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ノート:ASIOS

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二次資料が示されていません

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削除依頼を行いましたが、Wikipedia:独立記事作成の目安の誤解に基づいて、二次資料からの言及が示されないままに投票されたことによってこの記事は存続しています。この団体に言及する資料もほとんどなく、記事として発展する様子がないのであれば、超常現象#懐疑派にさらっと書く程度が望ましいです。もし資料が増えることがあれば、再びこの記事を発展させていけばいいのです。--Xmimn会話2016年6月18日 (土) 10:43 (UTC)[返信]

少なくとも現時点でもダ・ヴィンチニュースが出典として挙げられていますから、Template:一次資料「一次情報源または主題と関係の深い情報源のみに頼って書かれています」の貼付およびこの節のタイトル「二次資料が示されていません」は不当でしょう。
また、「Wikipedia:独立記事作成の目安の誤解に基づいて」というのも明らかなミスリードでしょう。誤解だというのならあなた自身が削除票を取り下げた理由がなくなります(あの削除依頼は削除0票、存続2票です。「印象」のみに基づき、なにひとつ具体的な根拠を挙げられなかったのは削除側だ、ということはこの際明記しておきます)。誠実な調査をした上で誤解だと判断したというのなら、その具体的な調査内容を示すべきでしょう。
もちろん、テンプレの貼付が常に誠実な調査の後でなければならない、ということはありません。しかし、一度示されたコミュニティの議論結果を「誤解」と断ずるのであれば、それ相応の客観的論拠の提示が必要になるはずです。--Sumaru会話2016年6月18日 (土) 12:11 (UTC)[返信]
ダヴィンチはASIOSへのインタビュー記事に見えます。一次資料じゃないでしょうか。
私の取り下げは、ガイドラインで提案されているほどの検索はしたんですけど、もう少し確認してもよかったというのが理由です。全般的に、記事が発展するような出典がないように思われますが、存続表を投じられているので、それは存続表の投票者が加筆することなのではないでしょうか。
具体的な調査内容というWikipedia:削除依頼/ASIOSには、二次資料が示されていないのではということ、示された資料を用いて百科事典の記事として発展しないのではという2点です。まずこうして、ノートページで二次資料の理解をはかっていくことも必要でしょう。--Xmimn会話2016年6月18日 (土) 13:16 (UTC)[返信]
ダ・ヴィンチニュースは取材者の論評がいくつも挿入されていますよね。もちろん、それだけでは「弱い」というならわかります。しかし、「ない」というのは事実に反します。また、よそでは書評が一次資料であるという無茶苦茶な論理を振りかざしておいでですが、削除依頼で挙がった書評の数々をきちんと調査した上での判断でしょうか。
Wikipedia:独立記事作成の目安の導入部には「その記事に特筆性がないと報告する場合は、説明責任が伴います」と明記されています。特筆性なしを理由に出された削除依頼が否定されたことを『誤解』と断ずるのであれば、より強い説明責任が伴うのは当然貴方の側です。それがおできにならないのであれば、貴方のなさっていることはいつまでも「納得」しないに抵触しかねない振る舞いと申し上げざるをえません。--Sumaru会話2016年6月18日 (土) 13:44 (UTC)[返信]
わたくしの方に間違いがありましたら申し訳ありません。ただ現時点では、誠実に考えているつもりでございます。Wikipedia:独立記事作成の目安#特筆性のガイドラインを満たしていない記事を読んでみます。
一般的な検索エンジンによる簡単な調査くらいは行うようとか、特筆性テンプレートを使うようといった「誠実な探索」が必要であって、テンプレートを使ったが協力者が現れなかった場合だけでは不十分であって、したがって誠実な探索のために必要なのは、少なくとも一般的な検索エンジンによる簡単な調査ですよね。
誰が調査するのかという点で残ってきますのはWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にでしょう。私に調査の義務があるのでしょうか。それとも私に調査を依頼したいということでしょうか。
