ノート:12月
しはすの語源
[編集]一般的に解釈、説明されている師が走るほど忙しいが誤りである理由に、平安時代からわからないから(現代でも)分からないという理屈ですがこれは循環論法であり、平安時代から分かっていなかったものに、なぜ現在でも分かっていないのか、民間語源として退けられるべきであるのかの理由にはなりえません。 平安時代から分かっていなかったものの後にでてきたのだから後付であろうというのは仮説ですが、誤りだ=民間語源=言語学に反するも誤りも循環論法です日本語の語源に限らず多くのものはどこの誰だか記録も記憶もされていないが民間人が言い始めそれが現在まで使われているものなどいくらでもあります。 なぜなら言語はどこの誰だか記録も記憶もされていないようなそこら辺にいる普通の人から生まれるものも含まれており、学者や権力者が作り決めるわけではありません。例えば君が代は現在日本国の国歌ですが作詞作曲者不明が通説です。一部の学者があれであるこれであると言っている程度です。つまり言語学、音楽、歴史学、民俗学などでもわからないものですが、それは学術的にまだ分かっていないが正しく、君が代の詩の現在の一般的解釈が誤っていることにはなりません。言語学的でない民間語源と民間伝承と現在民間でこう広まっているから誤りは逆です。36.2.203.229 2017年12月17日 (日) 19:02 (UTC)
「シハス」の語源が(平安時代から)分からない → したがって「師が走る」説は誤り。
という因果関係があるわけではありません。
語源がわからないというのは本文中に挙げた出典によるものです。そして、「師が走る」が宛て字であって単なる俗説(民間語源)であるというのも(語源不詳のこととは別に)本文中に挙げた出典によるものです。 --Awaniko(会話) 2017年12月24日 (日) 01:51 (UTC)
なお、「師走」が宛て字である理由は、次の通りです。
- 遅くとも弥生時代から、「シハス」の語はあったと推定される。月の満ち欠けと季節の移り変わりを意識しなければ、稲作はできず、1年を12月または13月とする単純な暦はあって、「シハス」などの月名が付いていた。
- 「師」の「シ」は漢字音であり、漢字が日本に導入された5世紀以降でなければ、「シハス」の「シ」に「師」を宛てる発想はあり得ない。