ハインツェルメンヒェン
ハインツェルメンヒェン(ドイツ語: Heinzelmännchen; [ˈhaɪntsl̩ˌmɛnçɛn])は、ドイツのケルン市にまつわるお手伝い精霊(コボルト)の一種。スコットランドの妖精ブラウニーと比較される[1]。
市では、この裸の精霊たちの物語をクリスマスどきに語るのが恒例行事となった[2]。英文解説では「エルフたち」と定訳されることがあるが[2]、これは「小人の靴屋」の小人たち〔ヴィヒテル〕[注 1]の意味合いであると注釈される[3]。
家の精霊たちは、夜間に勤しんで、ケルン市民が行うはずの様々な仕事を肩代わりして片付けてくれるのだと言われていた。昼間に暇をもてあました市民たちは、怠惰になっていった。しかしその姿は見えなかった。伝説によれば、あるとき、仕立て屋の妻が好奇心を抑えきれず、一目みるために精霊たちの足を滑らせ転倒させるためのエンドウ豆(Erbsen)をばらまいた。精霊たちは憤慨して、皆ケルンから去っていなくなってしまった。それ以降、市民たちは自分の仕事は自分でこなさねばならなくなった[4][5]。
名称
[編集]ヘーネスヒェン(Hänneschen)とは、かつてケルンの人形劇場での定番キャラの名前であった[6]。生粋のケルン方言(Kölsch)であれば、正しい綴りは "Heizemann/Heizemännche"(複数形:"Heizemänncher")であるべきだとされる。ハインツェルメンヒェンというのは標準ドイツ語にあわせた語形なのである[7]。
名前の由来については、二段構えの仮説が、民話学者のマリアンネ・ルンプフ(1976年)によって提唱されている[8]。まず第一に、ハインツェルメンライン(Heinzelmännlein)というマンドレイク人形の俗称が流通していたこと[9]。ここから人形が動いてまわったり、家の精のような存在にみられるようになるという進化があった[10]。第二に、人名のハインツェ(Heize)から転じて、排水用の装置の異称となり[11]、あるいはハインツェンクンスト(Heizenkunst)というような言い回しで、ザクセン州のエルツ山地の鉱業地帯で通っていた[12]。その延長線上、装置操作員のことも、ハインツに呼ばれていたに違いない、とルンプフは経緯を推理した[13]。
ヴェイデン(1826年)
[編集]ハインツェルメンヒェンの伝説を、知られる限り初めて書き起こしたのは、ケルンの教師、エルンスト・ヴェイデン(1805–1869)で、1826年にその作品は発表された[14][15][16]。まもなくトマス・カイトリーが英訳を手掛け、1828年刊行『フェアリー神話学』に所収されている[4][15]。
ヴェイデンの記述は、次のようにはじまる:
Es mag noch nicht über fünfzig Jahre seyn, daß in Cöln die sogenannten Heinzelmännchen ihr abentheuerliches Wesen trieben. Kleine nackende Männchen waren es, die allerhand thaten, Brodbacken, waschen und dergleichen Hausarbeiten mehrere; so wurde erzählt; doch hatte sie Niemand gesehen[14] |
|
—Weyden (1826) Cöln's Vorzeit | —訳 |
コーピッシュの歌謡(1836年)
[編集]1836年、画家で詩人のアウグスト・コーピッシュが、ハインツェルメンヒェンについての詩(バラッド)を発表し[18]、1848年の詩集にも再掲[19]、たいへんな人気を博し[20]、コーピッシュの名声は、この詩とカプリの青の洞窟の"再発見"の功により不動のものとなった[21]。
その詩の冒頭の一部をかいつまむと:[18]
Wie war zu Cölln es doch vordem |
往時のケルンは、いったいどんなだったろうか? |
評論
[編集]民話学者のマリアンネ・ルンプフ(1976年)は、エルンスト・ヴェイデンが1826年にまとめた記述が、コーピッシュが詩作にもちいた唯一の材料だったと主張した。しかし、その主張は、ヴェイデンが膨大な蔵書を所持していたに比べ、コーピッシュは資料に乏しかった、など憶測が過ぎるとヘリベルト・A・ヒルガースが反論している[22] 。
ヴェイデンがハインツェルメンヒェン物語を再築しようとした試みは1821年頃から始まっていた、とされる[23]。
『ドイツ俗信事典』(HdA)[注 3]の「コボルト」の項で、筆者のリリー・ヴァイザー=オールはハインツェルメンヒェンを「H部類 文芸的な名称」に仕分けしており、いわば創作的フォークロアが人口に膾炙したのは事実上、コーピッシュに拠るものとみなしている[24]。
