ハインリヒ3世 (メクレンブルク公)
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ハインリヒ3世 Heinrich III. | |
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メクレンブルク公 | |
在位 | 1379年 - 1383年 |
出生 |
1337年ごろ |
死去 |
1383年4月24日 神聖ローマ帝国 メクレンブルク公領、シュヴェリーン |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 メクレンブルク公領、ドベラーン修道院 |
配偶者 | インゲボー・ア・ダンマーク |
メヒティルト・フォン・ヴェルレ=ヴァーレン | |
子女 |
エウフェミア アルブレヒト4世 マリア インゲボルク |
家名 | メクレンブルク家 |
父親 | メクレンブルク公アルブレヒト2世 |
母親 | エウフェミア・アヴ・スヴェーリエ |
ハインリヒ3世(Heinrich III. der Hänger, 1337年ごろ - 1383年4月24日)は、メクレンブルク公(在位:1379年 - 1383年)[1]。
生涯
[編集]ハインリヒ3世は、メクレンブルク公アルブレヒト2世とエウフェミア・アヴ・スヴェーリエ(セーデルマンランド公エリク・マグヌソンの娘)の間に生まれた[2]。スウェーデン王アルブレクト(在位:1364年 - 1389年)の兄。
1361年にデンマーク王ヴァルデマー4世の娘インゲボーと結婚し、以下の子女をもうけた[3]。
- オイフェミア - 1377年にヨハン5世・フォン・ヴェルレ=ギュストローと結婚
- アルブレヒト4世(1388年没) - メクレンブルク公(1383年 - 1388年)
- マリア(1363年 - 1402年) - 1380年にポメラニア公ヴァルティスラフ7世と結婚、エーリク7世の母[4]
- インゲボルク - リーブニッツのクララ会修道院長
1377年にベルンハルト2世・フォン・ヴェルレの娘メヒティルト・フォン・ヴェルレ=ヴァーレンと結婚した。
脚注
[編集]- ^ 下津、p. 360
- ^ Louda & Maclagan, p. 64
- ^ Genealogical table of the House of Mecklenburg, p. 168
- ^ Louda & Maclagan, p. 46
参考文献
[編集]- 下津清太郎 編 『世界帝王系図集 増補版』 近藤出版社、1982年
- Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981.
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