バジェ・デ・オアハカ侯爵
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バジェ・デ・オアハカ侯爵 Marquesado del Valle de Oaxaca | |
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創設時期 | 1529年7月20日 |
創設者 | カルロス1世 |
貴族 | スペイン貴族 |
初代 | エルナン・コルテス・デ・モンロイ・イ・ピサロ |
現所有者 | アルバロ・デ・ランサ・イ・フィゲロア(15代侯)[1] |
相続人 | クラウディア・デ・ランサ・イ・ロペス=ケサダ |
相続資格 | 絶対的な長子相続制 (Absolute primogeniture) |
バジェ・デ・オアハカ侯爵(スペイン語: Marquesado del Valle de Oaxaca)は、スペイン貴族の侯爵位。1529年7月20日にスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)によりコンキスタドールのエルナン・コルテスが王室への貢献と「ヌエバ・エスパーニャの発見と植民」の功績により叙位されたのに始まる[2]。
侯爵領はその名のオアハカ谷よりも範囲が広く、現在のメキシコの州であるオアハカ州、モレロス州、ベラクルス州、ミチョアカン州、メヒコ州にわたる広大な領域だった。
やがて同爵位は女系継承でイタリアに定住するモンテレオーネ公爵ピニャテリ家に移ったが、1984年にスペイン在住の子孫ランサ家に爵位が認められる判決が出、爵位がスペインに戻った[3][4]。
歴代バジェ・デ・オアハカ侯爵(1529年-)
[編集]- 初代バジェ・デ・オアハカ侯エルナン・コルテス・デ・モンロイ・イ・ピサロ(1485年-1547年)[5]
- 2代バジェ・デ・オアハカ侯マルティン・コルテス・デ・スニガ(1533年–1589年)初代侯の嫡出の長男[5]
- 3代バジェ・デ・オアハカ侯フェルナンド・コルテス・ラミレス・デ・アレラーノ(1563年-1602年)2代侯の長男[5]
- 4代バジェ・デ・オアハカ侯ペドロ・コルテス・ラミレス・デ・アレラーノ(1565年-1629年)2代侯の次男[5]
- 5代バジェ・デ・オアハカ女侯エステファニア・カリージョ・デ・メンドーサ・イ・コルテス(Estefanía Carrillo de Mendoza y Cortés)(1595年-1653年)2代侯の長女の長女[5]
- 6代バジェ・デ・オアハカ女侯ジョバンナ・タリアヴィア・ド・アラゴナ(Giovanna Tagliavia d'Aragona)(1619年-1692年)5代女侯の一人娘
- 7代バジェ・デ・オアハカ女侯・8代モンテレオーネ女公ジョバンナ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Giovanna Pignatelli d'Aragona)(1666年–1723年)6代女侯の長女
- 8代バジェ・デ・オアハカ侯・9代モンテレオーネ公ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Diego Pignatelli d'Aragona)(1687年–1750年)7代女侯の長男
- 9代バジェ・デ・オアハカ侯・10代モンテレオーネ公ファブリツィオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Fabrizio Pignatelli d'Aragona)(1718年–1763年)8代侯の長男
- 10代バジェ・デ・オアハカ侯・11代モンテレオーネ公エットーレ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Ettore Pignatelli d'Aragona)(1742年–1800年)9代侯の長男
- 11代バジェ・デ・オアハカ侯・12代モンテレオーネ公ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Diego Pignatelli d'Aragona)(1774年-1818年)10代侯の長男
- 12代バジェ・デ・オアハカ侯・13代モンテレオーネ公ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Giuseppe Pignatelli d'Aragona)(1795年–1859年)11代侯の長男
- 停止(1859年-1916年)
- 13代バジェ・デ・オアハカ侯・16代モンテレオーネ公ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Giuseppe Pignatelli d'Aragona)(1860年-1938年)12代侯の次男の長男
- 停止(1938年-1984年)
- 14代バジェ・デ・オアハカ侯ホルヘ・デ・ランサ・イ・アルベルト・デ・ボバディージャ(Jorge de Llanza y Albert de Bobadilla)(1921年-2001年)7代女侯の三男の仍孫[6]
- 15代バジェ・デ・オアハカ侯アルバロ・デ・ランサ・イ・フィゲロア(Álvaro de Llanza y Figueroa)[7](1960年-)14代侯の長男
ピニャテリ家の爵位請求者(1938年-)
- 17代モンテレオーネ公・「14代バジェ・デ・オアハカ侯」アントニオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Antonio Pignatelli d'Aragona)(1892年-1958年)13代侯の長男
- 18代モンテレオーネ公・「15代バジェ・デ・オアハカ侯」ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Giuseppe Pignatelli d'Aragona)(1931年–1989年)「14代侯」の長男
- 19代モンテレオーネ公・「16代バジェ・デ・オアハカ侯」ニッコロ・ピニャテリ・ド・アラゴナ(Niccolò Pignatelli d'Aragona)(1923年–)13代侯の弟の孫
家系図
[編集]初代バジェ・デ・オアハカ侯 エルナン・コルテス 1485年–1547年 | |||||||||||||||||||||
2代バジェ・デ・オアハカ侯 マルティン・コルテス 1533年–1589年 | |||||||||||||||||||||
3代バジェ・デ・オアハカ侯 フェルナンド・コルテス 1563年-1602年 | プリエゴ伯爵夫人 フアナ・コルテス 生年不詳-1612年 | 4代バジェ・デ・オアハカ侯 ペドロ・コルテス 1565年-1629年 | |||||||||||||||||||
