コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:The Last of Us Part II

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

出典のない記述の除去と、今後の対応について

[編集]

簡単に経緯を記載しますと、この編集とそれに対するリバート、その後利用者のページで対話した結果がこちらとなります。会話ページでは触れておりませんが、本作は「炎上」「議論」といったマイナスも含めたユーザーからの反響が大きい作品で、日本語だけでも【[1][2][3][4][5][6][7][8]】のような記事が散見されるゲームです。故にプロジェクト:コンピュータゲーム/過剰な内容の整理にもある通り、出典を細かくつけて、反響を語るにあたり情報が我々編集をしている人間の主観でない(ゲームを出典にするのであればせめて何章での言動かが確認できるくらい)というのを示したほうが、百科事典としてよりよいのではないかと考える次第です。--遡雨祈胡会話2020年12月1日 (火) 13:40 (UTC)[返信]

あらすじ、登場人物などの場合、8割がたの記述には出典不要と思いますが、一部については出典が必要と思われます。たとえば、レブという登場人物が、実は弟ではなく妹であったという所ですね。「実際には少女で、「レブ」という名も偽名であり、本名は「リリー」である。」というのは、本作を現在進行形でリアルタイムで2回連続してやっている自分にも、どこでそれが明かされていたのか分かりません。
すべてに事細かく出典を記載するのではなく、明らかにユーザーごとに判断にブレが生じる場合や、普通のプレイではわからないないような内容の場合には出典を付けるべきでしょう。逆に、ジョエルがコーヒー好きとか、アビーが高所恐怖症であるとか、プレイすれば誰にでも分かるような内容については、出典は必要ないと思われます。--118.13.141.193 2020年12月1日 (火) 23:36 (UTC)[返信]
とりあえずレブの件に関しては、英語版で "I heard some of your people calling him Lily."というアビーのセリフがあるようです。二次出典はこちらが提示できます。こちらの記事によると、海外のゲームだと日本版だと表現規制がかかることで変更が掛かることがあるらしいので、もしかしたらそれの憂き目に遭ってしまったのかもしれません。ただこれを列挙すると独自研究になってしまいかねないので、できる限り出典を付けた方がいいように私は思います。--遡雨祈胡会話2020年12月2日 (水) 10:26 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼より参りました。当該ゲーム(未所有、未プレイ)含めゲーム界隈にに詳しいわけではないので、一般論ですが、考えを述べさせて頂きます。
  • 「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は『真実であるかどうか』ではなく『検証可能かどうか』です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより『検証できる』内容だけだということです。」(Wikipedia:検証可能性 冒頭部)
  • 「ウィキペディアを執筆する際に、(中略)情報源を明記してください。つまり、参考文献(書籍や論文、ウェブページなど)を見つけるための情報(書誌情報)を書いてください。」(Wikipedia:出典を明記する 冒頭部)
と有りますので、「あらすじ、登場人物などの場合、8割がたの記述には出典不要と思います」「プレイすれば誰にでも分かるような内容については、出典は必要ないと思われます」ではなく、出典明記はすべからく必要であると存じます。ただ「プレイすれば誰にでも分かるような内容については」とされておられることから、「ゲーム(のプレイ)自体が出典だが、ただそう明記していないだけ」と推察致しました。とすると、ゲーム自体は一次資料に該当しますので、
  • 「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます。たとえば、ある小説についてあらすじを記述する場合、その小説の文章を出典とすることは可能ですが、それについての解釈には二次資料が必要です。一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。記事全体を一次資料に依拠してはいけません。一次資料のみに依拠した大きな段落を作る場合にも慎重になってください。」(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料
が適用されることになろうかと存じます。で、具体的にどうするかですが、
  • 「無出典状態の節単位に出典を明記する」:本来は一文、一分節毎に出典を明記するのでしょうが現実的ではないと思いますので、例えば各節の冒頭部に「本節の記述に関しては特記の無い限り○○(例:ゲーム本編△△編、ゲームのエンドロール、ゲーム付属の取扱説明書、ゲームのイントロダクションのキャラクター紹介、等々)を出典としている」と明記しておくのは如何でしょうか?
  • 「本記事の記述が、事実に該当するのか、編集者が行った分析・合成・解釈・評価(=独自研究)に該当するのかを各箇所毎に検討し、独自研究は解消させる(除去も選択肢)」:但し、編集合戦にならないように、事前にノートで具体的な個所を明示した上で改善(除去)提案した方がいいかもしれません。(Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずにも参照)
以上、方針・ガイドライン等の理解に齟齬が有ったり、表面的な理解であったりするかもしれませんし、また当該ゲーム含めゲーム界隈における慣習を無視した提案になっていたり、見当違いのことを述べているかもしれません。その際はご容赦頂ければ幸いです。--むらのくま会話2020年12月8日 (火) 05:28 (UTC)[返信]
建前としては、全くもってそのとおりなんですが、実際にそれが可能なのか。100%出典がある状態で、はたして説得力と有用性のあるあらすじが、ストーリーの最初から最後まで書けるのか……という問題があります。むろん、可能か不可能かで言えば(1%でも可能なら)「可能」となるのでしょうが、それにはかなりの困難を伴うと思います。
そして、仮にそれを実現できたとしても、すべての文章に出典がある状態というのは編集や閲覧に著しく支障が生じてしまいますし、たいして有用性のない出典では無駄に容量を食うだけで、査読するユーザーにも負担が大きい……というデメリットが存在するわけです。それでも、たいして有用性のない出典を増やし続けますか? (あらすじの出典についてです)
実際、それが現実的な運用において難しいからこそ、現状のように「あらすじに出典がつけられない状態」になっているのではないかと思うわけです。たとえば本作のサンタバーバラ編~エンディングにかけては、通常は「ネタバレ」になるので、どの著名性のあるサイトでも記載されません。対して、Wikipediaでは最後までネタバレを気にせず記載してくださいというルールが掲げられてはいます。100%出典を守っていたら、これは実現することは難しいでしょう。ストーリー中の細かなネタバレについても同様です。--118.13.34.228 2020年12月11日 (金) 11:13 (UTC)[返信]
一次資料なのでできる限り避けたいところですが、ゲーム本編を出典にしてセーブデータにあるチャプター名でなんとかできませんか。--遡雨祈胡会話2020年12月11日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
現状のように章ごとに分けているのであれば、ほとんどの記述に問題はないかと思われます。ただ、最初に説明したような「レブの性別」であるとか、そういう小ネタをピンポイントに出典を記載しようと思えば、チャプターを記載して出典・注釈としておくのが良いかと思います。漫画であれば、「○巻○話○ページ」と書くのと同様です。もし、もっと分けて分かりやすくしたいというのであれば、「エリー編1日目」「アビー編1日目」のように細分化するべきでしょうね。--118.13.34.228 2020年12月12日 (土) 02:00 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻し

