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ノート:1999年の紀伊國屋書店における漫画撤去問題

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この記事の検証可能性の不備及び独自研究の疑いについて

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  • 検証可能性の不備について

この記事は、今のところ、検証可能性を満たしていないと考えられます。なお、「個人のウェブサイトやブログは、原則として適切な情報源としては認められません。」(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース参照)

  • 独自研究の疑いについて

さらに、検証可能性が満たされない場合、独自研究(Wikipedia:独自研究は載せない)の疑いを拭い去ることができません。

「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。つまりウィキペディアでは、情報それ自体が正確であると認められるかどうかに拘わらず、他の信頼できる情報源によって発表された事柄のみを発信します。独自の調査を避けるためには、そしてウィキペディアの記事の質を向上させるためには、あらゆる一次資料、さらには既存の情報やデータの一般化、分析、総合、解釈、評価もすべて、評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できることが必要です。」「自己出版されたものは、紙媒体であれオンラインのものであれ、一般的には信頼できるとはみなされません。」(Wikipedia:独自研究は載せない#資料参照)

「情報が「真実」であるということだけでは、その情報がウィキペディアの「検証可能性」の要求、つまりウィキペディアに掲載されるためには情報源が付けられていなければならないという要求を満たしているということを意味しません。(もちろん、情報が本当なら、すぐにもちゃんとした典拠・情報源がみつかるはずですが)。裏を返せば、「独自研究」は「信頼できる情報源」を持たないがゆえに、ウィキペディアでは受け入れられない、と言うこともできます。」(Wikipedia:検証可能性#但し書き参照)--EAGERBEAVER 2010年10月10日 (日) 20:32 (UTC)[返信]

紀伊国屋事件については、2002年横浜で開催された第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議(横浜国際会議)のレポートに、藤本由香里明治大学准教授らによる証言が出ています。
「藤本氏からも言及があったが、児童ポルノ法が施行された直後に起きた、紀伊国屋による自主回収問題である。成年マンガのみならず、『バガボンド』(講談社)や『ベルセルク』(白泉社)といったポルノグラフィが目的でない作品も、児童の性的描写があるとして回収されたのだ。紀伊国屋の過剰な自主規制については、児童ポルノ法が施行される直前に「見せしめのための摘発」をおそれて「疑わしき物は排除する」という基本方針を各店舗へ通達したファックスが伏線となっていたことは指摘しておく。」
TINAMI株式会社公式サイト「TINAMIX Archives」『第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議(横浜国際会議)レポート』(2002/1/18)
http://www.tinami.com/x/report/16/page5.html
この様に、企業の公式サイトに記載されている点、および社会的著名人の証言である点により、紀伊国屋事件は事実である事が裏付けられるといえるでしょう。--四号戦車 2010年10月14日 (木) 10:04 (UTC)[返信]
こちらの記事でも紀伊国屋で撤去事件があった事を報じています。
「1999年、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」、通称「児童ポルノ法」が施行され、児童ポルノの販売が禁止された。その結果、紀伊國屋書店から井上雄彦作『バガボンド』や三浦建太郎作『ベルセルク』、小山ゆう作『あずみ』などの漫画が、性表現を含むという理由で一時的に撤去されている。」
http://ascii.jp/elem/000/000/528/528238/
ASCIIjp×ビジネス「非実在青少年は、なぜ問題なのか?」2010年06月10日より --四号戦車 2010年10月14日 (木) 10:21 (UTC)[返信]
四号戦車さん、出典を提示していただきましてありがとうございます。おかげさまで独自研究での削除を免れることができました。 --Slpolient 2010年10月14日 (木) 10:30 (UTC)[返信]
四号戦車さま、情報源のご提供ありがとうございます。
ただし、私は、それらの情報源が検証可能性を満たす「信頼できる情報源」に該当するのかについて疑問を抱いています。
まず、TINAMIX Archivesについて検討します。
四号戦車さまは、TINAMIX Archivesについて、「企業の公式サイトに記載されている点、および社会的著名人の証言である点により、紀伊国屋事件は事実であることが裏付けられる」とされています。
しかし、「企業の公式サイト」だからといって、信頼できる情報源とは限りません。私は、少なくとも、ウィキペディアに何の留保も無く載せるほど強度の信用性は存在しないと考えています。
具体的な問題点としては、第一に、TINAMIXは既に休止状態にある無名のウェブマガジンということが挙げられます。第二に、運営企業であるTINAMI自身も、掲載された情報の正確性については一切の保証をしない旨を明確に言明していることが挙げられます(後掲の・TINAMI免責事項参照)。第三に、情報を集めた手段を再現あるいは検証できないということが挙げられます。これらを併せ考えるならば、Wikipedia:信頼できる情報源に該当するかは疑問です。
・TINAMI免責事項 http://www.tinami.com/info/menseki
では、「社会的著名人の証言」という点はどうでしょうか。私は、TINAMIX Archivesには「社会的著名人の証言」は含まれていないと考えます。なぜなら、藤本由香里氏の発言が引用されていないからです。仮に引用があったとしても伝聞にすぎませんが、単に「言及があった」とするだけであり、伝聞ですらありません。藤本氏が専門家か否かや、藤本氏の立場ゆえの問題(偏向の可能性)についても注意を払うべきですが、そもそも、藤本氏の証言ではないということです。
次に、ASCIIjp×ビジネス「非実在青少年は、なぜ問題なのか?」について検討します。
私は、この情報源についても、少なくともウィキペディアに何の留保も無く載せるほど強度の信用性は存在しないと考えています。
具体的な問題点としては、第一に、この記事は、事実の中立的な伝達を目的としていないことが表題から読み取れます。第二に、掲載された情報の正確性について保証をしない旨を明確に言明していることが挙げられます(後掲の・サイトポリシー、免責事項参照)。第三に、情報を集めた手段を再現あるいは検証できないということが挙げられます。これらを併せ考えるならば、Wikipedia:信頼できる情報源に該当するかは疑問です。
・サイトポリシー、免責事項 http://ascii.jp/info/site_policy.html
以上より、「紀伊国屋事件」(どこで誰がそのような事件名で呼称しているかも未だ明らかではありませんが)については、信頼できる出典を求め続ける必要があると考えますが、どうでしょうか。さらに、現在の状況下においては、この記事を掲載し続けるとしても「TINAMIXは~という事実があったと掲載している」「ASCIIjp×ビジネスは~という事実があったと掲載している」という記述形式にすることを提案したいと思います(現状では、そう掲載されていることしか認定できないと考えるため)が、どうでしょうか。--EAGERBEAVER 2010年10月16日 (土) 15:47 (UTC)[返信]