私には最低限の調査能力以上の調査能力があると自認しますが、朝日の聞蔵、日経テレコン、毎日の毎索、読売のデータベースから検索しても、確かに見つかるのは朝日新聞2011年12月4日の全194文字の書籍案内程度です。これはさえぼーさんが存続の根拠としていますが、書籍について批評したものとも思えず、団体について何も説明しておらず団体への「有意な言及」ではありませんので誤解です。
ダ・ヴィンチニュースの心霊写真の仕組み、自称・超能力者たち… 『超常現象の謎解き』がもたらすガッカリとロマンはどうでしょう。本城達也さんへのインタビュー(一次資料、一次情報源)に『謎解き超常現象』の紹介がありますね。一次資料と二次資料の間の微妙なものという主張でしょうか。
このような理解を得ていくことと同時に、ご参加される方々がいらっしゃるようですので、同時に記事存続の形がとられるようであれば、幸いかなと考えたのです。別に今日明日までにとも、6月中にとも申しませんので、探索と同時に理解を得てみることをはじめようと思い立ったのです。
そして、仮に、有意に言及された二次資料が見つかったとします。将来的に記事が残るような基準としてはWikipedia:特筆性 (組織)#主要な基準でしょうか、何を基準にしましょうか。満たしたとします。
満たしましても、百科事典的な記事への成長が望めないのではないかということです。それではまた再び統合等の提案となります。削除依頼では、わたくしはWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事を示して、そこに「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」とあるんですが、特筆性以外には「発展の可能性も見込めません」とわたくしも言及しております。投票者なされた方はこの部分も見落とされていたようです。このような2点の問題を解決する必要が残っております。--Xmimn会話2016年6月21日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
よそでも引用しましたが、Wikipedia:特筆性 (組織)#主要な基準に「組織(中略)は、それが、二次情報源で報道の対象となっている場合、特筆性があります」「基準における「二次情報源」には、新聞記事、書籍、テレビのドキュメンタリー番組、消費者広告監視機構が公にしている報告のようなあらゆる形態の信頼できる公表著作が含まれます」(強調引用者)とあります。
取材者の論評も含まれている報道をインタビューを含むからというだけで一次情報源にする、という判断は全く支持されませんよね。また、以下は論評は希薄ですが、
「夢の中の男」は実在するのか? 都市伝説バスターズが暴いた真相」(朝日新聞ニュースサイトwithnews)
という(Wikipedia:特筆性 (組織)#主要な基準が言うところの)「報道」もあります。
また、削除依頼の場で申し上げたとおり、「歴史読本 6月号」「週刊文春 3月17日号」「月刊ムー 4月号」「日刊ゲンダイ」「映画秘宝 4月号」などで紹介されている本もあるわけですが、これらが本当にいずれも論評を含まない書籍案内にとどまるのでしょうか。私自身確認していない(そのいくつかは近日中に確認する用意がある)ので今は断言しかねますが、最低限の有意な言及を含んでいれば、その書籍に特筆性が認められる可能性は出てくるでしょう。で、その時に、ASIOSという記事は立てないが、個別の書籍の記事は立てる、などという話になるのでしょうか。それとも超常現象#懐疑派にぶらさげて肥大化させていくのでしょうか。私だったら、個別の書籍についてもこの記事にまとめていく方が建設的だと考えます。これでも「発展の見込みがない」のでしょうか。
さて、
>誰が調査するのかという点で残ってきますのはWikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にでしょう。
違います。それは記事内の個別の記述の基準です。もう一度繰り返します。Wikipedia:独立記事作成の目安の導入部には「その記事に特筆性がないと報告する場合は、説明責任が伴います」と明記されています。
