ノート:麻生千晶
「架空の人物であり、フジサンケイグループの記者が用いる合同ペンネームである」とあるが、 (1)週刊新潮などフジサンケイグループ以外の媒体に登場するのはなぜか それ以前に、 (2)架空の人物だという根拠が示されていない --山本庸一 2007年11月9日 (金) 12:20 (UTC)
”麻生千晶が存在しないという証拠がないので、架空説を載せないでもらいたい”とコメントをする人たちがいますが、笑止です。これを主張すること自体が悪魔の証明になっていると気が付かないのでしょうか。麻生千晶が存在していないことを完膚なきまでに証明することは不可能です。だからといって麻生千晶が存在していないと主張することを禁止したり、麻生千晶が存在していることを肯定しなくてはならないというわけではありません。麻生千晶が存在していないという説がどうしても気に入らないのなら単純です。本人の顔写真や本名なり、あるいは周囲の人たちの麻生評といった人となりのデータなどの”麻生千晶が存在する具体的な証拠の提出”をすればいいのです。カンタンでしょ?
それができてはじめて、”麻生千晶は存在してない”という主張を完全に否定できるのです。それが出来てないのだから(=いまのところ誰をも麻生が存在してるという証拠を何一つ提出できていないのだから)、いまのところ、”麻生は存在していない”という説は、”暫定的”に正しい説なのです。
存在していないとする説と存在しているという説、両者の立場はたがいに不均等です。存在している論者は、麻生が存在している証拠をただひとつでもいいから提出すれば勝てます。それができていなければ負けです。逆に存在していない論者はそれをすべて否定するか、いつまでたっても存在の証明がなされないのを傍目にみる等をしていればいつまでも暫定的チャンピオンの座に居座ることが出来ます。
存在してない派が極端に有利じゃあないのかい?なんて思われる人もいるかと思いますが、どっこいそれは間違ってます。今の一般社会において、ある人が実在している証明を提出することなんて、極めてカンタンにできますから・・・ --Sirokun
- Wikipedia:検証可能性を熟読してください。出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。即ち、麻生千晶が実在の人物であることを証明だてる必要はなく、架空の人物であることの検証可能な出典を示す責任は利用者:Sirokun氏にあります。またWikipedia:存命人物の伝記には、出典のない否定的な情報は即刻除去されるべきとなっています。--郁 2008年5月24日 (土) 10:43 (UTC)
これまた笑止です。麻生千晶が存命している人物であるという証明もまた、今まで何一つ行われておりません。よって現時点で、作家の麻生千晶なる存在は”存命人物”に該当してはおらず、これまた当然、この記事は”存命人物の記事”に該当しておらず、よって、私が書く記事は氏のあげた規定にまったく制約をうけないということになります。
もし、どうしても麻生千晶が存命する実在の人物だと主張したいのなら、彼女がこの世に存在しているという証拠を、たったひとつでもいいからこの場にもってきてください。そうしないと、その証拠の真偽の検証すらとりかかれません。
とにかく、そうしてもらわないことには、何一つ話がすすみませんがな。
それに、架空の人物である証拠として、”出展”とまではいかなくとも、麻生という個人が実在していたら絶対にありえない、
無断で氏のなまえをブログタイトルにしたサイトが、抗議をされる様子もなく三ヶ月以上も無事に運用されていること。(無断使用を訴える主体そのものがこの世に存在していない証拠)
日光東照宮の宮司を誹謗した記事に対して、麻生千晶自信の謝罪のコメントがどの媒体にも載らなかったこと(書いた文章に対し個人として責任を持つのが、個人活動をしている著名なライターのプライドでは?麻生は独立した個人のライターではない証拠)
などの状況証拠を提出しております。
sirokun
- 生年月日から、死亡しているかどうかは微妙なところであるため、死亡の確認ができるまでは存命と推定すべきです。また再度書きますが、Wikipedia:検証可能性を熟読してください。実在の人物であるという証明は不要であり、「架空の人物である」という検証可能な出典が必要です。
- 「麻生という個人が実在していたら」以下については傍証にすらなっていません。ブログタイトルについては「個人名を無断使用された場合必ず抗議する」ということが前提になっており、この前提は検証不可能です。日光東照宮についても同様。「必ずコメントする」という前提は検証不可能です。
- それと、署名ぐらいきちんとしてください。--郁 2008年5月24日 (土) 13:08 (UTC)