大衆文化
[編集]ケルンの年次クリスマス行事として、旧市街のアルターマークト(Alter Markt)広場やホイマルクト(Heumarkt)広場にたつクリスマスマーケットでは、ハインツェルメンヒェンをモチーフとして人形で飾り立てるのが好例となっており、「ハインツェルの冬メルヒェン」(Heinzels Wintermärchen)と命名されている[25][26]。
記念碑
[編集]ケルン市の「ハインツェルメンヒェン噴水」[注 4]は、アム・ホーフ通り、ケルン大聖堂や「フリュー醸造所」[注 5]のそばに設置されている。小人らと、仕立て屋の夫人像をあしらった記念碑で、彫刻家ハインリヒ・レナードとその父エドムント・レナード (大)の1897–1900年間の共作。仕立て屋夫人像は複製と交換され、原作の彫刻はケルン武器庫(ツォイクハウス)に展示されている[27][28]。
-
ハインツェルメンヒェンが屋根でスキーする展示―ケルン市のハインツェル・ヴィンターメルヒェン祭
音楽化
[編集]コーピッシュの歌謡は、ドイツのリート作曲家カール・レーヴェによって楽曲がつけられ1841年に第83作『Die Heinzelmännchen』として発表された[29]
また1944年の謝肉祭用のカーニバル・ソングとして『Heizemänncher』を、ヨハネス・マティアス・フィルメニッヒが作曲している[30]。
アイレンブルクのマスコット
[編集]ザクセン州アイレンブルク市には、この地にまつわる小人伝説(グリム『ドイツ伝説集』第31篇「小びとの民の結婚式」)から、同市版のハインツェルメンヒェンを標榜しており、マスコットとして「ハインツ・エルマン」という言葉遊びのご当地キャラを創作している[31][32][33]。
注釈
[編集]- ^ 原作ではヴィヒテルたち。グリム童話 KHM 39、英訳『The Elves and the Shoemaker』、ドイツ原作『Die Wichtelmänner』。
- ^ 異常体験的、超常現象的(小学館の独和辞書では Abenteur の定義のひとつとして「異常体験」をと釈義する)。
- ^ ほかにも『ドイツ民間信仰事典』、『ドイツ迷信事典』などの邦訳題名が使われる。
- ^ Heinzelmännchenbrunnen。
- ^ Früh、町の最老舗のビール醸造蔵元。
脚注
[編集]- ^ Guerber (1899), pp. 339–340.
- ^ a b Schwering, Max-Leo (1969). Cologne Panorama: Guide in Color of the Town. Köln: Ziethen Verlag. p. 13
- ^ Reik, Theodor (1966). The Many Faces of Sex. New York: Farrar, Straus & Giroux. pp. 339–340, note8 to pp. 71–72
- ^ a b Keightley (1828), 2: 29–31.
- ^ Guerber (1899), pp. 71–72.
- ^ Grässe, Johann Georg Theodor (1856). “Zur Geschichte des Puppenspiels”. Die Wissenschaften im neunzehnten Jahrhundert, ihr Standpunkt und die Resultate ihrer Forschungen: Eine Rundschau zur Belehrung für das gebildete Publikum (Romberg) 1: 559–660, 672 .
- ^ Hilgers (2001a), p. 49.
- ^ Johann Christoph Adelung: Das Heinzelmännlein
- ^ Adelung, Johann Christoph (1796). "Das Heinzelmännlein Grammatisch-kritisches Wörterbuch der Hochdeutschen Mundart, Band 2. e-text @ Münchener DigitalisierungsZentrum
- ^ Rumpf (1976), pp. 64, 68–69.
- ^ Adelung, Johann Christoph (1796). "2. Der Heinz Grammatisch-kritisches Wörterbuch der Hochdeutschen Mundart, Band 2. e-text @ Münchener DigitalisierungsZentrum
- ^ Rumpf (1976), p. 63.
- ^ Rumpf (1976), p. 70.
