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ノート:A級戦犯合祀問題

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天皇陛下の靖国参拝と所謂A級戦犯の合祀について

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天皇陛下の靖国参拝について
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提案 以下の記述を記事に入れる事を提案します。

富田メモ云々があるかと思いますが、時系列に並べて整理すると以下の通りになります。

*1975年11月20日 内閣委員会で天皇陛下の靖国神社参拝を、社会党の秦豊氏、野田哲氏、矢田部理氏が問題視する。
  • 1975年11月21日 昭和天皇、最後の靖国神社参拝
  • 1978年10月17日 所謂A級戦犯の合祀が行われる
  • 1979年4月19日 朝日新聞が所謂A級戦犯を靖国神社に合祀したことを記事にする。
  • 1982年    社会党の田邊誠氏が、中国共産党中央委員会南京大虐殺紀念館を建設する様に再三要請
  • 1985年    この年以降、中国が靖国神社参拝を問題視する様になる。

国会で問題提起された主な内容は、以下の答弁から始まりました。

社会党の野田哲氏「いま植木長官はそういうふうに言われますけれども、八月十五日に三木総理が靖国神社へ参拝した。これはいま吉國長官も私的行為だということで強弁されておりますけれども、いかに私的行為だと言っても、あの当時のやはり国民の受けとめ方というか、靖国神社の国家護持を推進しようとする団体は、あの三木総理がいかに私人だと言ったって、総理が靖国神社へ参拝してくれたということをもって靖国神社国家護持の運動は一歩前進をするというふうに団体の機関紙などで評価をしておるんですよ、評価を。恐らく明日の天皇の靖国神社参拝についても、そういう形で取り扱う団体が絶対にないとは保証できないでしょう。これは保証できない。だとするならば、あなた方がどういうふうに理解をされようとも、明らかにこれは政治的に利用されたということになるではないですか。そういう懸念は一切持っていないんですか、政府の方では。どうですか長官。」(第076回国会 内閣委員会 第4号 昭和50年(1975年)11月20日“参議院” の145番目の答弁より引用) 

それに対し、富田メモで有名な宮内庁の富田長官が、

宮内庁の富田朝彦氏「先ほど来私も申し上げておりますように、多くの戦没された方々への陛下の気持ちをあらわされたいというその御意思に基づく私的な行為でございます。そういうことに関連しての諸問題につきましては、ただいま総務長官がお述べになられましたように、そういう政治の渦中に巻き込まれるということは絶対ないという配慮のもとにまいりたいと、かように考えております。」(第076回国会 内閣委員会 第4号 昭和50年(1975年)11月20日“参議院” の170番目の答弁より引用) 

 

と締めくくり、それ以降、天皇陛下が靖国神社に参拝されることは無くなりました。---鈴木直紀会話2014年2月3日 (月) 06:11 (UTC)[返信]

この様な経緯を記事に入れるべきでしょうか?--鈴木直紀会話2014年2月3日 (月) 12:33 (UTC)[返信]