紀伊国屋事件について記述している記事は他にも出てきます。

「99年、児童ポルノ法に創作物が含まれるようになるのではないかと話題になったときのことだ。大手書店チェーン『紀伊國屋書店』でマンガ『バガボンド』などが撤去されたことがあった。宮本武蔵の生涯を描き、後に文化庁からも表彰された同作だが、18歳未満の性交が描かれていることから、児童ポルノ禁止法に抵触するのではと考えられたのだ。」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/565 『「非実在青少年」って何? わけのわからない条例を作る東京都の狙い』」 2010年05月18日(火)週刊現代 (講談社刊)より

>では、「社会的著名人の証言」という点はどうでしょうか。

>私は、TINAMIX Archivesには「社会的著名人の証言」は含まれていないと考えます。

>なぜなら、藤本由香里氏の発言が引用されていないからです。

「『言及]とは[名](スル)いいおよぶこと。話がある事柄までふれること」と意味します。すなわち日本語の解釈としては、TINAMIX Archivesの記事の文章は、藤本氏が紀伊国屋事件についての証言を要約した、と解釈するのが妥当でしょう。EAGERBEAVERさんの説では明らかに文章として矛盾が生じる事になってしまいます。

次に重要なのは、Wikipedia:信頼できる情報源の項目にある「複数の情報源を確認する」を満たしている点です。これまで少なくともTINAMIX Archivesの記事、ASCIIjp×ビジネスの記事、そして講談社の「週刊現代」誌に掲載された記事の三つ出ています。 特に三つ目の週刊現代はWikipedia:検証可能性にも記述されている「信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)」に該当しています。 掲載時期、掲載紙ともに違う複数筋から同じ情報が出てるという事実から見て、紀伊国屋事件は事実であることの裏づけが取れていると見た方が妥当と考えられます。

TINAMIX Archivesの記事、ASCIIjp×ビジネスの記事の2点では事実認定として弱い、というのがEAGERBEAVERさんの主張と思われます。ですのでさらに週刊現代の記事を出典に加えることで、これを補うという方向性ではどうでしょうか?--四号戦車 2010年10月16日 (土) 17:29 (UTC)[返信]

2007年5月19日に開催の「同人誌と表現を考えるシンポジウム」のITmediaNewsに掲載された記事も併せて載せておきます。このシンポジウムでは、藤本由香里氏が実際に証言を行っています。
以下「同人誌と表現を考えるシンポジウム:(4)言うべきは言い、守るべきを守る (1/3)」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0706/01/news017.html
より抜粋。
藤本由香里さん(編集者/評論家)「実際、アニメや漫画が対象になるらしいという情報が伝わった時、ある有名な書店さんが「ベルセルク」*2を引っ込めたという話が本当にあるんですね。チャイルドアビューズ(児童虐待)に当たる場面があるからで、つまり「ベルセルク」や、今回手塚治虫文化賞の大賞を受賞した「舞姫(テレプシコーラ)」*3などはダメなんですよ、「良くない漫画」「有害コミック」、法的な規制で見てはいけない漫画ということになってしまうんです。例えそれが、悲惨な体験としてそれを訴えるために書かれているものでも、そういう場面があるということで規制の対象になってしまう。」--四号戦車 2010年10月16日 (土) 19:43 (UTC)[返信]
出典元に週刊現代(講談社刊)およびITmediaNEWSの記事を加えたので、「検証可能性の不備及び独自研究の疑い」の問題は解消されたと判断して良いと考えます。--四号戦車 2010年10月16日 (土) 19:54 (UTC)[返信]

四号戦車さま、新たな情報源のご提示、ありがとうございます。 週刊現代の記事については、これも中立的な事実の提供を目的とした記事ではない点や、娯楽を目的としたタブロイド誌に準じるものであり、信頼できないと思います(週刊現代は世間一般からも事実の伝達面で信頼されているとは言いがたいと感じています)。おっしゃるとおり、複数の情報源の存在は重要かと思いますが、私は、信頼できない情報源をいくら集めても信頼性が高まるわけではないとも考えています。紀伊國屋書店という現存する法人に関する客観的事実の記述なわけですから、より慎重な態度が求められるのではないでしょうか。とりわけ気になるのは、情報を集めた手段を再現あるいは検証できないことと、情報源の全てに色が付いていること(情報源は自らの主張の一環として、または補強材料として当該事実を挙げており、客観的事実の伝達を目的としている情報源ではないこと)です。

ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。例えば、「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」としてください。」(WP:V#NR参照)
信頼できる情報源では、情報を集めた手段を再現あるいは検証できます。確認できる事実は、たとえ確認が行われていないとしても、全体的には確認できない事実よりも信頼できます。
特定のPOVを超えて信用できることを目指した詳しい情報源は、イデオロギーや党派的な思惑または観点に関して、限られた聴衆に向けたものと比べ、一般的により信頼できます。(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用参照)

次に、繰り返しになりますが、TINAMIXには藤本氏の発言の引用が無いため、藤本氏の「証言」とは言えません。「言及があった」とするのはTINAMIXであり、「言及があった」と前置きしてから「~は指摘しておく」とTINAMIX独自の見解・理解を述べるという構成になっていると読み取れます。要は、専門家自身の「証言」ではない(またはどちらの見解か区別できない)ということです(証言というためには少なくとも発言自体の引用は必要だと私は考えています)。この点では、ITmediaNewsには藤本氏の発言が引用されており、「証言」とすることも可能かと思います。しかし、これも繰り返しになりますが、仮に藤本氏がそのように述べていたとしても、それが客観的事実である裏づけが取れたとは考えにくいところです。藤本氏は客観的事実の伝達の権威ではありませんし、偏向の可能性にも注意を払わなければなりません。