コメント コメント依頼より参りました。あくまで第三者としての意見ですが、正直、遡雨祈胡さんによる大胆な編集は(文脈はあると思いますが)いささかやり過ぎではと感じました。ノートページでお認めになられていますが、あえてにしても編集合戦を生む要因になりかねない大胆さだと思います。
あらすじの出典に関しては、118.13.141.193さんの挙げられた部分など必要と判断する箇所につければ良いだけだと感じます。その際は遡雨祈胡さんも挙げられた一次資料で問題ないのではないでしょうか。勿論、解釈などについては二次資料が原則必要です。
ネタバレについてですが、ガイドラインはあくまでネタバレを自粛する必要性について触れているだけで、ネタバレを書かなくてはならないというルールではないと思いますし、ネタバレだから出典が必要というわけではありません。
負担に関しては、出典が必要だと判断された記述の数に比例すると思いますが、仮に要出典だらけだったのならば、Wikipediaにおいて不十分な記述だというだけの話で、当然除去されるでしょう。この記事を編集できる方にとってそれらが難しいとも思えません。--デタラメ歯車会話2020年12月12日 (土) 02:49 (UTC)[返信]
解釈のところだと「どこを解釈とするか」が割と現状危ういかなと思っております。例えば上で挙げられたジョエルがコーヒーを好む話は、作中ではエリーの回想としてエリーがジョエルと話をした際にジョエルが持っていたコーヒーについてエリーが何それと尋ねた際にジョエルが行商人から廉価ではない額で購入した、という話だったと認識してます(もしかしたら1含めてそれ以外で描写があるかもしれませんが、。その場合はご記載にご協力ください)。このケースだとこの病者の実だけでは「ジョエルがコーヒーが好き」というのは事実情報ではなく、行商人からコーヒーを買ったことをエリーと話した、という点が事実になります。このくらいならシナリオの根幹には影響が及びませんが、ジョエルの埋葬に関して想像だけで書かれたとみられる記述なども過去に見られました。さすがにこれは独自研究にあたるのではないかと思われます。--遡雨祈胡会話2020年12月12日 (土) 06:55 (UTC)[返信]
(コメント)コメント依頼から来ました。二次資料はあったほうがいいと思いますが、個人的には空が青いことに出典は必要なのかと考えており、IPユーザーさんの意見寄りでしょうか。井戸端の過去ログにある似た話題も参考になるかもしれません。--ペン打ゴン会話2020年12月14日 (月) 14:11 (UTC)[返信]
コメント コメント依頼より。あらすじについては基本的に出典は不要です。出典が必要になる記述量や解釈の余地がある記述を含むのであれば、それはあらすじではありません。削るか、別の節に記述を移動させるか、あらすじであることを諦め出典を付けるべきです。現状のストーリー節があらすじと呼べるものか否かは議論の余地があるでしょう。逆に、登場人物節等には原則としてすべての記述に出典が必要と考えます。索引性の低い媒体の作品であっても、加筆の際にその記述の根拠を何らかの形で残すべきです。また、二次資料だけで構成する必要はありませんが、そういった節を一次資料に依存していいのは作品の評価といった二次資料による現実世界の観点に立った記述の充実が大前提です。前提を満たさないまま無出典の記述や一次資料に依存するのは検証可能性・特筆性他複数の観点から問題があります。以上より遡雨祈胡さんの編集方針自体は間違っていなかったと考えますが、一方で実際に行われた編集は本記事をWikifyされているだけのサブスタブに等しいものにしたと言ってよく、荒らし行為とは全く思いませんが、メンテナンステンプレートや加筆依頼といった手段を講じてから行うべきだったと思います。利用者の行為についてのコメント依頼ではないので小さ目で。--111.171.245.177 2020年12月16日 (水) 06:12 (UTC)[返信]

本件最終コメントより一ヶ月が経過いたしましたので、一度コメント依頼より除去いたします。--遡雨祈胡会話2021年1月30日 (土) 00:41 (UTC)[返信]