そして、貴方は削除依頼がWikipedia:独立記事作成の目安の誤解に基づく判定であったと主張したのですから、各種挙げられた出典くらいは調査した上で、それでもなお目安を満たさないことを証明しなければなりません。それをしないまま誤解といい続けるのであれば、貴方はコミュニティの合意形成の手続きよりも俺様基準を上位に置く人と判断せざるをえなくなり、Wikipedia:コメント依頼等で意見を募った上でウィキペディアでの編集をご遠慮いただく可能性を選択肢に入れなければならなくなります。
なお、以下は少々蛇足ですが、今更「記事存続の形がとられるようであれば、幸いかなと考えた」などとおっしゃっていますが、この節の一番初めの書き込みでは、一旦削除の意志をはっきりしめしていますよね。こういう風になし崩しに根本的なレベルでの主張を変えるような議論の仕方も、貴方の参加姿勢に対する疑念を増幅させる、と申し添えておきます。--Sumaru会話2016年6月21日 (火) 15:41 (UTC)[返信]
この節の最初では、わたくしは、資料が手薄であれば超常現象に統合、資料が増えればこの記事を発展させていけばいいと書いています。わたくしの「幸いかな」の発言では、有意に言及された二次資料の理解を得て、資料が探され「記事存続の形がとられるようであれば、幸いかな」と述べたのです。大きく矛盾するものではありません。
先の削除依頼では、わたくしは自らの削除を取り下げたときにも、記事への発展の余地がないのではと考えていることを変更してはいません。
独立記事作成の目安には、特筆性の「立証」について書いてあり、Wikipedia:出典を明記するの方法にのっとると書いてあります。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にとも矛盾しません。現在、記事に明記されている出典は、
  1. トンデモ本を扱う「と学会」会長が引退 (J-CASTニュース) ASIOSについての「有意な言及」がありません。それ以前に、ニュース報道等の取り扱いもありますので、特筆性の証拠としてまったく採用できないです。
  2. 心霊写真の仕組み、自称・超能力者たち… 『超常現象の謎解き』がもたらすガッカリとロマン(ダヴィンチ・ニュース) 解釈の問題が提起されていますが、本城達也さんへのインタビューです。
  3. その他の出典は、自己サイトなので「対象と無関係な」の条件を満たしません。
いまだ「立証」されておらず、特筆性を求める状態は継続されておかしいことではないでしょう。
Wikipedia:削除依頼/ASIOSの計2票の存続表のうち
さえぼーさんの挙げた、朝日新聞2011年12月4日書評全194文字では、ASIOS著と書かれているのみで、有意な言及がないです。
さえぼーさんは、コメントで挙げられた『NHK 幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』も加えて2文献があるので特筆性があるとできるのではないかということですが、引用された部分は謝辞であり、有意な言及とみなすにはあまりに団体を説明しなさ過ぎているでしょう。謝辞は書籍の冒頭でよく書かれるものであってこの書籍独特でもないですから、「直接的かつ詳細に述べている」「相当量の言及」とか「たった1行の文」「取るに足らない」といった特筆性のガイドラインの表現から推量すれば、たった一行の取るに足らない言及でしょう。
Alice OPPさんは、「記事内容や公式サイトの情報」から特筆性を満たす可能性が高いとしていますが、記事内容からの「立証」は不十分ではないでしょうか。公式サイトの情報では「歴史読本 6月号」「週刊文春 3月17日号」「月刊ムー 4月号」「日刊ゲンダイ」「映画秘宝 4月号」が挙げられていますが、いまだ記事に反映されていません。一般的に、著書について言及した短い書籍紹介では、その著者(ここではASIOS)について長々と述べたものではありません。月刊ムー、日刊ゲンダイという情報源が信頼できる情報源にあたるかどうかには議論があるでしょう。
ここまでの説明で、特筆性の立証不十分と疑義して不十分でしょうか。
一個調査しましたが、日刊ゲンダイでは、公式サイトに記載された2011年02月21日ではなくその翌日の紙面13面に載っており、ASIOSという団体を説明していないので「有意な言及」がありませんでした。「立証」を満たしていない、憶測で挙げられた新聞、それも日付が違うため徒労でした。どれが特筆性の出典たりえるのか示してください。
「夢の中の男」は実在するのか? 都市伝説バスターズが暴いた真相も、本城達也さんへのインタビューです。これまでに見た資料の中でもASIOSに言及しています。