私は、今現在の状況では、信頼できる情報源なく検証可能性を満たしておらず、それにより独自研究の疑いも生じていると考えています(よって削除すらも視野に入れるべきと考えています)。ですが、その一方で、四号戦車さまの挙げてくださっている情報源が当該事実について触れていることも事実です。そこで、「ASCIIjp×ビジネスは~とする」「TINAMIXは~とする」「週刊現代は~とする」「藤本氏は~とする」と記述し、読者に判断を委ねれば良いのではないでしょうか。そのような記述を見て、私は『客観的事実とは即断できない』(検証可能性の不備及び独自研究の疑いは拭い去れない)と考えますが、四号戦車さまは『事実である裏づけが取れている』(検証可能性の不備及び独自研究の疑いの問題は解消されたと判断して良い)とお考えになるわけで、各読者に判断を委ねる形式で事実を掲載することが妥結点、解決策となりうるのではないかと考えています。どうでしょうか。--EAGERBEAVER 2010年10月17日 (日) 06:03 (UTC)[返信]

>「ASCIIjp×ビジネスは~とする」「TINAMIXは~とする」「週刊現代は~とする」「藤本氏は~とする」と記述し、
ASCIIjp、週刊現代などの週刊雑誌、ITmediaNEWSについてはウィキペディアの他の記事において、Wikipedia:信頼できる情報源として使用されてる事実がありますから、本記事においてもこれらについては同様に扱うべきです。いくつか例を挙げましょう。
週刊雑誌がWikipedia:信頼できる情報源として使用されている一例 → 鳩山由紀夫。関連が指摘される団体の項目「統一協会の『救国救世全国総決起大会』に民主党議員10数人を連れて出席している[285]。」これは出典元は『週刊ポスト』2005年4月22日号となっており、ノートでも疑義がついておりません。
ITmediaNEWSおよびASCIIjpがWikipedia:信頼できる情報源として使用されている一例 → Studie GLAD Racingの脚注の項目。ASCIIjpおよび、ITmediaNEWSを出典元としています。
Studie GLAD Racingの記事の出典元となった「ASCIIjp×ゲーム&ホビー」にも下記免責事項はありますが、問題なくWikipedia:信頼できる情報源として扱われています。
http://ascii.jp/info/site_policy.html
「弊社は本サイトのコンテンツに関して、十分に検討・確認しておりますが、その正確性、完全性、連続性、確実性、安全性、有用性、特定の目的に対しての適合性などについて、保証するものではありません。」
この様にASCIIjp、週刊雑誌(現代やポストなど)、ITmediaNEWSの三つは、現在ウィキペディアにおいてWikipedia:信頼できる情報源として扱っています。したがって現在ウィキペディア内においてこうした合意が成立している以上、本記事においても同様の取り扱いしなければなりません。そうしなければWikipedia:中立的な観点の定める公平性に反し、私的な編集になるからです。
それでも上記三つについてEAGERBEAVERさんがWikipedia:信頼できる情報源と認められないとするならば、これらのサイトや雑誌等をソースとした、ウィキペディア上の全ての記事に異議を申し立て、全て「ASCIIjp×は~とする」「ITmediaNEWSは~とする」「週刊○○は~とする」という記述に変更する様に働きかけるべきです。もし本記事の削除申請を行うというのであれば、これらのサイトや雑誌等をソースとした、ウィキペディア上の全ての記事に対し、同様に削除申請を行うべきです。
EAGERBEAVERさんの働きかけの結果、もし上記三つが、Wikipedia:信頼できる情報源を満たしていないという合意がウィキペディア内で取れたのであれば、その上で改めて本記事も含めて「ASCIIjp×は~とする」「ITmediaNEWSは~とする」「週刊○○は~とする」と書くべきでしょう。
Wikipedia:信頼できる情報源の是非は、EAGERBEAVERさんの個人の判断で決して行ってはなりません。最低限ウィキペディア内での扱いや合意の有無を鑑みて判断するべきです。そして先述した様に、ASCIIjp、週刊雑誌(現代やポストなど)、ITmediaNEWSの三つは、他の記事で問題なく出典元となるWikipedia:信頼できる情報源として扱われている以上、本記事においてもそれに準じた判断をするべきです。--四号戦車 2010年10月17日 (日) 07:24 (UTC)[返信]
TINAMIXの記事に関しては[1]のリンクから外し、「~高いと評価された作品であった。」以降に下記の一文を加えるのはどうでしょうか?
『「TINAMIX Archives」の『第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議(横浜国際会議)レポート』(2002年1月18日)によれば、「藤本氏から児童ポルノ法が施行された直後に起きた、紀伊国屋による成年コミックだけでないベルセルクなどの一般向け漫画の自主回収問題について言及があった。この過剰な自主規制の背景には紀伊国屋が各店舗に通達したFAXが伏線であった」と記されている。』--四号戦車 2010年10月17日 (日) 08:14 (UTC)[返信]
四号戦車さまは、これら三つの情報源(ASCIIjp、週刊現代などの週刊雑誌、ITmediaNEWS)について、一部の記事で情報源として使用されているが、疑義が付いていない→三つの情報源は一部の記事でWikipedia:信頼できる情報源として扱われているといえる→現在ウィキペディア内において三つの情報源をWikipedia:信頼できる情報源とする旨の合意が成立しているといえる→本記事においても同様の取り扱いをしなければならないといえる、とされているように思います。しかしながら、この論理展開には、いくつかの点で疑問があります。
まず、各記事において疑義が付いていないからといって、三つの情報源がWikipedia:信頼できる情報源として扱われていると認定することはできません。疑義がついていないというのは消極的事情です。そこから積極的な合意の存在までも認定するのは困難と考えられます。そもそも、三つの情報源がWikipedia:信頼できる情報源とされず、ウィキペディアに使用されないこともありうることですが、それらは表には出てきません。よって「疑義が付いていない」という消極的事情から、「信頼できる情報源である」という積極的合意の存在を推認するのは極めて困難かと思われます。
さらに、もし仮に「各記事において」三つの情報源がWikipedia:信頼できる情報源として扱われているとしても、「ウィキペディア内において」三つの情報源をWikipedia:信頼できる情報源とする旨の合意が成立しているわけではありません。ウィキペディア内でそのような合意が成立しているとするならば、その合意の存在を積極的に示す公式な方針あるいはガイドライン(あるいはその草案等)の存在を示す必要があります。
なお、補足ですが、そもそも、Wikipedia:信頼できる情報源か否かは、出版したメディアの権威によって一概に決せられるものではありません。
「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ、権威づけられた専門家による公表物がそれに次ぎます。」(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用参照)
繰り返しになりますが、私は、紀伊國屋書店という現存する法人に関する客観的事実の記述なわけですから、より慎重な態度が求められると考えています。問題は、情報を集めた手段を再現あるいは検証できないことと、情報源の全てに色が付いていること(情報源は自らの主張の一環として、または補強材料として当該事実を挙げており、客観的事実の伝達を目的としている情報源ではないこと)です。客観的には「~という名前のメディアが・・・としている」という事実だけが認められ、私はそれらのメディアがWikipedia:信頼できる情報源には該当しないと考え、四号戦車さまは該当するとお考えになっているようですから、このような捉え方の違いを止揚するような中立的な形式で記述を書き換えるのが得策ではないでしょうか。すなわち、読者に判断を委ねる形式ということです。
TINAMIX Archivesについてのご提案ですが、TINAMIXは、単に「言及があった」とするだけであり、藤本氏がどのような発言をしたかは不明確で認定できません(記事の筆者の見解と明確に区別することができません)。よって、藤本氏の言及内容について、TINAMIXから明確に認定することはできないと考えられます。これについても「TINAMIXは~としている」と書くことで、藤本氏の言及内容がどこまでかについても読者に判断を委ねることができると思われます。
藤本氏の発言については、明確に区分けされた形式でITmediaNEWSに載っていますので、そこから認定できる藤本氏の発言を載せれば良いのではないでしょうか?藤本氏はITmediaNEWSでは紀伊国屋の名称を出していないので関連性の点で問題はあるかとは思いますが、TINAMIXのいわゆる「前置き(藤本氏からも言及があったが~)」によって、関連性は充足されているかもしれません。--EAGERBEAVER 2010年10月17日 (日) 11:12 (UTC)[返信]


