ノート:4分33秒
この「4分33秒」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2020年12月11日 | 良質な記事の選考 | 通過 |
「演奏例」の削除を提案
[編集]こうした単なるエピソード的な話を載せる必要はないのではないでしょうか。「演奏会で取り上げられることもあり、CDなども発売されている。」程度の記述で十分だと思います。
Wikipedia全体としてネタ話のようなものが書かれ過ぎている(そういうものを書くのが一番楽だからでしょうが)ように思うのですが、通俗的過ぎる場合が多くて辟易します。正しい理解を助けるために引用されているのでないものは、寧ろカットした方が良いと思います。 CutieNakky 2007年7月24日 (火) 01:26 (UTC)
10日ほど待ってみましたが、特に異論もないようですので削除しました。
雑学的なネタを本文中に混ぜると、むしろ正しい理解を阻害する結果につながることが多いと思います。 CutieNakky 2007年8月4日 (土) 00:22 (UTC)
時間4分33秒の根拠
[編集]2016年7月3日のNHK-FM『現代の音楽』で、ゲストの音楽学者白石美雪は、演奏時間は易によって決められていたと解説していました。出典の書籍が不明なので本文は直しませんが、いちおうこちらに注記しておきます。--Hermes3(会話) 2016年7月3日 (日) 06:06 (UTC)
各楽章の長さ
[編集]初演の際の演奏時間が「第1楽章は33秒、第2楽章は2分40秒、第3楽章は1分20秒」だったとありますが、この記述はどのような根拠によるものでしょうか。この記述の根拠となるものが、ケージが楽譜に書いたことしかないようでしたら、本文ではなく注に移したうえで、ケージがそう書いている、と書く形がよいと思います。
この記事を読んで奇妙に思えるのは、チューダーは作曲を急かしたのに、「第1楽章30秒、第2楽章2分23秒、第3楽章1分40秒」というケージの指示を無視したように取れることです。しかし初演時のチューダーの姿勢は「楽譜を正確に追いながら、ケージが精密に指示した持続に従うために、ストップウォッチを見た。」(ケネス・シルヴァーマン(英語版)、柿沼敏江訳 『ジョン・ケージ伝』 論創社、2015年、122ページ)と表現されており、意図的に無視したようには思えません。
この件について庄野進『聴取の詩学 J・ケージから そしてJ・ケージへ』(勁草書房、1991年)は、ケージが1960年版の楽譜で初演時の演奏時間を「第1楽章は33秒、第2楽章は2分40秒、第3楽章は1分20秒」としていることに触れ、初演時に使われた別の楽譜があったのか、ケージの記憶違いか、と述べています(69-70ページ)。
初演時点で『4分33秒』がこういう曲だと知られてはいなかったはずですので、各楽章の時間を測っていた第三者がいたとは思えません。そうなると、初演時の演奏時間の情報源は、ケージが1960年版譜に書いたこと、以外はないわけです。一方、ケージは当事者であり、楽譜を査読する人がいるわけでもありませんので、優れた情報源とは言えません。作曲時に規定された時間と、初演時の時間の違いに特に触れずにただ並べたのでは、読者は混乱するばかりです。時間が違っている事情がよくわからないのであれば、初演時の演奏時間に本文では触れず、注に逃がすしかないと思います。--西村崇(会話) 2021年1月17日 (日) 15:35 (UTC)
- 出版譜 (EDITION PETERS, No. 6777c) には「DAVID TUDOR RECONSTRUCTION OF THE ORIGINAL 1952 MANUSCRIPT (1989)」 というのも収録されておりまして、この譜面では第1楽章33秒です。ただ「RECONSTRUCTION」とあるのが気になっていて、初演時も第1楽章33秒だったとは私には言い切れないです。どなたか2次資料としてこの再現譜は本当に初演時のものと同一である、とでも書いてくれればいいのですが。--東京1964(会話) 2024年2月16日 (金) 06:32 (UTC)