先にわたくしが、「基準としてはWikipedia:特筆性 (組織)#主要な基準でしょうか、何を基準にしましょうか」としているのは、Wikipedia:信頼できる情報源で参加者が作成した文書は一次資料に分類されるため、わたくしのほうで拡大しているということです。ノート:Japan Skepticsで、「草案だからと思い、積極的に取り扱おうと思っていなかったのですが・・・あなた自身があちこちで草案の特筆性基準を引き合いに出している以上」と言質をとったように言われていますが、ノート:「ニセ医学」に騙されないためにでは、わたくしは草案であるという理由のために一歩引きましたよ。--Xmimn会話2016年6月25日 (土) 13:14 (UTC)[返信]
ご本人でないので断言はしかねますが、Alice OPPさんがおっしゃる「公式サイト」は出版社ではなくASIOSの公式サイトのほうではないでしょうか。その活動報告では数多くのマスメディアの取材や番組作りに協力していることが記載されています(そして活動報告へのリンクは、あの削除依頼の場で私が挙げています)。もちろん、自主公表の情報ですが、『週刊現代』の超常現象特集のようにバックナンバーで検証可能なものも含まれています。
で、貴方のコメントに対して言いたいことはいくつもあるのですが、正直申し上げて何をおっしゃっているのか意味をつかみかねる箇所などがいくつかあります。そのうち、とりあえず2点お尋ねしますが、
>ノート:「ニセ医学」に騙されないためにでは、わたくしは草案であるという理由のために一歩引きましたよ。
何のことだか意味がわかりません。これからあちらに書く予定のものをうっかり過去形で書いたのかとも思い、1時間ほど待ってみましたが、何も投稿されないので意味不明です。また、
「最低限の有意な言及を含んでいれば、その書籍に特筆性が認められる可能性は出てくるでしょう。で、その時に、ASIOSという記事は立てないが、個別の書籍の記事は立てる、などという話になるのでしょうか。それとも超常現象#懐疑派にぶらさげて肥大化させていくのでしょうか。私だったら、個別の書籍についてもこの記事にまとめていく方が建設的だと考えます。これでも「発展の見込みがない」のでしょうか。」
という質問に一言もお答えいただいていないのですが、これについてお答えいただけませんか。それらのお答えを踏まえたうえで改めてコメントします。--Sumaru会話2016年6月25日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
>公式サイト
公式サイトはASIOSの公式サイトですね。なおさら独立記事作成の目安の基準と関係が薄いでしょう。
>意味がわかりません。
ノート:「ニセ医学」に騙されないためにではWikipedia:特筆性 (書籍)が草案だったので適用するのをあきらめたということです。
もう1個のご質問にお答えします。ASIOSの特筆性を強く訴える出典がない場合に、超常現象に統合するのも無難な選択です。書籍に特筆性が認められる可能性があれば、ASIOSの記事ではなくてむしろ書籍の記事があってもいいとも思います。ただし新聞のニュース報道に近いような書評を集めて出典とするとかでなく、注目を集めたという事例を示す出典が必要だと考えます。
特筆性のテンプレートを使っておいて出典が出てくるのを待ってみています。急いではいません。--Xmimn会話2016年6月30日 (木) 11:19 (UTC)[返信]
>言質をとったように言われていますが、ノート:「ニセ医学」に騙されないためにでは、わたくしは草案であるという理由のために一歩引きましたよ。
というのは何もコメントせずに撤退した、ということだったのですか。そんなこと言われなければ分かるはずがありませんから、それを表明する以前の撤退したのかどうか分からない状態で論拠にするのは何もおかしいことではないでしょうに。相手に逆手に取られて都合が悪くなったから、自分の方も取り下げたというだけにしか見えませんが。
なお、私は、「Wikipedia:独立記事作成の目安の誤解に基づいて」という主張はおかしいと最初から述べていますから、(それだけでは納得しようとしない方へのダメ押しとして持ち出しただけの)草案を除外したところで何の問題もありません。
>直接的かつ詳細に述べている」「相当量の言及」とか「たった1行の文」「取るに足らない」といった特筆性のガイドラインの表現から推量すれば
