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ハーベイ・イタノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハーベイ・アキオ・イタノ
Harvey Akio Itano
Itano in 1942
生誕 (1920-11-03) 1920年11月3日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメント
死没 2010年5月8日(2010-05-08)(89歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・カリフォルニア州、ラホヤ
市民権 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 生化学
出身校 カリフォルニア大学バークレー校セントルイス大学カリフォルニア工科大学
主な受賞歴 イーライリリー生物化学賞 (1954)
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア医学業績賞
プロジェクト:人物伝
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ハーベイ・アキオ・イタノ(Harvey Akio Itano、日本名:板野 秋雄[1]〈いたの あきお〉、1920年11月3日 - 2010年5月8日)は、鎌状赤血球貧血やその他の病気の分子基盤に関する研究で最もよく知られている、アメリカの生化学者。イタノはライナス・ポーリングと共同で、電気泳動を使用して正常なヘモグロビン鎌状赤血球ヘモグロビンの違いを示した。1949年の論文「鎌状赤血球貧血、分子病」(シーモア・J・シンガー(英語)アイバート・C・ウェルズ(英語)との共著)[2]は、分子医学およびタンパク質電気泳動で画期的なものとなった。

1979年、イタノは米国科学アカデミー(遺伝学部門)に選出された最初の日系アメリカ人になった。イタノは、カリフォルニア大学サンディエゴ校病理学名誉教授であった[3]。イタノはカリフォルニア州ラホヤパーキンソン病の合併症で亡くなった[4]

若齢期

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捕虜収容所でのカリフォルニア大バークレー校卒業生総代イタノ。

イタノはカリフォルニア州サクラメントで生まれた。イタノはカリフォルニア大学バークレー校に通い、1942年の卒業生総代であった[5]。しかし、イタノはトゥーリーレイク収容所に送られる前に、彼と家族がタンフォラン集会センターに送られたため、バークレーでの学位授与式を逃した。イタノは後にキャンプを離れてセントルイス大学医学部に通うことを許可され、1945年に医学博士号を取得した。その後、カリフォルニア工科大学大学院に進み、1950年に化学と物理学の博士号を取得した[6]

研究

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カリフォルニア工科大学にいる間、イタノはライナス・ポーリングの研究室に加わり、ポーリングが興味を持っていた遺伝病である鎌状赤血球貧血について取り組み始めた[3]。鎌状赤血球症はヘモグロビンの欠陥が原因であるとポーリングは確信し、鎌状赤血球ヘモグロビンが化学的に異なる原因を突き止めるために、イタノを割り当てた[7]。他の多くの方法で失敗した後、イタノは移動境界電気泳動を使い、正常細胞と鎌状赤血球のヘモグロビンを区別することに成功した[8]。彼は電気泳動の先駆者であるウィルヘルム・ティセリウスのもととなったバリエーションである、スタンリー・M・スウィングルが設計した装置を使用した[9]。彼は特定の条件下で、鎌状赤血球ヘモグロビンが正に帯電しているのに対し、通常のヘモグロビンは正に帯電していないことを発見し、電気泳動移動度に違いを見出した。1956年までに、バーノン・イングラムはこれがペプチド配列の単一の違いによって引き起こされたと判断し[10]1958年までに、正常なヘモグロビンAのグルタミン酸の代わりに、鎌状赤血球変異ヘモグロビンのバリンであると決定した[11]

その後の研究により、他の遺伝病や血液疾患に「分子医学」の新しい分野をもたらした。 1954年イーライリリー生物化学賞を受賞し、1972年に鎌状赤血球症の研究が認められ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア医学業績賞を受賞した[8]

参考文献

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  1. ^ [1]
  2. ^ Pauling, Linus; Harvey A. Itano; S. J. Singer; Ibert C. Wells (1949-11-01). “Sickle Cell Anemia, a Molecular Disease”. Science 110 (2865): 543–548. Bibcode1949Sci...110..543P. doi:10.1126/science.110.2865.543. PMID 15395398. 
  3. ^ a b K. W. Lee. "Remarkable Parents Who Raised Remarkable Family." Sacramento Union, June 25, 1979. Reprint from the Nichi Bei Times accessed August 25, 2008.
  4. ^ In Memoriam: UC San Diego Pathology Professor Harvey Itano, MD, PhD, 1920-2010”. 2011年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月8日閲覧。
  5. ^ Doolittle, Russell F. (2014年). “Biographical Memoirs: Harvey Itano 1920-2010”. 2016年7月10日閲覧。
  6. ^ Maugh II, Thomas H. (June 12, 2010). “Harvey Itano dies at 89; researcher whose studies provided a breakthrough on sickle cell disease”. The Los Angeles Times. http://www.latimes.com/features/health/la-me-harvey-itano-20100612,0,3417162.story 
  7. ^ Ted Goertzel and Ben Goertzel. Linus Pauling: A Life in Science and Politics. New York:BasicBooks, 1995. p. 90
  8. ^ a b "The Register of Harvey Itano Papers 1946 - 2000 Archived 2012-06-14 at the Wayback Machine.", MSS 0226, Mandeville Special Collections Library, Geisel Library, University of California, San Diego. Accessed August 25, 2008.
  9. ^ Swingle, Stanley M. (February 1947). “An Electrophoresis Apparatus Using Parabolic Mirrors”. Review of Scientific Instruments 18 (2): 128–132. Bibcode1947RScI...18..128S. doi:10.1063/1.1740898. PMID 20288558. http://link.aip.org/link/?RSI/18/128/1 2008年8月25日閲覧。. 
  10. ^ Ingram, V. M. (1956-10-13). “A Specific Chemical Difference Between the Globins of Normal Human and Sickle-Cell Anaemia Haemoglobin”. Nature 178 (4537): 792–794. Bibcode1956Natur.178..792I. doi:10.1038/178792a0. PMID 13369537. 
  11. ^ Ingram, V M (June 1958). “Abnormal human haemoglobins. I. The comparison of normal human and sickle-cell haemoglobins by fingerprinting”. Biochimica et Biophysica Acta 28 (3): 539–45. doi:10.1016/0006-3002(58)90516-X. PMID 13560404. 

外部リンク

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