- ^ a b Weyden, Ernst (1826), “Heinzelmännchen” (ドイツ語), Cöln's Vorzeit. Geschichten, Legenden und Sagen Cöln's, nebst einer Auswahl cölnischer Volkslieder, Cöln am Rhein: Pet. Schmitz, pp. 200–202, ウィキソースより閲覧。
- ^ a b Kluge, Friedrich [in 英語]; Seebold, Elmar [in 英語], eds. (2012) [1899]. "Heinzelmännchen". Etymologisches Wörterbuch der deutschen Sprache (25 ed.). Walter de Gruyter GmbH & Co KG. p. 406. ISBN 9783110223651。
- ^ Hilgers (2001a), p. 30: "Diese Aufzeichnung von Ernst Weyden aus dem Jahr 1826 ist die älteste bisher bekannt gewordene Version der Kölner Heinzelmännchensage".
- ^ Keightley (1828), 2: 29.
- ^ a b Kopisch, August (1836), “Die Heinzelmännchen” (ドイツ語), Gedichte, Berlin: Duncker und Humblot, p. 98 from scan@books.google, pp. 98–102
- ^ Kopisch, August (1848). “Die Heinzelmännchen”. Allerlei Geister. Berlin: Alexander Duncker. pp. 88–92
- ^ Ayres, Harry Morgan [in 英語], ed. (1917). "August Kopisch". The Reader's Dictionary of Authors. The Warner Library 28. New York: Warner Library Company.
- ^ Steblin, Rita (2014). “Schubert: The Nonsense Society Revisited”. In Gibbs, Christopher H.; Solvik, Morten. Franz Schubert and His World. Princeton University Press. p. 22. ISBN 9781400865352
- ^ Hilgers (2001a), p. 33.
- ^ Hilgers (2001b), p. 113.
- ^ Weiser-Aall, Lily [in 英語] (1987) [1933]. "Kobold". In Bächtold-Stäubli, Hanns [in ドイツ語]; Hoffmann-Krayer, Eduard [in 英語] (eds.). Handwörterbuch des Deutschen Aberglaubens. Vol. Band 5 Knoblauch-Matthias. Berlin: Walter de Gruyter. pp. 31–33. ISBN 3-11-011194-2。
- ^ “Das erwartet Sie beim Kölner Weihnachtsmarkt am Heumarkt und Alter Markt 2023”. Kölner Stadt-Anzeiger abonnieren. (12 November 2023)
- ^ “国中がクリスマスムードに染まる本場ドイツの美しいクリスマスマーケット7選” (2017年12月7日). 2024年10月9日閲覧。
- ^ Detering, Monika (2020). “10. Die Heinzelmännchen zu Köln”. Sagen und Legenden aus Westfalen. New York: Kraterleuchten GmbH. ISBN 9783955405083
- ^ Strutz, Rudolf J. (2023). “Sehenswert: Heinzelmänchenn”. Köln mit den ÖBB. : Oebb eBooks by AuVi. p. 9
- ^ Youens, Susan (2024). “3. Example 18b.”. Hugo Wolf: The Vocal Music. Princeton University Press. ISBN 9780691265018
- ^ Hilgers (2001a), p. 48.
- ^ Mitteldeutscher Rundfunk (MDR). “Rätsel, Mythen und Legenden - Die Heinzelmännchen von Eilenburg”. 2017年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月11日閲覧。
- ^ Stadtverwaltung Eilenburg. “Heinzelmännchensage”. 2017年9月11日閲覧。
- ^ Stadtverwaltung Eilenburg. “Vorstellung Heinz Elmann”. 2017年9月11日閲覧。
参考文献
[編集]- Guerber, Hélène Adeline (1899). “The Heinzelmännchen”. Legends of the Rhine (3 ed.). New York: A.S. Barnes & Company. pp. 339–340, pp. 71–72
- Hilgers, Heribert A. (2001a). “Die Herkunft der Kölner Heinzelmännchen”. In Schäfke, Werner. Heinzelmännchen: Beiträge zu einer Kölner Sage. Kölnisches Stadtmuseum. pp. 25–55. ISBN 9780738715490
- Keightley, Thomas (1828). “Heinzelmännchen”. The Fairy Mythology. 2. London: William Harrison Ainsworth. pp. 29–31
- Rumpf, Marianne (1976). “Wie war zu Cölln es doch vordem mit Heinzelmännchen so bequem”. Fabula 17 (1): 45–74 .
外部リンク
[編集]関連項目
[編集]- ブラウニー – スコットランドや北部イングランド
- ヴィヒテル
- 『グロースターの仕たて屋』
- 小びとの民の結婚式 – ドイツ・アイレンブルクではご当地キャラ「ハインツ・エルマン」を考案
- 小人の靴屋
- コボルト – ドイツ
- トムテあるいはニッセ – スカンジナビア
- ペーターメンヒェン – メックレンブルク
- ペルケオ – ハイデルベルク