ノート:「ニセ医学」に騙されないためにで指摘したとおり、Wikipedia:独立記事作成の目安においては、「元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です」と明記されています。貴方がご自分に都合のよさそうな片言節句から「推量」なさらずともハッキリした基準があり、新聞の書評であろうと、別の本のついでに取り扱われたというような事例でなければ、普通に満たすことは明らかです。それではダメだというのは貴方の個人的な価値観の表明の域を出ませんし、ましてやよそでもここでもあえて上記引用部だけ避けて、その周辺の片言節句から都合のよい「推量」を導き出すなど、ルールの悪用そのものでしょう。
そして貴方が
>先の削除依頼では、わたくしは自らの削除を取り下げたときにも、記事への発展の余地がないのではと考えていることを変更してはいません。
と述べた事実は、貴方の個人的価値観が考慮に値しないことを示しています。なぜならば、先の削除依頼は明らかに貴方が必要な調査も行わず、削除の方針等もきちんと確認しないまま出したことが明らかであり、依頼不備に近いものだったからです。「不備があったから再調査したい」と取り下げるのではなく、削除票を取り下げつつも、追加調査もなしに削除すべきという意見を一貫させたという事実は『削除という結論先にありき』で動いていたと述べているに等しいです。そのようなバイアスのかかった考えを臆面も無く表明する方が徒にハードルを引き上げようとする行為に、なぜ周りが付き合わなければならないのでしょうか。
なお、
>いまだ記事に反映されていません。
とのコメントもありましたが、議論の結果、削除されることになれば、加筆は全て徒労に終わるわけです。無駄骨を折るだけのリスクを承知の上でせっせと加筆に励んでいられるほど私は暇ではありません。
確認ですが
>超常現象に統合するのも無難な選択です。
統合が無難な選択肢の一つになるということはつまり、貴方の認識でさえも削除の要件に合致しない(あるいはそのように断言できないにしてもそう判断されてしかるだけの合理性がある)という理解でよろしいのですね。
となれば、個別の書籍についてもこの記事にまとめて記事を成長させていくことに、貴方が反対する理由は無いということでよろしいのでしょうか。--Sumaru会話2016年6月30日 (木) 16:42 (UTC)[返信]
利用者:SumaruにはASIOSと一緒に著書を出版した関係者・山津寿丸であると書かれているせいなのか、わたくしから悪意をとらえよう、とらえようとする傾向があるのかもしれませんね。ノートページもまたがってしまい、何の記事の議論をしているのかといった状況でもあります。
そちらのおっしゃる「撤退したのかどうか分からない状態で」、決め付けられたような状況であったので、わたくしが説明を行い、説明を行ってもなお受け入れることができないということなんでしょうか。
既出の返答「一般的な検索エンジンによる簡単な調査くらいは行うようとか、特筆性テンプレートを使うようといった「誠実な探索」が必要であって、テンプレートを使ったが協力者が現れなかった場合だけでは不十分であって、したがって誠実な探索のために必要なのは、少なくとも一般的な検索エンジンによる簡単な調査ですよね」
独立記事作成の目安には、特筆性の「立証」について書いてあり、Wikipedia:出典を明記するの方法にのっとると書いてあります。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にとも矛盾しません。現在、記事に明記されている出典は、・・・
いまだ「立証」されておらず、特筆性を求める状態は継続されておかしいことではないでしょう。」
削除依頼で「さえぼーさんの挙げた、朝日新聞2011年12月4日書評全194文字では、ASIOS著と書かれているのみで、有意な言及がないです。・・・」引き続き他の文献も説明。
「たった1行の文」「取るに足らない」といった特筆性のガイドラインの表現から推量したことについては、「(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及」もはっきりとした基準ではないと思いますが、『NHK 幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー』で触れられている程度の、ASIOSが何であるかまったく説明していない、謝辞のたった1行の文が、そちらの推量によれば有意な言及だと推量できるのだと主張したいのか。はたまた、わたくしの推量がルールの悪用であったと、あえて明言したいのか。