記事に記載する基準はEAGERBEAVERさんの意見ではなく、ウィキペディアのガイドラインに沿った判断をすべきです。

>情報を集めた手段を再現あるいは検証できないことと、

EAGERBEAVERさんはこの点は明らかに勘違いしています。

Wikipedia:検証可能性より抜粋。「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません」

またこれまでに4つの異なる情報源が出ていますが、いづれも同じ内容であり、これは下記要件を満たしています。 「どの情報源についても、複数の独立した立証の存在は信頼性へのよきガイドラインであり、もしある事実や主張が複数の情報源により個別に確認されているならば、それは確認されていない情報源よりも信頼できます」(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用参照)またASCIIjpおよびITmediaNEWS、週刊現代などは編集部による査読の過程を経ているため、Wikipedia:信頼できる情報源の「オンラインや自己公表された情報源の利用」に明記された、「一般的には査読された公表物はもっとも信頼できると考えられ」に該当します。


>情報源の全てに色が付いていること(情報源は自らの主張の一環として、または補強材料として当該事実を挙げており、客観的事実の伝達を目的としている情報源ではないこと)です。

ウィキペディアにおいて要求されるものは「客観的な事実」かどうかではなく、それが検証可能かどうかという点です。

Wikipedia:独自研究は載せない「信頼できる資料」の項より抜粋。 「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。つまりウィキペディアでは、情報それ自体が正確であると認められるかどうかに拘わらず、他の信頼できる情報源によって発表された事柄のみを発信します。(略)あらゆる一次資料、さらには既存の情報やデータの一般化、分析、総合、解釈、評価もすべて、評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できることが必要です」

この場合の検証可能性とは、「評判の良い第三者による(つまり自費出版ではない)発行物として発表され、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できること」であり、すなわちこれに照らせば、タブロイト誌もWikipedia:信頼できる情報源として定義されているのです。週刊雑誌は自費出版でなく、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できるため、ウィキペディアにおける「検証可能性」の要件を満たしています。 この点がEAGERBEAVERさんが例に出した夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙とは大きく異なります。これらは公共図書館などで検証できません(国会図書館などに寄贈されている場合は、検証可能性の要件を満たします)。

さらにウィキペディア内における「評判の良い」という定義は、Wikipedia:独自研究は載せないによれば「(b)その媒体は何層もの編集スタッフ、事実調査員、弁護士、編集長などを抱えているから、たいていの誤りは訂正してくれるだろうと少しは安心するでしょうか。(略)もし(b)であるなら、それこそがウィキペディアで言うところの「評判の良い」というものなのです」となっており、ASCIIjpおよびITmediaNEWS、週刊現代はこの(b)を満たしています。これはWikipedia:検証可能性でも触れている査読の有無の問題です。

またWikipedia:信頼できる情報源では『「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。』と定義されており、週刊現代は講談社という著名な出版社から出版されている雑誌を満たしています。またASCIIjpおよびITmediaNEWSも、編集部による査読制度のある定期刊行物です。 ウィキペディアにおいて出典元の信頼性は、査読制度の有無を大きな判断基準に置いている事が明白になっています。


>情報源の全てに色が付いていること(情報源は自らの主張の一環として、または補強材料として当該事実を挙げており、客観的事実の伝達を目的としている情報源ではないこと)です。

EAGERBEAVERさんはASCIIjpおよびITmediaNEWS、週刊現代などの情報源の「色」を問題視していますが、Wikipedia:信頼できる情報源の「注意すべき論点」の項目では、「・情報源に強硬な見解が含まれているということは、必ずしもそれを使ってはならないならない理由にはなりません。」と情報源の目的や客観性の欠如を根拠に、出典元の否定をしてはならないと明記されています。 EAGERBEAVERさんの一連の主張は、明らかにウィキペディアのガイドラインに違反しています。


>繰り返しになりますが、私は、紀伊國屋書店という現存する法人に関する客観的事実の記述なわけですから、より慎重な態度が求められると考えています。

これをもう一度よく読んでください。 Wikipedia:独自研究は載せない「信頼できる資料」の項より抜粋。「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します」

Wikipedia:検証可能性の冒頭文より。『ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。』--四号戦車 2010年10月17日 (日) 14:27 (UTC)[返信]