5代バジェ・デ・オアハカ女侯 エステファニア・カリージョ・デ・メンドーサ 1595年-1653年 | |||||||||||||||||||||
6代バジェ・デ・オアハカ女侯 モンテレオーネ公爵夫人 ジョバンナ・タリアヴィア・ド・アラゴナ 1619年-1692年 | |||||||||||||||||||||
7代モンテレオーネ公 アンドレア・ファブリツィオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1640年-1677年 | |||||||||||||||||||||
8代モンテレオーネ女公 7代バジェ・デ・オアハカ女侯 ジョバンナ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1666年-1723年 | |||||||||||||||||||||
9代モンテレオーネ公 8代バジェ・デ・オアハカ侯 ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1687年-1750年 | アントニオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1700年–1746年 | ||||||||||||||||||||
10代モンテレオーネ公 9代バジェ・デ・オアハカ侯 ファブリツィオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1718-1763 | 16代フエンテス伯 ホアキン・ピニャテリ・デ・アラゴン 1724年–1776年 | ||||||||||||||||||||
11代モンテレオーネ公 10代バジェ・デ・オアハカ侯 エットーレ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1742年-1800年 | 6代ソルフェリーノ公 フアン・ドミンゴ・ピニャテリ・デ・アラゴン 1757年–1819年 | ||||||||||||||||||||
12代モンテレオーネ公 11代バジェ・デ・オアハカ侯 ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1774年-1818年 | 7代ソルフェリーノ公 フアン・バウティスタ・ピニャテリ・デ・アラゴン 1799年–1823年 | ||||||||||||||||||||
13代モンテレオーネ公 12代バジェ・デ・オアハカ侯 ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1795年-1859年 | 9代ソルフェリーノ公 マリア・デ・ラ・コンセプシオン・ピニャテリ・デ・アラゴン 1824年–1858年 | ||||||||||||||||||||
14代モンテレオーネ公 ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1823年-1880年 | 15代モンテレオーネ公 アントニオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1827年-1881年 | 10代ソルフェリーノ女公 マヌエル・マリア・デ・ランサ 1857年-1927年 | |||||||||||||||||||
16代モンテレオーネ公 13代バジェ・デ・オアハカ侯 ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1860年-1938年 | フェデリコ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1864年-1947年 | 11代ソルフェリーノ公 ルイス・ゴンサガ・デ・ランサ 1884年-1970年 | |||||||||||||||||||
17代モンテレオーネ公 「14代バジェ・デ・オアハカ侯」 アントニオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1892年-1958年 | ファブリツィオ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1897年-1953年 | 14代バジェ・デ・オアハカ侯 ホルヘ・デ・ランサ 1921年-2001年 | |||||||||||||||||||
18代モンテレオーネ公 「15代バジェ・デ・オアハカ侯」 ジョゼッペ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1931年-1989年 | 19代モンテレオーネ公 「16代バジェ・デ・オアハカ侯」 ニッコロ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1923年- | 15代バジェ・デ・オアハカ侯 アルバロ・デ・ランサ 1960年- | |||||||||||||||||||
ディエゴ・ピニャテリ・ド・アラゴナ 1958年- | クラウディア・デ・ランサ・イ・ロペス=ケサダ 1990年- | ||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ Boletín Oficial del Estado (BOE) - 17 October 2001
- ^ Cédula del Emperador Carlos V, concediendo título de Marqués del Valle a Hernán Cortés, 20 de julio de 1529, en la Colección de documentos inéditos para la historia de España, vol. I, pág. 105-108.
- ^ [1] Nobiliaria / Septiembre de 2001
- ^ [2] La Diputación de la Grandeza
- ^ a b c d e Bernardo García Martínez, El Marquesado del Valle, Tres siglos de régimen senorial en Nueva España. Mexico: El Colegio de México, 1969, p. 119.
- ^ Boletín Oficial del Estado: no 213, p. 25645, 5 September 1984. Retrieved 15 November 2014.
- ^ Boletín Oficial del Estado: no. 249, p. 38201, 17 October 2001. Retrieved 23 December 2010.