「蛇足的に触れられている」は推量的な基準であって「蛇足的に触れられていると思う」でしかなく、おっしゃるような「ハッキリした基準」ではありませんよね。定量的な基準ではありません。他の表現・著作の謝辞の通例も併せて推量しましたが、ルールの悪用と呼ばれるようなことなんでしょうか。
「俺様基準を上位に置く人」「ルールの悪用そのものでしょう」との発言は冷静に議論されたものなんでしょうか?--Xmimn会話2016年7月8日 (金) 05:42 (UTC)[返信]
>「俺様基準を上位に置く人」
その部分は「それをしないまま誤解といい続けるのであれば、貴方はコミュニティの合意形成の手続きよりも俺様基準を上位に置く人と判断せざるをえなくなり」(一部強調)と申し上げています。方針文書で定められたことを遵守せずに自分が正しい、と主張する人がいるとした場合にそれが「俺様基準を上位に置く人」でなくてなんなのでしょうか。一方、この後に貴方が曲がりなりにも疑義の根拠を挙げたため、(その内容に不満は無くも無いにせよ)ともかく形式は満たしたのですから、これ以降、私は貴方を「俺様基準を上位に置く人」などとは一度たりとも位置づけていません。こちらが条件付で述べた言葉の条件を満たしていないのですから当然です。その発言から条件を切り取って何をしたいのですか。よそで私に対して「複雑な文章が苦手なのでしょうか」と当てこするくらいなら、条件くらい正しく読み取って頂きたいものです。
「ルールの悪用そのものでしょう」も同様。「よそでもここでも」と述べている部分を切り取って「ここ」だけに限定するのはこちらの意図と異なります。
さて、ここからが本題です。「何の記事の議論をしているのかといった状況でもあります」というのであれば、なぜ貴方は
  • 個別の書籍についてもこの記事にまとめて記事を成長させていくことに、貴方が反対する理由は無いということでよろしいのでしょうか
に一言もお答えいただけないのでしょうか。この点の問いかけを黙殺されたのは三度目です。一度目は段落ごと黙殺されました。二度目はその前後に書かれている「超常現象に統合」「書籍の単独記事を立てる」の2案にコメントがありましたが、この案は無視されました。そして、上の三度目の問いにも答えが無く、私への印象操作に終始しておいでです。
しかし、統合を検討すべき場合にも「共通点のあるスタブが複数存在する場合」が挙げられており、「ASIOSという団体の記事」と(将来立てるとした場合の)「ASIOSの書籍の記事」を統合するのは理に適っています。
発展性が無い、という疑義に対して、この記事の事情に即して「こうすれば発展の余地があるのでは」という提案をしているのですから、賛成でも反対でも真正面からお答えいただくのが普通ではないでしょうか。本気で存続の可能性も視野に入れているというのなら。
その点のお答えが3度問うても1度も無いまま「何の記事の議論をしているのか」などと言い出すのは、冷静な判断の上でのご発言なのか、疑問に思いたくもなります。--Sumaru会話2016年7月8日 (金) 16:51 (UTC)[返信]
>これ以降、私は貴方を「俺様基準を上位に置く人」などとは一度たりとも位置づけていません。
そうでしたか。はっきりと明言されていませんでしたので、攻撃的なものが継続されているよう感じていました。
今回のように本題を分けてそれ以外はばっさり削っていただけませんか。わたくしも労なく返答しやすいです。
>個別の書籍についてもこの記事にまとめて記事を成長させていくことに、貴方が反対する理由は無いということでよろしいのでしょうか。
独立記事作成の目安には、特筆性の「立証」について書いてあり、Wikipedia:出典を明記するの方法にのっとると書いてあります。Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にとも矛盾しません。
その立証が本城達也の特筆性を満たすようであれば本上達也にASIOSをぶら下げるとか、個別の書籍の特筆性を満たすようであれば個別の書籍にASIOSをぶら下げるとか、ASIOSの特筆性に疑問があり記事も小規模であれば超常現象に統合するという風になりませんでしょうか。--Xmimn会話2016年7月13日 (水) 11:43 (UTC)[返信]
>はっきりと明言されていませんでしたので
明示してあった『条件』をお読みにならなかったか、読んでもご理解いただけなかったかのどちらかでしょう。こちらが明言していないなどと責任をなすりつけられる筋合いはありません。
