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ハジ・アブドゥル・カディール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハジ・アブドゥル・カディール(2002年、ドバイにて)

ハジ・アブドゥル・カディールパシュトー語: حاجي عبدالقدير‎、Haji Abdul Qadir、1951年 - 2002年7月6日)は、アフガニスタンの政治家。パシュトゥーン人ジャラーラーバード出身。パシュトゥーンの有力なアルサラー一族[1]で、曾祖父は、シール・アリー・ハーンの下で外相をつとめた人物[2]である。弟にアブドゥル・ハクがいる。

経歴

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対ソ連戦では、ユーヌス・ハーリス派に属し、ナンガルハール方面の司令官であった[1]

1992年ムジャーヒディーン政権が成立し、アフガニスタン東部のナンガルハール州知事に任命される[2]

1990年代中盤、スーダンからやって来たウサーマ・ビン・ラーディンのアフガニスタン到着を歓迎するなど、アラブ人過激派に寛容な姿勢をとっていた。

1996年、ターリバーンとの交渉失敗後ドイツへ逃れ、後にドバイへ移った[2]

ターリバーン政権崩壊後の2001年12月都市開発大臣に就任[3]、さらに2002年6月副大統領兼公共事業大臣となるが、同年7月6日に暗殺された。

脚注

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  1. ^ a b 山根聡「アフガニスタンの軍閥と中央政権」 鈴木均編『アフガニスタン国家再建への展望』明石書店、2007年
  2. ^ a b c “Haji Abdul Qadir”. Telegraph. (2002年7月8日). http://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1400652/Haji-Abdul-Qadir.html 2012年11月19日閲覧。 
  3. ^ 暫定行政機構”. アジア経済研究所. 2012年11月27日閲覧。