記事がWikipediaの基準から外れているかも検証した方がいいんじゃないでしょうか?
まず出典元が明らかになっているからこの記事はWikipedia:独自研究は載せないには該当しないでしょう。次に出典元がWikipedia:信頼できる情報源かどうかですが、Wikipediaで出典元として禁止(例外あり)とされた、第三者のチェックを受けずに自己公表された情報ではなく、掲示板やwikiに掲載されたものではない。過激派等のものではないし、企業などの宣伝を目的とした情報でもありません。出典元はこの部分でも出典元はクリアしていて問題はありません。「タブロイト紙~」の箇所については英語版の基準では除外されていますし、ノートでも議論中なので、あまりこれに捕らわれない方がいいでしょう。
Wikipedia:検証可能性は四号戦車さんが書いている通りです。出典元は執筆者以外に編集部などの第三者のチェック受けた情報ですから私も問題があるとは思えません。
EAGERBEAVERさんに考えて欲しいのは百科事典は客観的な事実を書く場ではないという事です。客観的な事実だけしかあけないのであれば幽霊ネッシーは書けなくなります。百科事典の目的は読者が記事を元に自ら検証するきっかけ作りにあります。最終的なソースを求める場ではないという事です。
四号戦車さんにも意見させていただきます。TINAMIXから藤本由香里氏の主張を見出すのは難しいかと思います。そこでここは実際に取材をしたライターの相沢恵氏による一次情報として扱う事を提案します。取材記事は編集部のチェックを受けている事を宣言していますので問題ないですし、また企業としてのTINAMIXは現在も運営されており、読者の問い合わせなどに対応できる体制を取っています。--114.177.74.144 2010年10月18日 (月) 02:21 (UTC)[返信]
>四号戦車さま
少し誤解を招いたところがあるかもしれません。信頼できる情報源は、検証可能性の前提になっています。
Wikipedia:信頼できる情報源#方針は「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」としています。ここでは、単なる「情報源」ではなく「信頼できる情報源」としていることが分かります。検証可能性は「単なる情報源により検証可能」という意味ではなく、「信頼できる情報源により検証可能」ということです。そのため、信頼できる情報源か否かが問題となっているのです。
>週刊雑誌は自費出版でなく、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できるため、ウィキペディアにおける「検証可能性」の要件を満たしています。この点がEAGERBEAVERさんが例に出した夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙とは大きく異なります。これらは公共図書館などで検証できません(国会図書館などに寄贈されている場合は、検証可能性の要件を満たします)。
信頼できる情報源だから検証可能性を満たすのであって、(例えば国会図書館で)単に検証可能だから信頼できる情報源に該当し検証可能性を満たすといえるわけではありません。信頼できる情報源か否かの判断が検証可能性の判断に先行するものです(なお、国立国会図書館は法定納本制度に基づき、スポーツ新聞等も所蔵しているかと思います)。単に検証可能であることは、信頼できる情報源か否かを判断する際には無関係です。その上で、信頼できる情報源か疑わしいことは、前述(2010年10月16・17日付)の通りです(なお、週刊現代は内容の真実性を巡って多数の訴訟を提起され、敗訴事例も多々認められる週刊誌です)。
>114.177.74.144さま
>記事がWikipediaの基準から外れているかも検証した方がいいんじゃないでしょうか?
Wikipediaの基準から外れている、とはWikipedia:特筆性の問題でしょうか?
>EAGERBEAVERさんに考えて欲しいのは百科事典は客観的な事実を書く場ではないという事です。客観的な事実だけしかあけないのであれば幽霊やネッシーは書けなくなります。百科事典の目的は読者が記事を元に自ら検証するきっかけ作りにあります。最終的なソースを求める場ではないという事です。
誤解を招く表現があればお詫びしたいと思います。客観的な事実(ここでは「(科学的)真実」という意味でしょうか?)しか書けないという旨の主張をしたことはありません。私が提案しているのは、ネッシーに例えるならば、「ネッシーは存在する」という記述形式ではなく、「~さんは、ネッシーが存在する、としている」という記述形式にすることです。また、週刊現代に即した例ならば、「横綱朝青龍らが大相撲九州場所で八百長をした」という記述形式ではなく、「週刊現代は、横綱朝青龍らが大相撲九州場所で八百長をした、と報じた」という記述形式にすることを提案しています。--EAGERBEAVER 2010年10月18日 (月) 19:27 (UTC)[返信]

EAGERBEAVERさん

Wikipedia:信頼できる情報源#方針は「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」としています。

その様な文章はWikipedia:信頼できる情報源のどこにも明記されていません。 Wikipedia:信頼できる情報源の冒頭文では、次の様に書いているのです。

「ウィキペディアの記事は、信頼できる公刊された情報源を使うべきです。このページでは、それらをどのようにして識別するのかについてのガイドラインを提供します。」

すなわち上記ガイドラインでは、「内容だけを書くべき」と限定した記述は一切ありません。「使うべきです」と推奨しているだけです。 この時点で、EAGERBEAVERさんがWikipedia:信頼できる情報源を曲解している事が明白です。

さらにこのWikipedia:信頼できる情報源#方針において、「信頼できない情報」として定義し、禁じているのは114.177.74.144さんが指摘するように以下のものです。

・自己公表された情報源(個人のウェブサイトやブログ、自費出版業者からの出版された本など)
・公表者自身についての記事内での自己公表された情報源(条件あり)
・掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿記事
・反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト
・企業や組織のウェブサイト(広告目的、例外あり)

しかも「信頼性の評価」の項においては、最後に

ウィキペディアそれ自身が現在のところこうした信頼性のガイドラインに適合していないことに注意してください。

と書いており、「信頼性の評価」を根拠にした出典元の排除や、信頼性の否定を明らかに否定しています。 ガイドラインに反していない出典元を自分が信用できないからといって否定するのはWikipedia:中立的な観点に、明らかに違反した行為です。


>信頼できる情報源だから検証可能性を満たすのであって、(例えば国会図書館で)単に検証可能だから信頼できる情報源に該当し検証可能性を満たすといえるわけではありません

その見解も明らかに間違っています。 Wikipedia:信頼できる情報源#方針では、信頼できない情報源を先述した様に定義しています。週刊現代などの週刊誌はこれには含まれていません。EAGERBEAVERさんが週刊誌を信頼しないのは自由ですが、上記ガイドラインに違反しているという明白な根拠を提示して下さい。

2010年10月17日 (日)にて、私が「合意」が取れていると書いたのは、出典元となる週刊誌やオンラインニュースサイトの記事が、このWikipedia:信頼できる情報源#方針のガイドラインに違反していない結果、ウィキペディア内で幅広く出典元して使用されている事実を踏まえているからです。さらに訴訟の件と、ウィキペディアで使用できるか否かという問題は全く別です。訴訟を受けている情報元は出典元として使用できないという根拠条文はどこにもありません。 ウィキペディアのガイドラインに従った判断をして下さい。