さて本題です。
本城氏は自身が「超常現象研究家」という肩書きで取材を受けていることもあるので、彼には彼の特筆性があります。反面、ファフロツキーズについての新聞記事(上では挙げていませんが)のように、ASIOSという団体の会長だからということで取材を受けている例もあります。当然、上で挙がっている2件のインタビューも明らかにそれであって、それらの場合、ASIOSという団体の方に特筆性があることも明らかです。なお、検証可能性にいう「自主公表された情報源」では「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます」と明記されており、商業出版の存在は、自主公表された情報であっても受容できる可能性を開きます。第三者によって公表されたインタビュー記事を、インタビューというだけで退けることはこの点からも不当であると申し上げておきます。
また、その商業出版については、文芸社の3冊(うち私が関わった1冊はムーも市民タイムズも扱いが微妙なので、とりあえず除外してもいいですが)と『謎解き古代文明』には書評があり、短くとも、内容の無味乾燥な紹介にとどまらない論評を含むものが複数あります(また、そのいくつかは団体についてのごくごく簡潔な紹介も含みます)。また、『読売新聞』の直近の書評(7月10日)では、UMA本の書評に際し宮部みゆき氏が「ばっちり参考になりますよ」としてASIOSの『謎解き』シリーズにも言及しています。決して長い言及ではありませんが、夏休みの自由研究にオススメという書評のコンセプトからすれば、「蛇足以下」でないことは確かでしょう。
こうしたことを踏まえれば、脆弱であろうともASIOSという団体そのものについて第三者言及があり、複数の本についても書評があるのですから、いずれか1冊の本の記事に団体の記事をぶら下げるなどというのは本末転倒でしょう。そうまでして是が非でも団体の記事を認めたくない理由でもおありなんでしょうか。--Sumaru会話2016年7月13日 (水) 14:56 (UTC)[返信]
報告加筆しました。
Wikipedia:合意形成等では標準的な合意形成期間は7日間(168時間)とされています。もちろん、これは必ず1週間以内に返事せよということを意味しませんし、杓子定規に適用されるべき基準ではありません。現に貴方のお返事が7日以上開いたときにも、私は特に何も申し上げませんでした。しかし、
>利用者:SumaruにはASIOSと一緒に著書を出版した関係者・山津寿丸であると書かれているせいなのか、わたくしから悪意をとらえよう、とらえようとする傾向があるのかもしれませんね。
などという印象操作でしかないコメント(Wikipedia:削除依頼/ASIOSの最初のコメントで明示しているように、一連の議論でも私はASIOSとの接点を隠したりはしていないというのに)を書きつけていることを棚にあげ、
>今回のように本題を分けてそれ以外はばっさり削っていただけませんか。わたくしも労なく返答しやすいです。
などと他人の答え方については平然と注文をつけ、こちらがその注文に応じて本題をきちんと分けたにもかかわらず、「労なく返答しやすい」はずのお答えを10日以上なさらないとなれば、もはや議論継続の意志がないと判断せざるをえません(何か不意の事情で多忙になった等でも、「返事が遅れる」旨をひとこと書く時間すら10日もの間まったく取れないというのは考えづらいですし、以前の「誠実に考えている」という言葉とも矛盾します。その言葉は出典の評価についてであって、議論姿勢については違うという可能性も文脈上ゼロではありませんが、それならそれで大いに問題でしょう。緊急入院等ならその限りではないでしょうが、一言も書けないような環境に長期的に置かれているなら、どのみちこの議論は一旦打ち切るべきでしょう)。
というわけですので、「ASIOSという団体の記事に、ASIOSの書籍などの情報も盛り込んで発展させる」という方向性にこれ以上の異論はないものと判断して、その線で一定程度加筆し、タグは除去しました。
タグの再貼付の可能性を全否定するつもりはありませんが、その場合、きちんと新たに議論を提起し、貼り付けについて合意形成を経た上で、にして下さい。タグの貼り付けを先にやって議論途中で(ノート:「ニセ医学」に騙されないためにのように)その場では何も言わずに撤退、などというハタ迷惑な行為をされても記事にとっては害にしかなりませんので。--Sumaru会話2016年7月23日 (土) 16:47 (UTC)[返信]