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ノート:GUN道

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MUSASHI -GUN道- との統合について

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そもそも単独記事にするほど大きな事項ではない上に、ケンジャの舞、アヤカシに関する解説など、かなりの部分でMUSASHI -GUN道-との重複記述が見られるため、両記事の統合を提案します。またその際は、以前に向こうの記事のノートで指摘された「第何話のどの場面で何がおかしいかを指摘するのはキリがない」に該当するため、「落ちながら戦う」の項はカットすべきだと考えます。--Ukyo 2006年6月11日 (日) 23:06 (UTC)[返信]

>「落ちながら戦う」の項はカットすべき
この見解には疑問があります。現時点において、GUN道を用いた最も印象的な場面であり、本項の記述も作画や演出の稚拙さを揶揄したものではなく、最大限肯定的に捉えた上での物と思えます。仮に作画レベルが高い場面だったとしても、技自体の演出は変わらないでしょうし、これを否定する事は、仮面ライダーのライダーキックを否定する事と同じではないでしょうか?「落ちながら戦う」という言葉も本編に登場する物ですし、視聴者にとっても印象深い場面の解説ですから、削除には当たらないと思います。Chanpon 2006年6月12日 (月) 03:55 (UTC)[返信]
まず、できれば最初に、統合そのものに関する賛否について意思を表明していただければ幸いです。さて、「落ちながら~」についてですが、「GUN道」という単独項目においてならば、確かにこれでもいいとは思います。しかし私は、「そもそも単独記事にするようなものではないので、作品記事に統合すべき」という立場を取っております。そして作品記事に統合した際、例に挙げられたライダーキックのように設定として存在するものはともかく、そうではない特定の一場面について詳細に記述することは、記事として少々アンバランスに過ぎます。ライダーキックにしたって、「この場面はこのように使った」のような記述はどの記事にもないでしょう。
統合後に記述を残すにしても、現在のように大きな量を割いて解説をするのではなく、軽く触れる程度にとどめておいた方がいいでしょう(それ以前に私には、そもそも記述全体が『迷場面を面白おかしく名場面のように皮肉ったもの』にしか見えないのですが……。何の関係もない他作品のキャラを引き合いに出してジョークにしている所といい)。--Ukyo 2006年6月12日 (月) 04:15 (UTC)[返信]

この項目を立ち上げた者です。 まず最初に言っておきますが、Chanpon氏が仰られているように、私は面白おかしく読ませるために執筆したわけではありません。「架空の能力・格闘技・武術」というカテゴリ内において、GUN道の武術としての側面を、本編から読み取れる情報を元に肯定的に解釈し、構成致しました。

そしてもう一つ、別項目として立ち上げた理由は、MUSASHIの作品項においてUkyo氏による大改稿が行なわれた際、その批判的な文章に嫌気がさし(現在は中立的になっていますが)、棘のない落ち着いた環境で執筆を行ないたいと考えたからです。個人でまとめサイト作ってそこでやれ、と思われるでしょうが、今、MUSASHIは悪い意味で話題になっているのは御存知のとおりであり、そういう先入観を持った人が「GUN道って何なんだよ」と思った時に、「珍妙に見えるけど、意外と骨子は悪くないぞ」という解説の役目を果たすためには、情報を探しやすいWikipedia内でスペースを構築する事が適切だと判断致しました。

他作品のキャラクターを比較対照に持ち出したのは、

(1)読者層の被る認識しやすいキャラを置いて、その能力を判り易くする(スクールランブル・一条かれん)

(2)学術的な項目ならともかく、エンタテイメント性の強い項目において、多少のユーモアは必要ではないか(ブリーフの舞)

特に(2)に関しては、MUSASHI作品項において、そういう"くすぐり"を入れる事が極めて難しくなった事から(改稿前は褒め殺し的要素として過剰過ぎた事は否めませんが)、百科事典といえど、そこまで無味乾燥な肌触りで良いのか?という疑問がありましたので、敢えて付記させていただきました。

「落ちながら戦う」の項ですが、タイトルは"くすぐり"の一環としてこの表記にしましたが、内容については前述のとおり、作品を嘲笑する目的で執筆したわけではありません。そして、ライダーキック云々はともかく、GUN道を語る上で避けて通れないとの判断から、この場面を採り上げました。これを「迷場面を面白おかしく名場面のように皮肉ったもの」と捉えられるのでしたら、それはUkyo氏と私の「感覚の違い」としか申し上げられません。

「武術としてのGUN道」に特化した内容である事、そして項目を立ち上げた立場上、統合案は「否」とさせていただきますが、個人の意思が優先される場所ではない事も分かっておりますので、統合となった場合でも、不服を申し立てるつもりはありません。第三者の判断にお任せ致します。Okojosan 2006年6月12日 (月) 10:29 (UTC)[返信]

まず問いたいのは、「武術としてのGUN道」を、作品の項目で説明できない理由は何か、ということです。Wikipediaは百科事典を作るプロジェクトですが、作品大全を作るプロジェクトではありません。書くべき情報は取捨選択し、コンパクトにまとめることも求められます。本記事で解説されている「GUN道」「ケンジャの舞」「アヤカシ」の解説は全て、既に作品記事の「用語・武器解説」の項にコンパクトにまとめられており、百科事典としてはこの程度のまとめで十分です。仮に内容を増やすにしてもその場でやればいいことであり、わざわざ単独記事を立てるのは、重複記事以外の何物でもありません。
また、「GUN道を語る上で避けて通れない」と言いますが、そもそもWikipediaに一場面・一エピソードの解説等は要りません。あくまでも作品の概要だけを掴ませるのがWikipediaの意義であり、例えば「筋肉質とは無縁の~」などといった、本編の考察に近い記述はそれこそ個人サイトでやるべきことでしょう。独自の研究・考察などを記事に盛り込むことは削除対象にもなりえます。
ガンダムSEED関連の馬鹿みたいな単独記事の乱立(何で一キャラ一組織に一つずつ記事がないといけないんだろう、あれ……)を見ても解りますが、サブカル・フィクション関連の細かな記事がやたらと作成されるのは、日本語版Wikipediaの問題点の一つだと思っています。ユーモアを含みたいのはもちろん結構ですが、出来れば作品への思い入れに捉われることなく、百科事典として相応しい記事になるような執筆をお願いします。--Ukyo 2006年6月13日 (火) 00:37 (UTC)[返信]
執筆者さんの気持ちは理解できますし、そう硬いこと言うなよ、責めてやるなよという気持ちもありますが、統合提案者さんの論理が正論である以上、ここは退くべきでしょうね。統合でも構わないという意思表示もされていますし、私も統合やむなしだと思います。私個人としては、かなり興味を惹かれる内容でしたので、考察は個人サイトで再構築されることを強く希望します。
統合するとして、ケンジャの舞とアヤカシの項目は重複部分を削りつつ、「一大事と認識」や「対応武器が少ない」の辺りを移植という感じで良いと思いますが、歴史項目の「複数の流派が存在する可能性」も残したほうが良いかと。Whiteosyou 2006年6月13日 (火) 07:31 (UTC)[返信]
Whiteosyou氏、温かいお言葉、ありがとうございます。私も統合で異存ありません。まだまだ執筆において未熟であると痛感しましたので、しばらく大徳寺へ修行の為にスタコラサッサしてきます。Okojosan 2006年6月13日 (火) 17:07 (UTC)[返信]

提言から一週間経って反対意見なしということで、統合作業に移らせていただきます。--Ukyo 2006年6月19日 (月) 03:37 (UTC)[返信]