的であると主張している。この提案では、バタイニツァ基地は軍民共用空港とし、軍用としても使用され続けるものの、空港の所有権は市当局に移管されるものとしている[3][4][5]。
一般公開など
[編集]通常、バタイニツァ空軍基地への民間人の立ち入りは制限されているが、空軍記念日などを中心に基地を公開して航空ショーが開催されることがあり、多数の見学客でにぎわう。
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2009年バタイニツァ航空ショーの光景
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2012年バタイニツァ航空ショーでのL-18(MiG-29)の展示飛行
脚注
[編集]- ^ 204TH AIR FORCE BRIGADE
- ^ AIR FORCE TRAINING CENTER
- ^ “U Batajnicu će sletati i civili” (Serbian). B92 (9 January 2008). 2016年1月23日閲覧。
- ^ “Aerodrom u Batajnici rezervisan za loukost letove” (Serbian). 24sata.rs (15 June 2011). 2016年1月23日閲覧。
- ^ “Second airport for Belgrade by 2016”. EX-YU Aviation (27 June 2011). 2016年1月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 「ユーゴスラビアの航空ショー」『航空ファン』1990年12月号(Vol.39,No12)、文林堂、pp.16-19