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ハインリヒ16世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインリヒ16世
Heinrich XVI.
下バイエルン=ランツフート公
上バイエルン=インゴルシュタット公
在位 下バイエルン=ランツフート公1393年 - 1450年
上バイエルン=インゴルシュタット公1447年 - 1450年

出生 1386年
死去 1450年7月30日
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
下バイエルン=ランツフート公領ランツフート、ゼリゲンタール修道院
配偶者 マルガレーテ・フォン・エスターライヒ
子女 ヨハンナ
アルブレヒト
フリードリヒ
ルートヴィヒ9世
エリーザベト
マルガレーテ
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 バイエルン公フリードリヒ
母親 マッダレーナ・ヴィスコンティ
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ハインリヒ16世(Heinrich XVI., 1386年 - 1450年7月30日)は、下バイエルン=ランツフートフリードリヒマッダレーナ・ヴィスコンティの子。

生涯

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1410年、ランツフート市民の反乱を鎮圧。また、居城としていたランツフートトラウスニッツ城を改築、拡張した[1]

一方、1429年下バイエルン=シュトラウビングヨハン3世死後の領土を2人の従兄弟ルートヴィヒ7世エルンストと分割相続した。1443年、ルートヴィヒ7世の子、ルートヴィヒ8世と同盟、ルートヴィヒ7世を捕らえた。1445年にルートヴィヒ8世が、1447年にルートヴィヒ7世も幽閉されたまま没し、インゴルシュタット系が断絶した為、ハインリヒ16世が領土を相続した。1450年のハインリヒ16世の死後、子のルートヴィヒ9世はこれらの領土を手に入れた。

性格は残酷と言われ、ランツフート市民の処刑やブルクハウゼン城へ妻を追放している。

家族

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1412年オーストリア公アルブレヒト4世の娘マルガレーテと結婚。6人の子が生まれた。

  1. ヨハンナ(1413年 - 1444年) - プファルツ=モスバッハ公オットー1世と結婚。
  2. アルブレヒト(1414年 - 1418年)
  3. フリードリヒ(1415年 - 1416年)
  4. ルートヴィヒ9世(1417年 - 1479年)
  5. エリーザベト(1419年 - 1451年) - プファルツ選帝侯フリードリヒ1世と婚約していたが、ヴュルテンベルク伯ウルリヒ5世と結婚。
  6. マルガレーテ(1420年 - ?) - 修道女

脚注

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  1. ^ Karin Kaltwassers. “Landshuter Bürgerunruhen, 1408-1410”. Historisches Lexicon Bayerns. 2023年1月2日閲覧。.

参考文献

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  • Kurt Reindel: Heinrich XVI. der Reiche. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 8, Duncker & Humblot, Berlin 1969, ISBN 3-428-00189-3, S. 346 (電子テキスト版).
  • Sigmund Ritter von Riezler (1880). "Heinrich der Reiche". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 11. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 474–476.
先代
フリードリヒ
下バイエルン=ランツフート
1393年 - 1450年
次代
ルートヴィヒ9世
先代
ルートヴィヒ8世
上バイエルン=インゴルシュタット
1447年 - 1450年
次代
ルートヴィヒ9世