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ハルン・アミン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハルン・アミン
2001年撮影。
在日本アフガニスタン大使
任期
2004年4月30日 – 2009年4月30日
大統領ハーミド・カルザイ
前任者アブデルハミード・モフタートパシュトー語版ロシア語版
後任者エクリル・アハマドゥ・ハキミ英語版
個人情報
生誕モハンマド・ハルン・アミン
1969年7月19日1967年とする資料もある)
アフガニスタン王国の旗 アフガニスタン王国 カーブル
死没2015年2月15日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アリゾナ州フェニックス

モハンマド・ハルン・アミンダリー語: هارون امین‎、英語: Mohammad Haron Amin1969年7月19日1967年とする資料もある)- 2015年2月15日)は、2004年から2009年にかけての駐日アフガニスタン大使[1]

日本語での表記には揺れがあり、ハルーン・アミン[2]ハロン・アミン[3]などの表記が用いられることもある。

経歴

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アミンはカーブルに生まれた[4]。父は貿易商であった[5]タジク人であった一家は、1979年ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻が始まった翌年にアフガニスタンを離れ、最終的にアメリカ合衆国に落ち着いた[6]

1988年、高校を卒業したアミンは、ムジャーヒディーンとしてアフマド・シャー・マスードの指揮下に入って戦うため、アフガニスタンに戻ったが、やがてマスードはアミンを自分の秘書とし、さらにアメリカ合衆国における広報活動に当たらせ、1990年ワシントンD.C.のアフガニスタン大使館にアミンを送った[5]。その後もアミンは、ブルハーヌッディーン・ラッバーニー政権が1996年にターリバーンによって追い落とされるまで、外務審議官主席補佐官など[5]、外務省で様々な役職に就いた[7]

2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件後に、アメリカ合衆国が主導したアフガニスタン紛争の際に、アミンは北部同盟スポークスマンとしての役割を担い、広く知られた存在となった[6]

ターリバーン政権の崩壊前には、アメリカ合衆国のメディアに常々露出していたアミンは[8][9]2002年ハーミド・カルザイが率いたアフガニスタン暫定政府から代理公使としてアメリカ合衆国へ派遣された[5]

2002年、『ニューズウィーク』誌が「未来のための人々 (People for the Future)」として選出した77人のひとりに、アミンが選ばれた[10]2002年から2003年まで1年ほどの間、彼はワシントンD.C.において最も職位の高いアフガニスタンの外交官であったが、2004年4月30日にはカルザイ大統領から、新生アフガニスタン最初の駐日大使に任命された[4][11]

もともとアミンは、パサデナ・シティ・カレッジ英語版カリフォルニア大学リバーサイド校を卒業していたが[5]2005年には、ニューヨークセント・ジョーンズ大学から政治学の修士号を得、その後さらに同校のマスター・プログラムで国際法を学び修了証を得た[4]

2008年には、日本での経験を踏まえた著書『アジアの二つの日出ずる国 (Afghan-Japan Relations: Lands Under the Rising Sun)』を執筆した[5][12][13]。この本は、日本とアフガニスタンの歴史的な関係や類似性を中心に論じたものであり、両国の歴史や文化伝統を直接比較した初めての文献とされた[10]。駐日大使の職には2009年まで留まった[1]

受賞

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病死

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アミンは、2011年に癌と診断され、アリゾナ州フェニックス地域の病院で、2015年2月15日に死去した[10]

脚注

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  1. ^ a b President Ghani’s Condolence Message on the Death of Afghanistan’s Former Ambassador to Japan, H.E. Mr. Haroon Amin”. Embassy of Afghanistan - Tokyo. 2018年11月29日閲覧。
  2. ^ 新任駐日アフガニスタン大使の信任状捧呈について”. 外務省 (2004年4月28日). 2018年11月29日閲覧。
  3. ^ タリバーン政権崩壊後初代駐日大使ハロン・アミン氏死去”. アフガニスタン文化研究所 (2015年3月9日). 2018年11月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e “Profile: Haron Amin”. Embassy of the Islamic Republic of Afghanistan in Tokyo. オリジナルの2014年8月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140819161513/http://www.afghanembassyjp.com/ambassadorbioc.html 2015年2月15日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f 現代外国人名録2012『ハルン アミン』 - コトバンク
  6. ^ a b Profile, Afghan-bios.info, November 2, 2009.
  7. ^ Profile, nymag.com; accessed February 25, 2017.
  8. ^ “Amin: Northern Alliance will support U.S.”. CNN.com. (2001年9月22日). http://edition.cnn.com/2001/WORLD/asiapcf/central/09/22/amin.afghanistan.access.cnna 2015年2月15日閲覧。 
  9. ^ “Alliance Advances”. PBS. (2001年11月12日). https://www.pbs.org/newshour/bb/asia-july-dec01-alliance_11-12 2015年2月15日閲覧。 
  10. ^ a b c “Former Afghan Diplomat and Ambassador to Japan Dies”. TOLO News. (2015年2月15日). オリジナルの2015年2月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150215204921/http://www.tolonews.com/en/afghanistan/18221-former-afghan-diplomat-and-ambassador-to-japan-dies-at-46 February 15, 2015閲覧。 
  11. ^ Ambassador to Japan on 30 April 2004.
  12. ^ 出版年について、国立国会図書館のデータベースは、2007年ころとしている。
  13. ^ Amin, Haron (2007年). “Afghan-Japan Relations: Land Under the Rising Sun”. Embassy of the Islamic Republic of Afghanistan in Tokyo. http://www.afghanembassyjp.com/pdf/afghanjapanrelations/afghanjapanrelations.pdf 2015年2月15日閲覧。