残念ながらEAGERBEAVERさんの一連の主張は「私が信用できないから載せるな」という個人的評価の域を全く出ていません。 改めてお尋ねますが、ASCIIjpや週刊現代などの週刊雑誌、ITmediaNEWSがWikipedia:信頼できる情報源#方針にて、使用を禁じられた条項のどこに抵触するのか、根拠条文を明記した上で説明してください。


114.177.74.144さん

>そこでここは実際に取材をしたライターの相沢恵氏による一次情報として扱う事を提案します。

確かにその方がいいかもしれません。ご提案に感謝します。--四号戦車 2010年10月19日 (火) 05:58 (UTC)[返信]


>四号戦車さま
Wikipedia:信頼できる情報源#方針という項目は存在しませんでしたね。
Wikipedia:検証可能性#方針の誤りでした。以下、お詫びして訂正します。
>四号戦車さま
少し誤解を招いたところがあるかもしれません。信頼できる情報源は、検証可能性の前提になっています。
Wikipedia:検証可能性#方針は「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」としています。ここでは、単なる「情報源」ではなく「信頼できる情報源」としていることが分かります。検証可能性は「単なる情報源により検証可能」という意味ではなく、「信頼できる情報源により検証可能」ということです。そのため、信頼できる情報源か否かが問題となっているのです。
>週刊雑誌は自費出版でなく、ウィキペディア以外のウェブサイトや公共図書館を通じて閲覧者が閲覧できるため、ウィキペディアにおける「検証可能性」の要件を満たしています。この点がEAGERBEAVERさんが例に出した夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙とは大きく異なります。これらは公共図書館などで検証できません(国会図書館などに寄贈されている場合は、検証可能性の要件を満たします)。
信頼できる情報源だから検証可能性を満たすのであって、(例えば国会図書館で)単に検証可能だから信頼できる情報源に該当し検証可能性を満たすといえるわけではありません。信頼できる情報源か否かの判断が検証可能性の判断に先行するものです(なお、国立国会図書館は法定納本制度に基づき、スポーツ新聞等も所蔵しているかと思います)。単に検証可能であることは、信頼できる情報源か否かを判断する際には無関係です。その上で、信頼できる情報源か疑わしいことは、前述(2010年10月16・17日付)の通りです(なお、週刊現代は内容の真実性を巡って多数の訴訟を提起され、敗訴事例も多々認められる週刊誌です)。--EAGERBEAVER 2010年10月19日 (火) 09:50 (UTC)[返信]


>EAGERBEAVERさん
全く回答になっていないのですが?「Wikipedia:検証可能性#方針の誤りでした」といいながら、その中身はWikipedia:信頼できる情報源になったままですよ。
>信頼できる情報源だから検証可能性を満たすのであって、
>単に検証可能であることは、信頼できる情報源か否かを判断する際には無関係です。
と、EAGERBEAVERさんがご自身で言われるように、貴方の主張は出典元がWikipedia:信頼できる情報源かどうかに全て帰結しています。私はこの点についてすでにWikipedia:信頼できる情報源の根拠条文を提示し、週刊現代などの週刊雑誌、ASCIIjpやITmediaNEWSなどのニュースサイトがガイドライン違反でない事を明示しています。
Wikipedia:信頼できる情報源に違反していないという事は、すなわちウィキペディアではWikipedia:信頼できる情報源として取り扱われる事を意味します。
再度、質問致します。
Wikipedia:信頼できる情報源では、信頼できない情報源を以下の様に定義しています。
・自己公表された情報源(個人のウェブサイトやブログ、自費出版業者からの出版された本など)
・公表者自身についての記事内での自己公表された情報源(条件あり)
・掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿記事
・反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト
・企業や組織のウェブサイト(広告目的、例外あり)
ASCIIjpやITmediaNEWSなどのニュースサイト、週刊現代などの週刊誌はこれには含まれていません。これらがこのWikipedia:信頼できる情報源に定めたガイドラインに違反しているという明白な根拠を提示して下さい。また訴訟を受けている情報元は出典元として使用できないという根拠条文を提示して下さい。--四号戦車 2010年10月19日 (火) 10:11 (UTC)[返信]
この記事について1999年当時の朝日新聞の記事を転載したblogを発見しました。
「同法を審議した衆参両院の法務委員会では、発議者の議員が「絵は、実在する児童の姿を描写したものであると認められない限りは、児童ポルノには該当しない」と説明していた。全国に五十七店をもつ紀伊国屋書店(本社・東京都新宿区)は十月、法に触れると思われるものを店頭から下げるよう指示。写真集のほか、コミックやアニメ関連の本が一時、店頭から姿を消した。その後、国会の議事録を入手して検討し、コミックやアニメ分野は店頭に戻すことにした。」
朝日新聞 1999年12月06日 夕刊『児童ポルノってどんな本? 戸惑う書店、独自基準も 禁止法施行』より
http://takppp.blog133.fc2.com/blog-entry-12.html
この記事によって出典元に記載された内容が全て事実である事が裏付けられます。--四号戦車 2010年10月19日 (火) 13:00 (UTC)[返信]
EAGERBEAVER様
ウィキペディアではネッシー幽霊も基本的に記述形式で書かれています。伝聞形式ではありません。何故ならタブロイト紙の件になりますが、ウィキペディアの基準では情報源がそこひとつしか見つからない場合は、伝聞形式で書くべきです、となっているからです。しかし複数の情報源がある場合はこれには当たらなくなる上、Wikipedia:信頼できる情報源にある「ある事実や主張が複数の情報源に個別に確認されている」場合に当たるので、ネッシー幽霊なども記述形式になっているのです。ここは注意しましょう。
Wikipedia:検証可能性についてですが、ここに書かれた”信頼できる情報源”は、Wikipedia:信頼できる情報源にその根拠を求めています。そうなると、やはり四号戦車様の言う様に出典元が、この基準に違反しているのかそうでないのか、だけに論点が絞られます。そして出典元はこの基準には違反していません。
訴訟などについて。訴訟が起こされているから信頼できない情報源だ、というのは非常に乱暴な意見です。情報源の信頼性を個人の主観で判断していい事になるからです。ある人は毎日新聞はかつて英語版サイトWaiWaiで、捏造問題を引き起こしたから、信用できないというでしょう。ある人は産経新聞は保守的過ぎて偏向していると言うでしょう。この様な主張を根拠に、情報源を排除していけば何も使えなくなってしまいます。ここはちゃんとウィキペディアの基準に従うべきです。--114.177.74.144 2010年10月20日 (水) 02:15 (UTC)[返信]

