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ハインリヒ1世 (メードリンク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインリヒ老公
Heinrich der Ältere
メードリンク公
ボヘミア公ソビェスラフ1世と戦うハインリヒ老公。背景はメードリンク城。

出生 1158年
死去 1223年9月11日
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア公国ハイリゲンクロイツ修道院
配偶者 ハインリヒ
子女 ヒリサ・チェスカー
家名 バーベンベルク家
父親 オーストリア公ハインリヒ2世
母親 テオドラ・コムネナ
宗教 キリスト教カトリック
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メードリンク公ハインリヒ老公(Heinrich der Ältere, Herzog von Mödling, 1158年 - 1223年9月11日)は、バーベンベルク家オーストリア公ハインリヒ2世テオドラ・コムネナの息子で、オーストリア公レオポルト5世の弟。同名の息子との区別のため、老公(der Ältere)といわれる。

生涯

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ハインリヒは、父ハインリヒ2世の存命中からすでにオーストリア公領を支配していた兄レオポルト5世より、メードリンクの支配を任された。メードリンクはバーベンベルク家の古くからの領地の一つであり、ハインリヒのもとで大きく発展した。ハインリヒは自ら公爵と名のり、メードリンク城を建設し自身の居城とした。ハインリヒの評判は高かったが、兄と争うことはなかった[1]

ハインリヒは1223年9月11日に死去し、ハイリゲンクロイツ修道院のチャプター・ハウス内のバーベンベルク家墓所に埋葬された。

結婚と子女

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妃リヒサ

ハインリヒはボヘミア王ヴラジスラフ2世とその2番目の妃ユーディト・フォン・チューリンゲンの娘リヒサ(Richsa、リヒツァ、ライツァとも、1182年没)[2]と結婚した。

  • ハインリヒ(若公)(1236年没[3]) - メードリンク公、嗣子なく若公の代で断絶した。

脚注

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  1. ^ H. Hanko, p. 110.
  2. ^ Karner in Mödling, 2011年7月4日閲覧
  3. ^ Walter Kleindel: Österreich Chronik. Daten zur Geschichte und Kultur. Wien / Heidelberg: Ueberreuter 1978, ISBN 3-8000-3130-2, Stammtafel der Babenberger

参考文献

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  • Helmut Hanko: Herzog Heinrich II. Jasomirgott. Pfalzgraf bei Rhein – Herzog von Bayern – Herzog von Österreich. Wissenschaftliche Buchgesellschaft, Darmstadt 2012, ISBN 978-3-534-25605-1.
  • Tobias Weller: Die Heiratspolitik des deutschen Hochadels im 12. Jahrhundert. Böhlau, Köln u. a. 2004, ISBN 3-412-11104-X.