>四号戦車さま

新たな情報源のご提供、ありがとうございます。朝日新聞は信頼できる情報源に該当するため問題は無いと思います。 まず、最初のご指摘についてですが、「信頼できない情報源として掲げられているもの以外は、全て信頼できる情報源である」という関係にあるのかは疑問です。それらは例示列挙ではないでしょうか?「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。」(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用 )としていることから、個別の検証が求められているように思われます。また、「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」等)、または編集上の監督を欠く情報源です。ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください。」(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース)とあるように、信頼できない情報源は「自己公表された情報源などの5点」に限られる(限定列挙される)ものとまでは言えないと考えられます。

>この記事によって出典元に記載された内容が全て事実である事が裏付けられます。

誤解を招いてしまったのならお詫びしたいのですが、私は「内容」が真実か否かは問題としておりません。私が出典がWikipedia:信頼できる情報源か否か、それによりWikipedia:検証可能性を満たすか否かを問題としているのはご指摘の通りです。なお、「百科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです。」(Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義)とあるため、各出典によって同意される記述がどこかは考慮する必要があると思います。

>114.177.74.144さま

分かりやすいご説明、ありがとうございます。なるほど、確かに「ネッシーは存在する(情報源:○○・○○)」「横綱朝青龍らは大相撲九州場所で八百長をした(情報源:○○・○○)」という記述形式は検証可能性を満たし問題は無いかもしれません。

次に、「訴訟が起こされているならば信頼できない情報源だ」という主張ではありません(誤解を招いてしまったら申し訳ありません)。敗訴事例が多々あることは「事実確認について評判が良くない情報源」(「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源…です。」(Wikipedia:検証可能性#情報源/ソース))であることを推認する一事情になると考えられるという趣旨です。--EAGERBEAVER 2010年10月20日 (水) 06:30 (UTC)[返信]


>EAGERBEAVERさん
>「百科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです。」
>(Wikipedia:信頼できる情報源#用語の定義)とあるため、各出典によって同意される記述がどこかは考慮する必要があると思います。
それはウィキペディアで「事実」という言葉を使用する際の定義です。ここ問われているのは情報源の評価です。別の問題を混同するのは良くありません。付け加えておきますと、さらにいえばこの紀伊国屋事件は少なくとも朝日新聞というジャーナリズムの専門メディア、および藤本由香里明大准教授という学者の両者による共通認識が成立しています。


>それらは例示列挙ではないでしょうか?
例示列挙ではなく禁止・注意事項として明記されています。Wikipedia:信頼できる情報源より抜粋。
・自己公表された情報源 
「自己公表された本や個人のウェブサイト、ブログの大部分は情報源として受け入れられません。」

・公表者自身についての記事内での自己公表された情報源
「自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、公表者自身についての情報源として利用できます。
その場合、公表者がその分野の著書を発刊した専門家であるという条件は求められませんが、次の条件を満たすことが必要です。(以下略)」

・自己公表された情報源:二次資料としての使用 
「個人のウェブサイトやブログ、そのほかの自己公表物あるいは自費出版物は、二次資料として使用できません。」

・掲示板、Wikiで構築されたサイト、Usenetへの投稿 
「掲示板やニュースグループ、Wikiで構築されたサイトへの投稿、あるいはブログ上の記述は、一次資料としても二次資料としても使用されてはなりません。」

・反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト 
「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物は、政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります」

・企業や組織のウェブサイト 
「 企業や組織のウェブサイトを情報源として使う際には注意すべきです。企業や組織は自らについてのよい情報源ではあるものの、明白な先入観が含まれます。
アメリカ小型装置製造業組合は小型装置の売り込みに関心があるものなので、中立的な観点を維持するためには、
ほかの信頼できる情報源が利用できる場合に企業や組織のウェブサイトを唯一信頼するということがないように注意してください。」
この様に「受け入れられません」「使用できません」「注意すべきです」等と禁止・注意事項として明記されており、単なる例示列挙ではない事は明らかです。
繰り返しますが、ASCIIjpやITmediaNEWSなどのニュースサイト、週刊現代などの週刊誌はこれらには含まれていません。これらがこのWikipedia:信頼できる情報源に定めたガイドラインに違反しているという明白な根拠を提示して下さい。また訴訟を受けている情報元は出典元として使用できないという根拠条文を提示して下さい。


>「事実確認について評判が良くない情報源」「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源…です。」
114.177.74.144さんが指摘されたように、「毎日新聞はかつて英語版サイトWaiWaiで、捏造問題を引き起こした」という事実がある以上、「事実確認について評判が良くない情報源」「一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源」という評価を導き出すことができます。私が出した朝日新聞についてもかつて珊瑚事件という捏造事件を起こしていますから、同様です。逆に週刊現代は年金未納問題追及キャンペーンを行ってその後、国会などで年金問題が扱われる契機を作ったから信頼できる、という評価も導き出すことが出来ます。これは全ての情報源に対して出来ます。
そしてこのWikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源が言わんとしている事を、EAGERBEAVERさんは明らかに取り違えています。
一般に、信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」等)、
または編集上の監督を欠く情報源です。
ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような
信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。
その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、
それをくだんの情報源によるものと明示してください。
この様に「信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます」と、他に出典元が無い場合の事例として例示しているのです。
そしてこの記事にはすでに複数の出典元が出されています。


>「オンラインの情報源は、印刷物やほかの伝統的な情報源と同じように信頼性を評価してください。オンラインであれ印刷物であれ、出版したメディアの権威により自動的に信頼性に足りると前提づけることができません。すべての報告は、作成した過程や人々に関する検証が必要です。信頼性はスペクトルのように幅があり、それぞれの背景を考慮する必要があります。」(Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用 )
多くの出典元はWikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用にある以下の箇所を満たしています。
(1)どの情報源についても、複数の独立した立証の存在は信頼性へのよきガイドラインであり、
もしある事実や主張が複数の情報源により個別に確認されているならば、それは確認されていない情報源よりも信頼できます。
(2)事実確認や編集者の監視など公表まで複数段階を経た情報源
(3)信頼できる情報源では、情報を集めた手段を再現あるいは検証できます
(4)信頼できる情報源は、情報源が誰かをはっきりと表明する傾向にあります
(1)は114.177.74.144さんの指摘された通り、すでに同じ情報が複数筋から出ています。
(2)全ての出典元は編集部などの査読制度、事務所や会社などへの連絡先の公表や読者からの問い合わせ窓口、顧問弁護士等があるなどウィキペディア内における「評判の良い」という定義に合致しています。
(3)各出典元が紀伊国屋書店だけでなく朝日新聞の担当記者や藤本氏に取材したであろう事は容易に想像できます。また直に読者から出典元に問い合わせることも出来ます。これらは読者が再現あるいは検証できるものです。
(4)朝日新聞や週刊現代以外の出典元であるTINAMIX、ASCIIjpやITmediaNEWSは全て執筆者の名前が明記されています。
上記の様に出典元は個別の評価においてもWikipedia:信頼できる情報源の多くを満たしています。
そしてすでに先述しましたが、そこの項目の最後をもう一度よく読んでください。
ウィキペディアそれ自身が現在のところこうした信頼性のガイドラインに適合していないことに注意してください。
と書いており、「信頼性の評価」を根拠にした出典元の排除や、信頼性の否定を明らかに否定しています。 ガイドラインに反していない出典元を自分が信用できないからといって否定するのはWikipedia:中立的な観点に、明らかに違反した行為です。


繰り返しになりますが、結局EAGERBEAVERさんの主張は「私が評価していない」の域を出ていないのです。再三いいますがそれはWikipedia:中立的な観点に違反しています。
だからこそどんな編集者も記事がウィキペディアのガイドラインに則っているのかそうでないのか判断できるよう、Wikipedia:信頼できる情報源のどこに違反しているのか、根拠条文を出してくださいと言っているのです。
そして未だにEAGERBEAVERさんはそれに回答をしていません。
最後に今回の記事はマンガという大衆文化に関わる事柄です。その情報源の信頼性について、Wikipedia:信頼できる情報源#大衆文化やフィクションでは、下記のように書いています。
Wikipedia:検証可能性およびWikipedia:信頼できる情報源は、芸能ゴシップ等、大衆文化に関して要求される情報の信頼性について特別な規定を置いていないが、
これらの分野で査読済みの研究を期待するのは現実的でない。
従って、例えば "bisexual" "James Dean"をキーワードにしたGoogle検索のように相当量の情報源が存在するときには、その中で最良の情報源は許容可能であり、
情報の信頼性についてのコメントが含まれている場合は特にそうである。
この様にGoogle検索から導き出された情報源ですら、ウィキペディアではWikipedia:検証可能性およびWikipedia:信頼できる情報源として許容可能であると明記しています。--四号戦車 2010年10月20日 (水) 10:22 (UTC)[返信]
記述形式と伝聞形式について。出典元が信頼性に乏しい出版物で、かつひとつしか見つからない場合に「○○は~と書いている」という伝聞形式にするのは分かります。ですが出典元が複数ある場合は、読者には検証する上で情報源の選択肢があるわけですから、好きなものを選んで検証すればすむ話です。そして記事を書く上で複数の出典元を公平に扱わねばならない以上、特定の出典元だけを強調する伝聞形式は使えません。なぜなら特定の出典元だけに注目を寄せる意図的な編集になってしまうからです。ですので記述形式になっている、現在の記事の書き方で良いと考えます。なお私は以前、TINAMIXの記事を一次情報として扱うよう提案しましたが、朝日新聞の記事が出た以上は、その必要はなくなったと思います。--114.177.61.106 2010年10月22日 (金) 05:06 (UTC)[返信]

「1999年の紀伊國屋書店における漫画撤去問題」への改名提案

[編集]

この記事の概要が独自研究かどうかについては10年以上前に議論があったようですが、少なくとも「紀伊国屋事件」という記事名について、ざっと確認した範囲では全ての出典において、そのような名称が出てきません。Google検索でもヒットするのはこの記事やその引用ぐらいで、ほぼ別の演劇の題名などがヒットする状況です。

また、記事名に「事件」が使われているものは、犯罪、違法行為、テロ、クーデター、軍隊による行動、政治での重大問題、その他歴史上の大きな出来事や、人命が失われるようなできごとに使われています。記事名だけでは、紀伊國屋文左衛門などの歴史上の事件なのか、犯罪事件なのかまったく判別がつかないものになっています。

さらに、書店名は「紀伊國屋書店」ですが、記事名は紀伊国屋事件と漢字の字体が異なり、書店も省略されたものが使われています。

これらのことから、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインにおいて

  • 正式名称を使っていない (紀伊国屋事件という正式名称がなく、紀伊國屋書店の正式名称とも異なる)
  • 「事件」とする表現が一般的に知られており通用しやすい名称ではない。出典がないのでその記事の内容を表すのに最も著名な表現とも言いがたい。

といった逸脱があるように思いますので、これらの問題をクリアした「1999年の紀伊國屋書店における漫画撤去問題」などへの改名を提案します。--Villeneuve1982会話2021年9月28日 (火) 23:10 (UTC)[返信]

  • コメント 記事の存続を前提とするならば改名に 賛成 なのですが、ねこざめさんの指摘ももっともな物に思えます。あるいは改名してからその後で統合を議論するという方法もあるかと思うのですが、その辺はどうするのがスマートでしょうか。--シダー近藤会話2021年11月15日 (月) 02:43 (UTC)[返信]
賛成 改名に賛成します。統合提案については改めてきちんと調べてから出すつもりです。その過程で考えが変わるかも知れませんけど。私が統合とか言い出したせいで話がストップしてしまったと思われますので、まずはVilleneuve1982さんのノートにこの件について書いてきます。--ねこざめ会話2021年11月20日 (土) 15:42 (UTC)[返信]

皆さまご意見ありがとうございました。ひとまず提案させていただいた「1999年の紀伊國屋書店における漫画撤去問題」への改名については、合意いただけそうなので、日本時間2021年11月23日夜ごろまでに異論などなければ改名の作業をしたいと思います。--Villeneuve1982会話2021年11月22日 (月) 09:33 (UTC)[返信]

改名しました。ありがとうございました。--Villeneuve1982会話2021年11月23日 (火) 11:36 (UTC)[返信]
コメント お手数をおかけしました。差し出がましいとは思ったのですが、児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律表現の自主規制ベルセルク (漫画)バガボンド紀伊國屋書店性的対象化の各記事内にあった旧記事名へのリンクはすべて新しいものに変更しておきました。--ねこざめ会話2021年11月23日 (火) 17:22 (UTC)[返信]